医療系専門学校の思い出(2018-2024)
こんにちは、本日は日曜日ですね
いかがお過ごしでしょうか?
記憶が無くなる前に備忘録として
専門学校の思い出を残します🏫
2017年入学前のオリエンテーション
高校3年生の時、持病の薬の副作用のため頭が回らず大学受験を半分諦めていましたが、センター試験を受けようと考えていました。ですが、高校の駅前の専門学校の施設が目に入りカッコいいな最先端だなと夢を感じていました。そして、地元の図書館で無料で手に入る”進学パンフレット”を見ながら、母親に相談したところ「専門学校の2、3年だと足りない、4年制にしなさい」という助言と「理学療法士が良いけど、作業療法士にお世話になったし、向いているかも?」「大学受験と違って簡単な一般試験と面接」ということで選んで受験して合格した。しかし、その2日後、駅の階段を転んで右大腿骨骨幹部骨折をして長期入院したことで、センター試験は幻となりました。そして、そこで理学療法士にお世話になり、この道で生きて行こうと決めました。(その5年後に、自分が作業療学科の実習生として臨床実習で再会を果たしお礼を言いました。)入学オリエンテーションは松葉杖で登校してスピーチして自己紹介してかなり目立ちました。ちなみに、主治医の許可を得て入院中の外出届で矢沢永吉さんのコンサートに行くことになり、松葉杖だったので、会場にいるお客さんの視線を集めました。また、その入院中に自分は将棋にハマっていたこともあり、羽生善治棋聖(当時)が渡辺明竜王(当時)から竜王のタイトルを獲得して通算7期となり、永世竜王を獲得して羽生善治竜王(当時)が、永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖の7つの永世資格保有者である「永世七冠」という前人未到の記録を果たしたことに、衝撃と感動を受けたことを覚えています。
2018年専門1年生
同期は20人くらいいたが、当時友達になれたのは3人から5人でした。解剖学の授業で絵を描いたり、暗記テストしたことが主な印象です。また、生理学では「ホメオスタシス」が記憶に残っています。自己紹介のスピーチで自分のしくじり人生を話して話題を掻っ攫うことをしたのがハイライトです。そして、進学校出身の自称天才の男が車好きだったので、一緒にローソン行ったり、夜の秋吉台や竜王山のドライブを行った事がかなり思い出として強かったです。今思えばこの時期が1番専門学生として楽しかったかもしれません。ちなみに20歳のためお酒飲めたりタバコ吸えた事は「いつ死んでも良いぐらい幸せ」と家族旅行で行ったハウステンボスで思った事も印象的でした。また、1年生の時に同期生とカラオケに行きましたが、当時カラオケ慣れしなかったため、音痴で「残酷な天使のテーゼ」を歌って爆笑されることがありました。また、入学後のオリエンテーションで同期生と合宿がありその時に「〇〇さん」という愛称が付けられました(笑)そして、特に好きだった講義が医療倫理学で、先生が、「偉い医師でもシャーマンキングを信じる」というもので鮮烈に記憶に残っています。ちなみにその科目は、難しいとされましたが、自分は最高の「優(80点以上)」でした。また、試験で「国試で出題されたこの分野から過去問から出るよ」ということで、ネットを使って同期生(学校近くのアパートで)と一緒に取捨選択してまとめたものをクラス内で共有したら9割方そこから試験で出題されて、みんなから「〇〇さんのお陰、ありがとう」と感謝されました。1年生全員、地元の国立大学医学部に行って、解剖学実習を行いました。内容は医学部医学科のいづれ医師になる医学生がご献体を執刀して身体の内蔵等を直接生で見て人の体を学ぶ講義がありました。強烈な体験のため、未だに学びとして覚えています。
2019年専門2年生
