窓は残酷にも囁く|【狸の掌編】
彼女が逝ってから、季節が二つ巡った。
彼女が住んでいた部屋は、
がらんどうのまま時を止めている。
遺されたものといえば、
壁に立てかけた一枚の絵と南向きの大きな出窓だけ。
僕はその窓辺に座り、
彼女の不在を吸い込むことが日課になっていた。
ある夕暮れ時、僕はそれに気づいた。
西日がガラスを斜めに射した瞬間、
窓の表面にまるで霜が降りたような、
あるいは鳥の骨を並べたような、
白く微細な文様が浮かび上がった。
指で擦っても消えない、
ガラスの内側に染み込んだ傷跡。
「それは、窓骸(そうがい)だ」
街の古物商を営む老人は、
僕がスケッチした文様を一瞥して言った。
「
強い想いを抱いたまま死んだ人間の魂は、
その人が生前最も長く見つめていた窓ガラスに、
祈りの化石となってこびりつく。
人はそれを『窓骸の祈り』と呼ぶのさ
」
僕は息をのんだ。
あれは、
彼女が遺した最後のメッセージだというのか。
「
読み解いてほしい。
彼女が最後に何を祈っていたのか、
知りたいんです
」
老人は静かに首を振る。
「
やめておけ。
死者の沈黙は暴くもんじゃない。
残された者にとって、
真実はいつだって優しいとは限らん
」
それでも僕は諦めきれなかった。
彼女の最後の祈りが、
僕への愛の言葉であると信じて疑わなかったから。
この空虚な時間に終止符を打ち、
前に進める気がしたから。
僕の必死さに根負けしたのか、
老人は数日後、彼女の部屋を訪れた。
老人は窓の前に立つと、
古びた単眼鏡を取り出し、複雑な文様を覗き込む。
そして、目を閉じて静かに何かを口ずさみ始めた。
僕は固唾を飲んで見守る。
彼女との幸せな日々が脳裏をよぎる。
この窓辺で、二人で同じ景色を眺めた。
僕が描く絵を
彼女はいつも隣で微笑んで見ていてくれた。
彼女の祈りは、きっと、、、。
長い沈黙の後、老人はゆっくりと顔を上げる。
その目は深い憐れみをたたえていた。
「彼女の祈りは、一つだけだ」
老人は、僕から視線を逸らしながら、
絞り出すように言った。
「『ここから出して』……そう、祈っている」
時が、止まった。
愛の言葉でも感謝の言葉でもない。
それは、絶望的な逃避の願い。
僕が愛したあの穏やかな日々は、
彼女にとっては息の詰まる鳥籠だったというのか。
僕の存在そのものが、
彼女をこの窓辺に縛り付けていたというのか。
気づけば、
僕は濡れた布を手に無心で窓を拭いていた。
彼女の祈りの化石を、
その骨のような文様を、跡形もなく消し去るために。
ごしごしと、ガラスが軋むほど強く。
文様が完全に消えた窓は、
ただの透明なガラス板に戻り、
茜色の空を映している。
そこにはもう、彼女の祈りも僕の感傷も
何ひとつ残っていなかった。

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