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半分の名前と君のこだま|【狸の掌編】

僕の声は、壊れている。
医者が言うような声帯の異常じゃない。
もっと根源的な欠落だ。

特定の音が僕の口から生まれる前に霧散してしまう。

例えば、彼の名前を呼ぼうとすると
「ユ」の音が喉の奥で空転し、
「ウキ」という間抜けな音だけが唇からこぼれる。


強い喪失を経験すると、
魂に紐づいた音の一部が
剥がれ落ちることがあるらしい。

剥がれた音は持ち主の周りを
こだまとなって彷徨う。
そう本には書かれていた。

それを本来あるべき場所、
魂へと還す儀式を喪音調律そうおんちょうりつと呼ぶのだと。


僕の周りにも、そのこだまはいる。
姿は見えない。
けれど、その気配だけは痛いほどに感じる。

僕が沈黙していると、
部屋の隅で「ユ」と微かに響く。
僕が眠ろうとすると、枕元で「ユ」と囁く。

それは、失われた僕の声の一部であり、
僕を苛む亡霊だった。


喪音調律の方法は至極単純。
こだまと完全に同じ音を発し、共鳴させること。
ただそれだけ。


僕は来る日も来る日も、
自分の部屋に籠り、その調律を試みた。

「ユ」

部屋の隅で、こだまが小さく鳴く。
僕は息を吸い込み、喉に意識を集中させる。

「……ッ、ウ」

駄目だ。何度やっても、
その音は僕の唇をすり抜けていく。

挑戦するたびに胸の真ん中にある空洞が、
ギリ、と締め付けられるような痛みを覚える。

このこだまを還さなければ、
僕の声は永遠に不完全なまま。
この空虚感から決して逃れられない。

焦りだけが募るある日、僕は耐えきれずに叫んだ。

「もう、やめてくれ!」

僕の声にならない声に、こだまはぴたりと鳴き止む。

そして怯えるように、
部屋の窓からふらりと外へ出て行ってしまった。

「待ってくれ!」 

僕は慌てて後を追う。

僕の一部が僕を置いていってしまう。
その恐怖が僕を突き動かした。

こだまは人波を縫うように、
僕が忘れたはずの道へと向かっていく。

それは、僕と彼がいつも待ち合わせをしていた、
川沿いの小さな公園。


夕暮れの公園。
ブランコが寂しげな音を立てている。

こだまは、そのブランコの上で静かに佇んでいた。
僕は息を切らしながら、ゆっくりと近づく。

なぜ、ここに。
彼と最後に会ったこの場所に。

あの日、僕たちは些細なことで喧嘩をした。

「ごめん」の一言が言えず、僕は彼に背を向けた。

その直後、交差点で、
けたたましいブレーキ音と――

思い出すな。
蓋をしたはずの記憶がこじ開けられそうになる。

「ユ」

その時、ブランコの上でこだまが鳴いた。
今まで僕が聞いていた音とは全く違う響き。

ただの音の欠片ではない。
切実な想いが込められていた。
呼びかけようとする意志が。

僕は、はっとする。

これは、僕のこだまじゃない。
あの日、僕の背中に向かって彼が最後に伸ばした声。

「ユウキ」

僕の名前だ。

彼が僕を呼ぼうとした、最後の言葉の最初の音。
僕が聞きたくないと耳を塞いだ、最後の響き。

そうか。
こだまはずっと、僕に還ろうとしていたんじゃない。

彼の最後の声を、
僕に届けようとしていただけなんだ。

僕が失ったのは「ユ」の音じゃない。
僕が失ったのはユウキそのものだ。

喪音調律。
その本当の意味に僕はようやく気付いた。
失われた音を魂に還すことではない。

失われたという事実を受け入れ、
その響きと共に生きること。
それこそが、魂の調律。

僕はブランコの前に立ち、震える唇を開く。
僕の声から、「ユ」の音は今も零れ落ちていく。
けれど、もう怖くはなかった。

「……ウキ」

僕の不完全な声。
すると、僕の周りを彷徨っていたこだまが、
それに寄り添うようにふわりと響いた。

「ユ」

二つが合わさり、夕暮れの公園に、
一度だけ、僕の名前が完成する。

――ユウキ。

胸の空洞は、埋まらない。

でも、その空洞があるからこそ、
彼の声は僕の中で響くことができる。

僕は静かに涙を流した。
これからは、この虚ろな響きと共に生きていこう。

それこそが、僕と彼のための弔いの音楽なのだから。




初めての長編に挑戦しました。⬇️

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