コアを抱きしめて生きていく


今日は少し重いお話になるかな…
私の闘病時代のこと、少しだけ書き残します。


🔹2012年6月6日 手術当日

2012年6月6日(水)
金星が太陽の前を横切る「太陽日面経過(太陽面通過)」が天体現象で起きていました。

この日、この時間に、私は手術室にいました。
胃全摘手術を受けるためです。
胃がんでした。

当時は医大の手術室で看護助手の仕事をしていたのですが、手術に使われる器具の中で、やたらに目についたものがあって。
オクトパス
タコ🐙⁉️と思ったら、胃切除の際に使われる開創器だった💦
まさか自分が使われる側になるとは思いもしなかったのですが、そのネーミングセンスに感動✨
手術前のインフォームド・コンセントでも、執刀医に「オクトパス、使いますか✨❓✨」と、前のめりで聞いたぐらいです。

手術室に入るのは、これが初めてではなくて。
4度目の手術室でした。
そうは言っても、内臓へのアプローチは初。
なんとも言えない高揚感は、隠せなかったのでした。
手術って回数重ねると、慣れるもんなんですよ…うん。

当時から既に内視鏡手術もありましたが、私の場合は他臓器も除去する必要がありました。
開腹の状況によって、周辺リンパ節、脾臓と胆嚢も摘出する可能性があったからです。
そういう状況下だったなら、お腹を切る時も遠慮は要らない。
ガッと開いて術野を広げて、確実に切除することを希望😤👍しまして。
外科医、大喜び✨
さらに開腹した以上、手ぶらは許さない(インオペNG❌)❗️とまで付け加えたもんだから。
外科医、めっちゃ張り切って。
結果的に胃と脾臓、胆嚢、周辺リンパ節84個切除✨
頑張ったんだよ〜🤭✌️と、術後嬉しそうに報告されました🤣👍
上出来な外科医です👍

麻酔科医からは、消化器系のオペで術後の痛みはMAXだから😤👍と脅されたのですが、サラ〜ッと受け流してまぢで痛い目に遭いました💦
手術後の夜は、痛みで一睡もできず。
体が捻れるような猛烈な痛みで、痛み止め最強の一手💊モルヒネまで登場。
人生初のモルヒネを体験した感想は、なるほど…これは依存性は避けられんな…ってぐらいの、効果抜群最強の痛み止めでしたね〜。
よって、1回限りの使用許可だったモルヒネ・オカワリ(ヾ(▼ヘ▼;)オイコラ)は、即却下でございました…💦


🔹術後に起きる激痛攻撃第2弾

術後数日は、絶食が続きます。
私はお腹にドレーン3本入れましたが、尿道カテーテルは直ぐに抜いてます。
術後はなるべく動くことが、早い回復に繋がるからです。
昔はゆっくりだったんですけどねぇ…💦

術後に起きる痛みは、色々なパターンがあります。
①単純な術痕の痛み
②内臓が最適解を探して蠢く痛み
③ドレーン抜去の痛み
④術後初の飲食時
⑤初めて訪れる、食後ダンピングの痛み
(⑤に関しては、物語で語っております🤣)

今までの手術経験と比較しても、どれも未体験領域の痛みでした。
その上、なかなか痛みがおさまらない。
日にち薬のようなものです。

それでも早い回復から早期退院を促す現代医療の恐るべき闇(←恨み節)によって、どんなに痛みがあろうとも「歩け歩け」と促されて、痛みのあまり、真っ直ぐになれなかったエビフライ🍤🦐状態の歩行がリハビリでした。
ベッドで横になれば、内臓同士が打ち合わせでもしとるのか⁉️ってほど、あっちこっちが蠢いてる痛みが襲ってくる。
食事をすれば、胃なしのために貯留できない食べ物が小腸を直撃💥
身体中で警戒アラートが鳴り響くような痛みが襲います。

ドレーン抜去は、その時だけの痛みですが…
私は3本目のドレーン抜去に時間がかかってしまい…私の体がドレーンを融合させ始めた時の抜去でしたから…
医師5人がかりで抜いた時は、天井まで血がぶっ飛んでw、スプラッタ劇場にさえなりまして。

