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IT&Scienceでナレッジマネジメントを再構築する -第2回:「背中を見て学ぶ」は古いのか

第1回の振り返り ― AI時代、SECIモデルの重心は変わる

前回は、AI時代におけるナレッジマネジメントの変化について整理した。

従来、企業では「暗黙知を形式知化すること」が重視されてきた。ベテランの経験を文書化し、マニュアル化し、組織全体で再利用する。これはSECIモデルでいう「表出化(暗黙知→形式知)」と「連結化(形式知→形式知)」にあたる。

しかし生成AIの登場によって、この構造が変わり始めている。

AIは、知識の整理・要約・構造化が極めて得意だ。つまり、これまで人間が時間をかけていた「形式知化」の多くがAIによって代替・支援される時代になった。

その結果、人間の価値は、

知識を作ることから、知識を使いこなすこと

へ移っていく。

その際に重要になるのは、

共同化(暗黙知→暗黙知)と 内面化(形式知→暗黙知)

の部分である。

特に私は、

「どうすれば人が暗黙知を獲得できるのか」

が、AI時代のナレッジマネジメントの本質になると考えている。

今回はその中でも「共同化」に焦点を当てたい。

「背中を見て学ぶ」は本当に時代遅れなのか

近年、「職人の世界のような“見て覚えろ”は古い」と語られることが多い。

何も教えずに、「俺の背中を見て覚えろ」「場数を踏めば分かる」では、属人的で再現性が低いため、情報過多で動きの速い現代では学習効率が釣り合っていない。だから学ぶよりも誰でもできるようにマニュアル化しろ、自動化しろ・・・

ただし、背中を見て学ぶことは属人的であることに価値がある「プロスポーツ選手」や「職人」のような世界では今でも必要ー

しかし一方で、一般社会の中で背中を見て学ぶという考えが極端に否定されることにも違和感がある。

なぜなら、どれだけマニュアルが整備されても、

実際に横で見て学ばないと伝わらないもの

が確実に存在するからだ。

IT現場でも同じである。

たとえば障害対応。
AIに聞けば、一般論としての切り分け手順は出てくる。
監視確認、ログ分析、依存関係確認、影響範囲特定――。

しかし現場で強い人は、そこに独特の感覚を持っている。

「この症状なら認証系が怪しい」
「このエラーはネットワークっぽく見えてDB側だ」
「ログより先に設定差分を見る」

こうした判断は、教科書だけでは身につかず、経験の中で培われる。

つまり、

“背中を見て学ぶ”自体が不要になったわけではない

のである。

問題は、

“なぜ学べる人と学べない人がいるのか”が説明されていないこと

だと思う。

ここにIT&Scienceの考え方が入る余地がある。

共同化を「感覚移転」ではなく「認知更新」として見る

SECIモデルにおける共同化は、暗黙知 → 暗黙知である。一緒に働く、観察する。真似することで知識が移転すると説明される。

しかし、この説明だけでは抽象的すぎる。

なぜ同じ現場にいても成長差が出るのか。なぜ同じベテランについていても、吸収できる人とできない人がいるのか。

IT&Scienceでは、ここをより構造的に捉える。

私は、

共同化とは「認知モデル更新プロセス」である

と考えている。つまり、人は単に経験しているのではなく、経験の中で、

  • 何を観察したか

  • 何を仮説として持ったか

  • なぜそう判断したか

  • 結果はどうだったか

  • 次にどう修正するか

という認知更新を行っている。

ここがIT&Scienceで述べている学習の本質だ。

たとえばベテランが障害対応で「まず設定差分を見る」と判断したとする。

新人が単に真似するだけでは再現できない。

重要なのは、

「なぜその判断をしたのか」を理解すること

である。

過去の類似障害。
依存関係の構造。
起こりやすい失敗パターン。

その背景モデルが分からなければ、別の場面で応用できない。

つまり、

共同化とは行動コピーではなく、判断モデルの移転

なのだ、と考えることができる。

「感覚」の正体は何か

ここで重要なのが、“感覚”の捉え方だ。

ベテランほど、「嫌な予感がする」「何か違和感がある」と言う。これは属人的な才能に見える。

しかしIT&Scienceの視点では、これは超能力ではない。

多くの場合、

膨大な経験から形成された高圧縮なパターン認識

である。

理系的に言えば「無意識レベルで特徴量を見抜いている状態」だ。

ログの微妙な差。
時間相関。
設定の癖。
過去事例との類似性。

それらを脳内で統合し、“違和感”として感じている。

つまり感覚は、説明不能なものではなく、構造を持った認知能力なのだ。

だからこそ、再現可能性を高められる。

現代版「背中を見て学ぶ」とは何か

ではAI時代における共同化はどうあるべきか。

私は、“観察の構造化”が重要になると考えている。

従来の共同化は、「とにかく経験しろ」だったが、現代では「見るべきポイントの設計」に変化している。

たとえば新人教育なら、

「今、何を見た?」
「なぜそう思った?」
「次に何を疑う?」
「もし外れたらどう考える?」

という問いを置く。

つまり、“どこを見ると勘所が見えるのか”を構造化するのである。

ここで言う構造化とは、単なるマニュアル化ではない。

判断プロセスを分解し、

観察 → 仮説 → 判断 → 結果 → 修正

という学習サイクルを可視化することだ。

これによって、「センスがある人しか育たない」という状態から脱却できる。

共同化を、偶然の経験主義から再現可能な学習へ変えられると考える。

AI時代に人間が育てるべきもの

AIが形式知を大量供給する時代では、知識不足は減っていく。

しかし逆に、知識をどう使うかの差が大きくなる。

だから共同化の価値は、「知識を伝えること」ではなく、“感覚を育てること”へ移る。

そして、その感覚を偶然任せにしない。

ここにIT&Scienceが入る。

次回に向けて

次回は、SECIモデルのもう一つの重要領域である「内面化」を扱いたい。

なぜ人は「知っていてもできない」のか。そして、暗黙知を獲得する科学とは何なのか。

AI時代に最も重要になる“学びの構造”を整理していく。

こんなことを言ってはいるが、私も現場の組織マネージャとしてこの構造ふまえた人材育成には苦戦している。どうすれば学びの質が向上し、個々がレベルアップし、組織が強くなっていくか、そのあたりも(自分のためにも)整理していきたいと思う。

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