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第9回:なぜPoCは量産され、成果は出ないのか― 教育から変えなければ、DXは動かない

第8回のおさらい

『仮説がないDXは作業にすぎないーなぜPoCは形骸化するのか』と題して、意思決定につなげるための仮説と検証の重要性、そして仮説には「どこを疑うか」がポイントとなることを整理してきました。

PoC疲れの根本原因はどこにあるのか

企業や自治体で「PoC疲れ」が起きています。
何度も試しているのに、成果につながらない。

この問題は現場の運用やツールの問題として語られがちですが、本質はもっと手前にあります。

人が「仮説を立てる訓練」を受けていないことにあると考えられます。

教育は「解き方」を教えすぎている

現在の教育は、基本的に次の構造になっています。

・問題が与えられる
・解き方が決まっている
・正解にたどり着く

このプロセスは効率的ですが、副作用があります。

「何を問うか」「どこを疑うか」を考える力が育たない。

つまり、

・問題は与えられるもの
・答えはどこかにあるもの

という前提で思考が固定されてしまいます。

少し脱線ー
私が大学生の時は、授業の課題に取り組もうと思うと
図書館に籠ってヒントを探しつつどうにか考えるのが通常でした。

少したって、google検索が一般的なものになり、
あっという間に調べてくれるのは画期的でしたが、
相変わらず自分で考えることは必要でした。

最近は生成AIにより、”答えらしきもの”が
簡単に手に入るようになりました。
怖いのは、その”答えらしきもの”で、
まあまあ物事が進められてしまうのです。

誰も疑うことをしない!!

DXで求められるのは逆の力

DXの現場では、答えがあるという前提とは
状況がまったく異なります。

・そもそも何が問題か分からない
・何を変えるべきか分からない
・どこが効いているか分からない

この状態で必要なのは、

**「どこを仮説として置くかを決める力」**です。

つまり、

・どの要素が支配的か
・どこに介入すれば変化が起きるか

これを自分で設定する必要があります。

仮説とは「どこを見るか」の意思決定である

仮説というと、「こうなるはずだ」という予測と捉えられがちです。

しかし本質は違います。

仮説とは、「全部ではなく、ここを見る」と決めることです。

これは言い換えると、

・何を捨てるかを決める
・どこに集中するかを決める

という意思決定です。

この力がなければ、PoCはすべて「とりあえずやる」になり、単なる作業に変わってしまいます。

教育で育てるべき3つの力

教育段階で何を変えるべきは次の3つではないかと思います。

① 問いを立てる力

与えられた問題を解くのではなく、
何を問題とするかを定義する力。


② 仮説を絞る力

あらゆる可能性を考えるのではなく、
「ここが効いているはずだ」と決める力。


③ 小さく検証する力

完璧な正解を求めるのではなく、
試せる形に落とし込む力。


これらはすべて、従来の「正解を出す教育」とは異なる方向性です。

「正解主義」から「仮説主義」へ

DXを前に進めるためには、発想の転換が必要です。

・正しい答えを出す → 仮説を立てる
・ミスを避ける → 試して学ぶ
・網羅する → 絞り込む

つまり、

「正解主義」から「仮説主義」への転換です。

学校教育のシフト

現在の小中高の学校教育では、「探究学習」「課題解決型学習」などのカリキュラムで、これらの力を養うことに取り組んでいます。

多くの児童・生徒がしっかり身に付けられればよいのですが、他の学問以上に活用場面の想像がつきにくく、習得が難しいものと思います。

また、学校教育とビジネス現場との一番の違いは、

「どこを捨てて、どこに賭けるか」という意思決定の重みです。

学校教育では、間違えても基本的にリスクは無いですし、
評価はプロセスや表現が中心です。

ビジネスの現場では、仮説を外すとコストが発生し、
どこに賭けるかが成果に直結します。

重みの違いから考えるに、

学校教育で特に不足しがちなのは、「② 仮説を絞る力」
だと感じています。

現場で起きていることは教育の延長

PoCが形骸化するのは、現場の問題ではありません。

教育で、

・問いを立てる経験がない
・仮説を持つ習慣がない
・検証の設計をしていない

この状態のまま社会に出ると、

「とりあえずやる」しか選択肢がなくなる。

その結果が、PoCの量産になっているのではないでしょうか。

DXを変えたければ、ツールを変える前に人を変える必要があります。

そして人を変えるには、教育を変えるしかありません。

どんなスキルを教えるかではなく、どんな思考を育てるか。

第10回に向けて

第9回では、PoCという名の単純作業が量産されやすい状況について、学校教育とDXに必要な教育との違いの面から整理してきました。

ちなみに、私は「正解主義」的なインプット型の学びは好きですし、社会に出ても必要だと思っています。学校教育だけでは「仮説主義」的なアウトプット型の学びが不足しているのだろう、と感じており、これがお伝えしたかった点です。

第10回は「意思決定の責任」に対して、データドリブンの意思決定という点からアプローチしてみたいと思います。

データドリブンと言いながら、最終判断は人が下す。DX人材教育で抜け落ちがちな“意思決定の責任”を扱う。

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