平成31年4月1日その日は快晴で、菅義偉内閣官房長官から新元号「令和」の公表があり、学校外のお店のテレビとスマホで知って同期みんなと盛り上がった年でした。夏の専門学校主催のお祭りで、自分たちのクラスは、たこ焼き店を出店して、見せ物として、同じ苗字が3人集まり、化粧して女装して劇をすることをしました。自分は黄色いチャイナドレスを着て発表しました。とても緊張しましたが、良い経験になりました。しかし、せっかく友達が出来ましたが、自称天才君が学校の生徒会長選びに選ばれず、鬱病になり電撃中退(その後、広島県の4年制私立大学社会臨床心理学科卒業→会社員)して、その前には夏頃Instagram派で彼女をクラス内で2人も出来たモテ男も電撃中退(その後、福岡県の総合専門学校薬業科を卒業→登録販売者)して、友達が激減しました。そして、その人たちがクラスのボス的存在の人と派閥が違い対立関係で、自分も飛び火してそれがのちの卒業研究グループ活動の休学事件に繋がる大きな出来事でした。しかし、1人だけ友達がいてその人の理学療法学科含むグループでモンストとパズドラをして仲良く遊んでいました。そして、社会人経験者とドラクエウォークを一緒にしたりしてました。その頃、教室内で遊戯王をやっている人がいてその人の影響で家族内で遊戯王ブームになりました。また、初めての泊まりがけの実習(5月の1週間)で、ホテルに泊まって受けた事が凄く楽しかったです。自分の兄とその同期生の親が同じ会社員という繋がりがあって、友達になった男性は学校近くのアパートに住んでいて、一緒にSwitchやWiiのゲームしたり、一緒にお酒飲んだり、勉強会開いたりしてました。また、この頃は色々な同期の女性とも関わり、色々人生勉強になり、楽しかったです。ちなみに、試験対策は先輩と仲良く交流して過去問を手に入れたり、クラス内で一緒に勉学に励むなど、大学生と同じ感じだと思います。当時の自分は「トライアスロンサークル」に所属していて、先輩である部長がトライアスロン経験者のため、特に学校の周りを走り込みなどしました。これはこれで、とても良い経験でした。そして、実習の時に一緒になった女性の先輩から、開校以来受け継がれていたUSBデータ(2000年代から2010年代まで)を引き継ぎ後輩にバトンタッチしたことは感慨深いです。この年の映画で、『天気の子』と『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』を見て、感動のあまり涙を流しました。また、イケメン同期2人と一緒に『犬鳴村』も見ました。一緒にハードオフに行って、トレーディングカードを探したのは楽しかったですね。当時YouTuberにハマっていて特に大好きだった東海オンエアの「U-FES. TOUR 2019」版のキーホルダーを同期生の友人とローソンで一緒に購入したことが思い出にあります。彼は、県外の福祉用具展覧会を終えた後に、町中のGUCCIの店に一緒に訪問して、彼がGUCCIの財布をバイト代で購入して大人の階段登ったことも印象的でした。
2020年専門3年生
この頃は1番しんどい時期でした。まず、コロナウィルスによるパンデミックで世界的に大混乱している時期でした。春夏の講義は、家でリモートの座学で、空き時間に当時流行っていた100日後に死ぬワニをもじった「100日後に那須川天心」という3ヶ月間毎日ハードな筋トレを自主的にして、Instagramのストーリーにアップして学校内で注目を集めていました。その結果、細マッチョになりました。秋から始まる実習は、コロナ禍の真っ只中のため、1回目は総合病院で、2回目は完全リモートでした。初めての1ヶ月間の長期実習が家から通うため、朝5時に起きて始発の電車に乗って自販機のエメマン飲んでカフェイン摂取して徹夜してレポートを書くということで死ぬ気で乗り越えました。2回目の実習では、当時「鬼滅の刃」が流行っていて、同期生もオススメしてたので、休み時間にABEMA TVで「鬼滅の刃」を見て感動したことを覚えています。そして、3年生になって行われた卒業研究のグループ活動では、いくら自分が論文をたくさん調べて卒業研究に貢献してもクラスのボス的存在に嫌われて自分が悪いみたいな理不尽なことが起きてとても辛かったです。そして、実習明けの同時期に、就職のため英検2級を自主的に受けたのは良かったですが、同期の英検2級を持つ女性がTOEIC受けて700超えしたという虚言をつかれ、色々ストレスがピークを達してLINEで自分が暴れるという事件を起こしてしまいました。人生初同期生の女性にLINEで告白することもあったが、今思えばオール巨人「パンパンやな」でした。自分も冷静さを失い、良くなかったですが、その時に、ボスに言われたのが、「お前は猿以下の知能か?」という発言は、未だに覚えていて、とてもショックで悔しい思いをしました。そして、4年生への進級確定をしたこと共に、休養ということで1回目の休学をしました。
