専業主婦は「無職」ではない|確定申告で気づいたゼロ円労働の正体


高所得世帯のワンオペ育児の「見えないコスト」



私は、子どもたちが小さいあいだ、家事と育児を全力で担う日々を送ってきました。

子どもは3人。
毎日が嵐のように過ぎる中、ふと胸の奥に小さなモヤモヤが残りました。


「私の不満って、いったいどこから来ているんだろう?」




「家庭内労働力」という見えない資源


夫は勤務医。
外からは「恵まれた家庭」に見えたはずです。
でも実態は、夫は毎日深夜まで働き、家事・育児を分担する余力はゼロ。
家事・育児は私ひとりが担当でした。


子どもたちの誰かひとりが夜中に熱を出せば、私は全員を連れて救急外来へ。

「在宅していても、呼ばれるかもしれないから」
「いま寝ておかなくていつ寝るのか」

夫には、眠っている子どもの留守番ですら頼むことができませんでした。


もしこの“家庭内の労働”を外に頼ろうとしたら、ベビーシッター代や家事代行費用は、夫の税引き後の収入から支払うことになります。

そして当時の私は、
夫が身を削って働いたお金を、自分が楽をするために使うことはできない——そんなふうに思い込んでいました。


夫が働けば働くほど家庭の余白は失われ、補うためのコストは重くのしかかる。

時間のない人ほど、高いコストを払わなければ家庭を維持できない。
そんな構造に、私は違和感を覚えました。

恵まれているはずなのに、なぜこんなに余裕がないのだろう——。



「支援の線引き」が示す社会の不均衡



所得の少ない家庭には児童手当や学費補助があり、社会的支援は用意されています。
これはもちろん大切な制度です。

しかし、家庭内労働力が不足している家庭に対する支援はほとんどありません。
外部サービスを使えば「贅沢」と見なされ、税制上の控除もほぼなし。

結果として、私たちは
• 税金を納めながら他家庭の教育費を支える
• 自分の家庭には制度がほとんど使われない

という構造的な偏りの中にいました。



たとえば保育園。子ども一人あたり年間で数十万円以上の公費が投入されています。

しかし、家庭内で育児を担う場合、その労働価値は制度上ほとんど可視化されません。


羨ましいと言われ、心がざわついた日



長男が小学校になった時、顔見知りのママから言われました。

「ご主人がお医者さんでいいわね。お金の心配がなくて羨ましいわ」

その瞬間、私は心の中で思いました。

「安い保育料で子どもを預けられて、休日は家族で過ごせるあなたが羨ましい」


立場が違えば、見えている世界も違います。

当時の私が欲しかったのは“お金”ではなく、家族で過ごせる時間や、夫に「ちょっと子どもを見てて」と頼める心のゆとりでした。


研究でも指摘される「見えない労働」


経済学・社会学でも、家庭内労働の偏りは長年のテーマです。


• 日本の女性は1日あたり4時間超の無償家事・育児、男性の約5倍:OECD(2025年最新データ)

• 家事・育児・介護など無償労働を金額換算すると年間約130兆円:内閣府『男女共同参画白書(令和6年版)』

つまり、私たちは社会を支える膨大な労働を、“ゼロ円”として扱われていたのです。


「自分の仕事」を持てた今、気づいたこと



今、私は個人と法人で不動産賃貸業を営み、法人から給与を受けています。
経費や税の仕組みを学ぶ中で、かつてのモヤモヤの正体に気づきました。


確定申告をしてみると、今の私にはさまざまな「控除」が認められています。
収入を得るための努力には、「経費」や「控除」という形で、社会的な評価と配慮が与えられているのです。


一方で、家事も育児も、次世代を育むという点において、これ以上ないほど重要な社会貢献です。
それなのに、家庭内で行う限り、制度上は「ゼロ円の無職」として扱われる。


この「努力が報われない構造」こそが、私の不満の根源だったのだと理解できました。
これは家庭内の介護でも、似た構造です。


「年少扶養控除」は理にかなった制度だった


2012年まであった「年少扶養控除」は、子育てという家庭内労働を経済的に評価する仕組みでした。

控除廃止後は所得制限付きの児童手当に変わり、中間層や高所得層は恩恵を受けず、孤立感が深まりました。


もし控除が復活し、子どもが多いほど税制上のメリットや将来の年金給付が手厚くなる仕組みがあれば、家庭内の負担感も和らぐのではないでしょうか。


家族は「チーム」


夫婦は対立する関係ではなく、ひとつの「チーム」です。

誰かの自己犠牲の上に成り立つ家庭ではなく、
労働を見える化し、分かち合える仕組みを作ること。


それが、これからの社会の課題であり、かつて専業主婦だった私の切実な実感です。


あの頃、私は社会から取り残されたように感じていました。
でも、仕事に忙殺されていた夫もまた、「子どもの成長を共に見守る」という、親としてのかけがえのない時間を失っていたのです。


子育ては、ただの負担ではありません。
喜びや学びに満ちた、かけがえのない経験です。


だからこそ——

夫にも子育てに関わる「権利」があったのではないか。



それでも幸せだった日々



何もかも手に入れられる人はいない。
みんな何かを犠牲にしながら生きている。


そう思えるようになった今、
当時の自分にも、夫にも
少しだけ優しくなれた気がします。


夜中に何度も起こされ、
自分の時間はほとんどなくても、
子どもたちの成長を毎日すぐそばで見られた日々は、何物にも代えがたい喜びでした。


専業主婦という選択も、決して間違いではなかった。


そして、保育園という公共のサービスを利用せず、
自分の手で子どもたちを育ててきた私も、

「あの頃、社会を支えていた」
と思うのです。



確定申告を終えて



個人の不動産収入に加えて法人からの給与を受け取れるようになり、
ようやくここまで来られたと感慨深いものがあります。


これからも安定したアパート経営で資産形成を続け、私自身の所得も増やしていくつもりです。


それにしても……


今よりずっと大変で、必死だった
あの頃の私を「無職」と呼ぶのは、
あまりにも違う気がする。




今年の個人の確定申告を終えて、
ふと考えた、私の実感なのでした。





参考資料

• OECD (2025) Gender Data Portal: Unpaid work (time spent)
• 内閣府『男女共同参画白書(令和6年版)』
• 厚生労働省『家事・育児支援の現状と課題』
• 経済産業研究所(RIETI)「無償労働の経済的価値に関する研究」




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