はー…まぢで‼️あれこれ痛かったんだよ…😭
でも痛みに対してのお薬は、*硬膜外麻酔のみ。
*背中の脊髄近くに細いチューブを挿入して、痛み止めを継続的に使う方法です。
日本の医療現場は、痛みに対して鈍感過ぎる…😫💦魂の叫びが何度となく、脳内を駆け巡ったのでした。


🔹術後病名確定【スキルス胃がんステージIV】


手術後の病理検査による確定診断は、【スキルス胃がんステージIV】でした。
開腹時、既に胃壁を突き破ったがん細胞が腹膜内にも浸潤。
腹膜播種です。
リンパ節にも転移がありました。

ここまで進行していたら、余命は何もしなければ半年。
抗がん剤治療を受けたとしても、5年後生存率は10%前後と宣告を受けました。
手術前はステージⅢだったのですが、検査を重ねる内に【印環細胞癌】にステージアップしていったので、なんとなくスキルス胃がんだろうな〜…と、どこかで予感がありました。

診断結果を聞いても、そっかー、それなら余命も長くないな…と悟りを開いてw
どうせ死ぬなら、この機会を逃がすには、余りにももったいない‼️
悟りじゃなくて開き直りですねw

でまぁ、担当医とも相談して。
やっちゃう⁉️やろうぜ😏👍となったわけです。
*治療による結果には、全て自分の意思決定によるもの。一切病院側に責任はない…な一筆も書いてる。

🔹抗がん剤治療が始まる


甘かった……わけです。
抗がん剤治療の副作用くんを舐めきっていた…💦

最初の2クール目までは、まぁまぁ乗り切れました。
元々、手術前の体重が54キロ程度という標準体重だったし、精神面に関しては、セルフカウンセリングの勉強をしていた関係上、ほとんど心配はなかったんですね。
副作用は、想定の斜め上を易々と越えて、何度も過剰攻撃を繰り返す難敵だった。

脱毛はなかった。
けれど爪はどす黒く変色した。
嘔吐は数回しか無かった。
けれど延々と下痢が続き、治療中はトイレで過ごす時間の方が長かった。
体重は37キロまで落ちて、自力で歩行困難となって、車椅子での移動になった。
自力で車の運転はできなかったし、抗がん剤治療中には3回ほど、まぢで三途の川に片足突っ込んだ。
風が吹けば立っていられないフラットランド住民だった。
抗がん剤治療を重ねるほど、薬の離脱がキツく、気持ちが前向きになったり、落ち込んだりする揺れ動きが激しくなった。
温かい飲み物を体が受け付けられず、ガタガタ震えながらのアイスコーヒーやアイスティーばかり飲むしかなかった。
白血球が激減し、白血球増やす注射打ったら沸きに沸いて、逆に気持ち悪くなった。
痩せたことで仙骨付近に褥瘡が出来かけた。
洋服が全て着られない、サイズが合わないために【とりましまむら】で買った服着て、ファミレスで隣に座った、ご高齢のご婦人と被りに被った。

日本全国津々浦々から、聖地巡礼の如く訪問客が襲来。
*これはですね…私のことを影で悪く言ってた悪い顔の人たちが、私が死んだら後味悪いから…って言ってました。
(╬⊙д⊙)オイコラッ貴様ら‪💢だったのですが💦
そりゃそうでしょう。
私がやってもいない、言ってもいないことを作詞作曲編曲までして言い触れ回って、私を悪者にしていたのだから…
(*ФωФ)フフフ…めじゅの、『死んだら化けて出るから…👻』が、最強に効いた結果です👍

仲良しの友人たちには形見分け(今更返せとは言えない案件w)もした。
などなどの、数えきれないような出来事が続々と押し寄せてきて、呑み込まれかけました。

密度濃すぎだわ。


🔹同士たちとの出会い


そんな身も心も擦り切れるような中で、巡り会った同士たちがいました。

同じ病気
同じステージ
繰り返される抗がん剤治療

浮遊する感覚は社会から切り捨てられたような感覚があって、同じように悩みもがいた仲間以上の同士たちです。
ネットで繋がった同士たちだったので、その時ほど、ネットに救われたと思うことはなかったです。