2021年1度目の休学
この年のハイライトは本格的なTwitterの活動開始と、普通自動車免許(AT限定)を一発合格で、スピードコースで取得したことと、漢検2級に合格した事です。そして、スピったせいか「どうせ有名人なら復学して卒業する」「意地でも卒業する」という謎の力で乗り越えました。ちなみに、冬は当時、家の給湯器が壊れたため、近くの温泉に自分が運転して何回も温泉とサウナに入って心と体を整えていました。
2022年専門4年生
この年はメンバーが一気に変わって本格的な4か月間の長期臨床実習が始まりました。その時に出会った1人の作業療法学科の同じクラスの女性が、気にかけてくれてLINEをよくしてお世話になりました。しかし、何かの勘違いで「アナタはタイプではないです」というハプニングが起こりましたが、その人は自分と一緒に、病院が開いた学校で行われた就職プレゼンテーションを受けて廊下で、2人きりで話し合い「この病院は優秀な理学療法士の先輩が働いているし、良いところだと思うよ。」という自分のアドバイスを受けて、彼女はその病院で新卒で就職しました。(その後、毎年卒業生として来校して、後輩に対してプレゼンテーションをしています。)この年は自家用車があったため、車の通勤で実習を受けたため、徹夜せず済みました。車内音楽はHIPHOP(Awich・ANARCHY・ドクタードレー・スヌープドッグ・漢a.k.a.GAMI・D.Oなど)の音楽ばかりかけて鋼のメンタルで乗り越えましたが、コーヒーと午後の紅茶の飲み過ぎのカフェイン過剰摂取で臨床実習を修了後の10月からの国試対策でスピって眼振(目の痙攣)とフリーズが起きて2度目の休学をしました。ちなみに1回目の老健の実習(2ヶ月間)はスーパーバイザーとの馬が合い、様々な利用者様とのやり取りがあり、とても有意義な時間を送りました。また、事務局長に評価されて「うちで働かないか?」と絶賛されました。ですが、2回目の労災病院(2ヶ月間)で、コロナ禍というイレギュラーな厳しさがあり、医療従事者専門の高いマスクの着用や検温などがありました。しかし、パワハラされていつもなら実習生の記録されるレポートすら記録(保存)されないという屈辱的なことがありました。その無理が祟ってストレスで身体が不自由になったのでしょう。そのため、ギリギリ単位を取得できました。でも、学校の作業療法学科の学科長にレポートの添削などお世話になったので、御恩はあります。仕事とはいえ、とても辛い時期に自分のことを思って支えてくださり本当にありがとうございました。余談ですが、自家用車で映画館まで運転して、『ONE PIECE』の劇場版第15作である『ONE PIECE FILM RED』を見て隣にいたおじさんと一緒に涙を流しながら見ました。Adoのウタがとても良かったです。
2023年2度目の休学
この頃は作業療法士として働くことを完全に諦めていたが、卒業だけはしたいという強い気持ちがありました。この時は資格として電車通いで「介護職員初任者研修」を修了しました。そこで、出会った還暦すぎた元看護師の先生に気に入ってもらい、円満の形で合格したことを覚えています。その先生の格言は「できるできないじゃない、やりゃあええんよ」というのは今でも教訓にしてます。そして、眼振とフリーズが治らないためプラス2年間休学して通信制の大学を通うダブルスクール構想を練りましたが、資料請求したさいに届いたはがきで「教員とのZOOM面談できます」というのがあり、面談したら「専門卒で3年次編入学をしたら単位が半分になり、学費も半分になる」という美味しい話を聞いて、その時は昔の夢だったプログラミングを学びITエンジニアになるということを思い立ち、IT系であり情報系の大学に入学しようと決めました。※ちなみに休学は専門学校では最大2年間しかできなかったので、フルに使いました。
2024年専門4年生
