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未来は「逆算」できない。小学校受験のレールを降りて、点と点を繋ぐことにした話

スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式でこう言った。

"You can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward.“

Steve Jobs, Stanford University Commencement Address (June 12, 2005)

「未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って初めて、点と点を結ぶことができる」

私には6歳と9歳の娘がいて、乳児期からさまざまな教育を受けさせ、小学校受験も経験した。

その受験界隈などでは「設計」や「逆算」という言葉をよく耳にする。

合格というゴールから逆算して、必要な知識や経験を効率よく与え、子供を最短距離で導くのだという。

この考え方も一つの戦略だろう。

しかし、私自身のキャリアや、今まさに爆発的な好奇心を見せている娘たちの成長を見ていると、人生は設計図通りにはいかないという事実にこそ可能性があるように思える。

今回は、私の過去の「点(Dots)」の話をしたい。今の私の価値観の土台となった、10代後半から20代前半の話だ。

私は機械工学を専攻しており、世間の大学生がサークルや自由な時間を楽しんでいる間、私はほとんど研究室にこもっていた。

華やかなキャンパスライフとは無縁で、側から見れば、閉ざされた世界にいる孤独な学生に見えただろう。

しかし、その閉じた部屋の中で、私の頭の中はカオスのようだった。

ある時、教授と話をする中でC. elegansという実験用線虫の存在を知った。体長1mmほどの透明な虫だが、神経回路の全容が解明されているモデル生物だ。

一般的な機械系の学生には関係のない話だが、私はその生命システムの精緻さに分野も超えた普遍的な美(Sense of Wonder)を見た。

私はオートクレーブや培地の概念すら知らなかったが、ある先生に連絡し、線虫を譲り受けた。資料を見て相談しながら環境を作り、ひたすら顕微鏡を覗き込んだ。

当時は、これが将来何の役に立つかなんて、これっぽっちも分からなかった。就職にも有利にならない。ただの知的好奇心の暴走だ。

引きこもり生活はそれだけではない。

図書館では物理学の歴史を貪り読み、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』や『虹の解体』に影響を受け、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』で自然への畏敬の念を学んだ。

クラシック音楽やピアノにも没頭し、カオスの中に潜む数学的な秩序に美を見出した。

そして出会ったスティーブ・ジョブズの伝記。彼が自身の会社を追放され、NeXTで苦闘し、やがてAppleに戻り世界を変え続けた軌跡。

当時お金がない中で買った初期のiPodには、説明書がなかった。直感でわかるという機能美。就職してから発表されたiPhoneの美しさと彼のプレゼンには感動を覚えた。

ただただ自分の感性に従って深く潜った時間。当時は意味のある時間だと思ってなかった。

しかし振り返ってみれば、それは物理学、生物学、哲学、芸術といった世界の真理と直接対話する、かけがえのない時間だった。

そして今、私は外資系企業でグローバルビジネス環境に身を置いている。そこで求められるのは、小手先の語学力やマナーではない。

「本質を見抜く力」「異なる領域を繋げる力」「普遍的な価値を理解する感性」などだ。

今になってようやく朧げに見えるLooking backward。

あの研究室やその後の人生で、ひたすら「点」を打ち続けた日々が、私のグローバルな生存戦略の土台になっていった。

そして今、私は父親になり娘たちを見ている。

長女は、寄生虫博物館でサナダムシに魅入られ、カマキリを操るハリガネムシの生態を面白いと言う。

次女は、目に見えないミクロの世界に興味を持ち、なぜか長女に以前渡したセロトニン分子の構造模型を絵に描き、元素記号表を書き写して覚え始めた。

私が彼女たちに「将来、理系に進むと有利だから」と言ってやらせたことなど、一つもない。

私が孤独な時間の中で愛し面白がってきた世界を、彼女たちが勝手に拾い上げ、彼女たち自身の文脈で点を打ち始めた。

もし私がお受験に有利な体験だけを効率よく設計し、最短距離でゴールを目指させていたらどうなっていただろう?

サナダムシもセロトニンも、すべて無駄なものとして排除されていたと思う。

小学校受験合格に向けていろいろ経験させたい親の気持ちはわかる。

子供には失敗させたくないし、少しでも良い環境を与えたいと思うのは当然だ。

しかし、本当の教養や感性は、効率よく設計されたルートからは生まれにくいのも事実だろう。

役に立つかどうかも分からない「点」を、夢中で打ち続けた先にしか見えない景色がある。

その時は無意味に見えても、振り返った時に初めて一本の線になる。

私は、娘たちの「点」をコントロールしようとは思わない。

ただ、彼女たちが「変なこと」に夢中になった時、それを面白がれる理解者でありたいと思う。

かつて私がジョブズのプレゼンに震えたように、いつか娘たちが自分自身の言葉で、自分だけの「Connecting the dots」を語る日が来ると信じている。


レールを降りた先で何が起きたかのは、この記事に書いた。

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