全員が【死ぬこと】は身近になってしまった同士だったのですが…
弱った身体を引き摺るようにして、3回ほどオフ会で過ごす時間がありました。

その時に口を揃えて言っていた言葉があります。
「来年はもう、桜が見られない」
「桜の散りどきに自分が重なる」
そう言って笑いあった、大切な同士たち。


🔹同士たちの旅立ち


静岡から
新潟から
北海道から
徳島から
大阪から
京都から
東京から
埼玉から


櫛の歯が欠けていくように、ひとり、またひとり。
訃報が届きます。
同士たちが旅立って逝きました。

お先に失礼、あっちで待ってるよ。
まだ生きて子供の成長を見届けたかった。
やりたい事、やりきれなかったなぁ…。
なんで君は生き残っているんだろうね。
死んだらどうなるのかな。
死ぬのが怖いんだ。
一緒にポルノグラフィティのライブに行きたかったなぁ。
私の分までスピッツを愛でてね。

私に届く同士からのメールには、色々な想いがのせられていました。
同士だったからこそ、きっと誰にも言えなかった恨みも悔恨も泣き言も。
私があの世まで、一緒に持ってきてくれる…と思ったのかもしれません。

それで良いと、私が生きている内は私が引き受ければ良いと思って。
メールには【言い残すことが無くなるまで、私が引き受けるよ】と返信を続けました。


🔹そしてひとり、残された

結局、私はひとり残されました。

みんなと一緒に、あっちでどんちゃん騒ぎしたいのに。
みんなで一緒に、色々な話をしたいのに。
何故か私は生き残って、気が付けば余命宣告蹴っ飛ばして、今があります。

今は寛解と言うよりは、完治に近い寛解なのかもしれません。
治療から5年経過した時に、担当医には「これで卒業します❗️」と伝えてから、執刀してくれた担当医には会っていません。
すっかり出世して、今ではダヴィンチを使った技術を磨いているというニュースが流れたのを目にしたこともありましたけどね。
立派になったねぇ…✨😭✨

緩和ケアにもお世話になりましたが、病院始まって以来、緩和ケア科で生還した患者第1号となりました。
父のお葬式では、自分が先に死ぬはずだからと、礼服一式処分していたので、慌てて新たに買ったという、悲しいはずのお葬式が笑いになってしまったなんてことも。

私は死に損ないで、この世の卒業証書を未だに授与されていませんw


🔹だからこそ愉快に笑って生きる。挑戦だって、失敗だって笑いに変えちゃう。


無念だったと思います。
生まれたばかりの我が子を抱けないまま、亡くなった同士は。
誰にも言えない葛藤を、私にだけぶつけていたお寺の住職も。
同じ場にいると思ったのに、いつしか場が変わってしまったのですから。

だからこそ。
私はどんなに苦しくても、どんなに辛くても。
笑ってやる。
失敗も失敗の過程も、怒ったりキレたりしょんぼりしても。
やらかした自分を笑ってあげるんだ。
誰のものでもない。
私の大事なコア(核)だから。



🔹おわりに


長い長い、私語りにお付き合い頂き、ありがとうございます。

私のようには生きられない、あなたは強いから…と言われたりもします。

そうじゃない。
私は自分の弱さを知っている。
自分をもっと知りたくて、探索し続けている。
だって、一番分からなくて、一番厄介で、一番愛しいのだから。

noteでは、めじゅとなってめじゅ語でめじゅってめじゅりーなするし。

素敵なクリエイターさんには、おずおず或いはノシノシと、愛を恥ずかしげもなく告って。

推し活上等。

重度障害者支援施設でも、利用者さんへの自立支援の根底に、愛しい気持ちを抱えていく。

それが私の、私たる所以だから。

そして、めじゅはめじゅってめじゅらせて、めじゅ愛豆まきにしちゃうんだ✨🫶✨

クリエイターの皆さま💖
これからも遠慮なく、めじゅを料理して、美味しく仕上げてくださいませ🤭✌️

よろしくね💕︎

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