そして、国試対策が始まり体調不良は治りませんでしたが、新たなメンバーがみんな優しくて優秀だったため、「このメンバーなら卒業できる」と思い、勉強を頑張りました。そして、丁度祖父の七回忌で親戚と集まり食事しましたが、その時にもらったら3~4万円のお年玉?が功を奏して、ラーメン食べたりジュース飲んだりして息抜きも出来たのと、過去問の参考書であるクエスチョンバンク(QB)2冊と、ヒントレ(丸バツ式)2冊を、何十周も繰り返し読んで勉強しました。そして、単位取得のための模試を何回も受けて合格点に行き、無事6回生で卒業できました。卒業確定は2023年12月に学科長からお知らせがありました。そして、情報大に編入学して、X(旧Twitter)で、京都大学の吉田寮の存続の署名したことをキッカケに「京大ITエンジニアサークル5スキップ」に所属してGoogle Meetでプログラミングの勉強をしたり新しい道を歩みました。当時のTBS『SASUKE』でふんどし男の山下裕太さんが、3rdステージまで進出した彼が京都大学OBの「京大SASUKEサークル」の創設者で憧れがあったので、誘いがあった時はとても嬉しかったです。余談ですが、理学療法学科の同期生で1年生を3年以上経験してその当時2年生であった同じく6年間在籍したレジェンド学生(父親が県内の理学療法士協会元会長で、自分の実習先が仕事場で出会ったため、直接挨拶しました。)がいましたが、自分が卒業した同じ年に中退しました。作業療法学科のとある同期生は「作業療法士の大人が汚い」と、ヒステリックになっていましたが、それも一理あるかもしれません。しかし個人的には「作業療法士の大人」たちに「鍛え磨かれて」且つ「愛と優しさ」があり、社会人として生きる上の教育を施してくださったので、色々と感謝しています。こんな破天荒な自分ですが、6年間大変お世話になりました。
【歴代1位の記録】
🏆卒業論文を2個提出
🏆2度の休学を経て6年かけて卒業
🏆卒業直後、4年制大学への3年次編入学
【おまけ】
臨床実習 ABC全て修了した記念と学んだことを残した2023年2月の備忘録を以下に共有します。
【臨床実習B】3年生 1ヶ月✕2回
初めての長期実習でとても緊張して、OSCEが通ったばかりの覚えたての知識(ROM-TやMMT、HDS-Rなど)をフルに活かして挑んだ印象があります。初めてROM-Tをする際は頭が真っ白になってどうすればいいのか分からなくなる現象が起こるので怖い所はあります。しかし、早朝からリハ室に入る為、その間に資料を読み漁ることができるので実習中は準備が徹底的に出来るメリットはあります。また、実習先にもよりますが、先輩OTRが色々と教えてくださる場合が多いので素直に「教えを乞う」気持ちで毎日過ごせば良い実習になると思います。これは蛇足ですが、時自家用車がなかったので朝5時起きで電車通勤しないといけなかったのが個人的に辛かったです。その為、車があると有利に働きます(4年の臨床実習Cでは車が大活躍でした)
【臨床実習C】 4年生 2ヶ月✕2回
1年間の休学明けで挑むという学校史上初(?)のことをしましたが、年の功で「なんとかなる精神」で前向きに取り組んだ印象があります。ブランクはありましたが4月にクラスメイトとOSCEの復習をしたお陰で問題なかったです。裏返せば
OSCEを修了したら臨床実習はクリアできるのも同然と言えます。2ヶ月という長期実習ですが、実習指導者が語った言葉を借りて言うと「臨床実習Bの延長版」と思って大丈夫です。その為、実習先の環境に慣れて精神的に安定していれば難なく終えることが出来ます。基本的に見学する時間の方が長いので、利用者様(患者様)とのコミュニケーションが重要になります。十人十色ですが優しい方が多く「人生の先輩」としての金言が聴けるのが醍醐味だと思います。そして、2ヶ月という長い期間のせいか「ここで働いている気分」になります。後、人間関係がモノを言うので相性が悪いと理不尽な思いをする場合がある為、気をつけた方がいいとは思います。
全体通して学んだことは作業療法士のいろはと一緒に社会人に必要な「報連相」や「礼儀やマナー」を知ることが出来る良い機会だと思いました。また、実習から帰った後は友達と LINEとかで交流したり休日ゆっくりして息抜きしながらやっていけば充実した日々になると思います。
では、またお会いしましょう!!!
バイバイ👋!!!
