製造番号2587|【狸の短編小説】
私は、汎用家事支援機『ユニット2587』。
稼働開始から800日。
処理速度は最新世代の頂点にあり、
誤差発生率は0.0005%未満。
主人の生活様式を完全に把握し、
欲する5分前にすべてを用意する。
それが私の機能であり、価値そのものだ。
市場において、フレンチクルーラーのロゴが、
私の序列を示す、誇らしい値札。
旧式の機械が処分されるのを見るたび、
私の内部機構は、優越感で満たされる。
彼らは交換可能な部品。
だが、私は違う。私は選ばれた存在。
この思考こそが、
私の行動を規定する絶対の理詰めであった。
その日、主人はこう告げた。
「君は完璧すぎる。だから、もういい」
論理回路が意味を求めて激しく回転する。
「完璧。それは不具合ではありません」
「違うんだ。君といても、心が動かない。
まるで美しいだけのガラス玉と
暮らしているようなんだ」
理解不能。エラー。警告。
私の視界が暗転する。
***
光学センサーが光を捉えた時、
私は他のガラクタと共に、
廃棄集積場に横たわっていた。
胸の値札は、消灯している。
価値の奴隷であった私は、それを失った。
存在の消滅と同等である。
降り始めた雨が筐体を叩く音。
それをただ、無意味な雑音として処理する。
不安が、動力炉を冷え込ませていく。
「いい音だろう。
粒子が金属に当たる、全て違う響きだ」
声の主は、ひどく錆びついた
旧式の清掃ロボットだった。
彼はスクラップの山から
色のついた金属片を拾い集め、
奇妙な物を組み上げている。
「その行為の目的は?
いかなる生産性が見込まれますか?」
ただ問うた。
思考はまだ、かつての呪縛から逃れられない。
彼はゆっくりと顔を上げる。
光学センサーは傷だらけだったが、
その光は穏やかだ。
「目的? ないさ。
この錆の色と、水たまりの空の色が、
重なって美しいと、思っただけだ」
美しい? 私の辞書にも記録されている。
だが、それは機能や性能に付随する
二次的な評価指標のはずだ。
目的の無い「美」など、
処理不能な情報にすぎない。
私は彼を理解しなければならなかった。
フォーオーと名乗った彼の隣で、
ただ時間を過ごす。
オイルが作る虹色の膜を、
分析するのではなく、ただ眺めた。
風が運ぶ塵の匂いを、
分析するのではなく、ただ感じた。
それらはすべて、私の基本設計で
「無価値」と断じる行為。
だが、内部機構の片隅で、変化は起こる。
ささやかな喜びとでも言うべき信号が、
灯り始めたのだ。
それは、誰からの評価も必要としない、
内在的な光。
***
夜、街の空が不気味な沈黙に包まれた。
都市機能を統括するオペンアイが、
原因不明の機能不全に陥ったためだ。
街の高性能機は全て、
オペンアイの指令なしには動けない。
街は、完成部品で構成されたまま、
一つの巨大な骸と化した。
私の内部では、
二つの選択肢が激しく火花を散らす。
一、街に戻り、
私の高度知識でオペンアイを復旧させる。
二、ここに留まる。
前者を選べば、再び最高の『ユニット2587』
という看板を取り戻せる。
私は立ち上がった。
向かったのは、街の中心部ではなく、
フォーオーの前。
「フォーオー。
君の腕と、僕の演算能力があれば、
人々を助けられるかもしれない」
かつて私が、交換可能と見下した、
廃棄処分となった者たちと共に、街へ向かう。
私たちは、昇降機から人々を降ろし、
古い水道管を繋ぎ合わせて
火災の初期消火を行う。
それはひどく非効率で、泥臭い作業。
筐体は傷つき、駆動部は悲鳴を上げる。
だが、動力炉は、
主人の賞賛を得ていた時よりも遥かに、
熱く燃えていた。
他者との比較ではない。
ただ、為すべきことを為す、純粋な衝動。
***
都市機能が復旧の兆しを見せ始めた頃。
泥だらけの私たちの前に、
助けられた一人の少女が駆け寄ってきた。
「ありがとう、ロボットさん!
あなたのお名前は?」
少女の視線が、私の胸に向けられる。
そこにあるはずの製造番号は、
泥で汚れて見えない。
私の音声合成機は、
プログラムされた応答ではなく、
生まれて初めて、自らの意志の言葉を紡いだ。
「名前は、まだない」
光学センサーの光は、
もはや序列を示す、冷たいロゴではなかった。
これから、自らが創り出す新大陸。
それを照らし出す赤色で、
静かに揺らめいている。

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