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農法note:慣行農法以前の農業のかたち

今回は慣行農法に先立つ農業について、中世まで遡ってみたいと思います。

ワインの文脈ですので、焦点はヨーロッパに当てています。

「数の子のようにくっついていて」見分けがつかない集団としての農業から、個人が創意工夫を凝らす囲い込みへの発展は、社会構造の変化と分かち難いものです。

このような歴史を振り返ると、慣行農法から有機農法、さらにサステイナブルからリジェネレイティブ農法へと移り変わる今日の動きも、社会の変化とともに生じている現象として理解できるでしょう。

また次回は「慣行農法」について書く予定です。


開放耕地での農作



有機農法の父と呼ばれるアルバート・ハワード卿の著書は、ヨーロッパの農業がどのように発展してきたかを知る上で非常に興味深いものです。それを読むと、ヨーロッパの農法がゆっくりと、しかし確実に変化してきたことがわかります。


中世の農業は、柵のない**開放耕地制度(open field system)**のもとで営まれていました。耕地は細長い帯状に区分され、複数の農民が共同で管理していました。村落単位での運営であり、個人が独自の試みを行うことは好まれませんでした。司馬遼太郎の表現を借りれば、人々は「数の子のようにくっついていて」見分けがつかない存在であり、個人としての自我の発達はむしろ美徳とされなかったのかもしれません。


農法は二圃式または三圃式(あるいはその混合)でした。二圃式では、耕地を二つに分け、一方に大麦や小麦、ライ麦などを植え、もう一方を休耕地として家畜を放牧し地力を回復させます。人間は自然のサイクルに従う存在であり、自然を支配する立場にはありませんでした。この姿勢は、現代の自然農法を志す人々の精神にも通じるものがあります。


しかし現実は厳しいものでした。土地は共同所有であり、個々の農民が丁寧に管理する仕組みではなかったため、生産性は低迷しました。肥料としては人間の排泄物が使われる程度で、窒素やカリウムなどの栄養素が十分に補給されず、収量は限られていたのです。


ランブール兄弟作《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》より《7月(ポワティエ城)》1412年頃。


囲い込み運動と社会の変容


13世紀から19世紀にかけて、**囲い込み(Enclosure)**が徐々に進みました。とりわけイギリスでは、共同地に柵を設けて私有地化する動きが広がりました。土地が痩せ、牧草地化が進むにつれ、小作農たちは土地を追われ、生計の道を失い、プロレタリアートへと転落しました。この変化は社会構造を根底から揺るがすものでした。行き場を失った人々は反乱を起こすこともあり、数世紀にわたる社会的・経済的変革が続きました。


19世紀に入ると囲い込みはようやく収束に向かい、イングランドでは1876年の法律によって「公共の利益に資する場合にのみ囲い込みを認める」と定められました。


多くの悲劇を生んだ一方で、囲い込みは「必要悪」とも言われます。個々の農民が自らの土地を所有することで、責任と創意が芽生えました。新しい作物や農法、農具の改良などが次々に生まれ、農業と社会の発展を促したのです(Kings and Generals, 2021)。


サミュエル・ウェイル《ケットの反乱》18世紀後半作。 1549年、ノーフォークで囲い込みに反対する農民が蜂起し、指導者ロバート・ケットのもと約16,000人が集結した。


ノーフォーク四圃式農法の登場


この流れの中で確立されたのが、**ノーフォーク四圃式農法(Norfolk four-course rotation)**です。冬でも育つカブの導入により家畜を通年で飼育できるようになり、放牧地には窒素固定能力をもつクローバーを栽培。牧草や家畜の排泄物は堆肥となり、畑に栄養を還元します。農耕用具の改良も進み、耕作効率は格段に向上しました。


結果として、作物の収量も家畜の体重も飛躍的に増加しました。たとえば1710~1795年のスミスフィールド地区では、収量と家畜の体重がともにおよそ2倍に増えたと報告されています(Howard, 1947)。これらの進歩は「農業革命(Agricultural Revolution)」と呼ばれます。



農業革命の意義と現代への示唆


今日、サステイナブルな農業を志す人々は、この囲い込み後の農法から多くを学んでいるのではないでしょうか。


囲い込み以前、人々は領主の所有物、あるいは小作農として生き、自立した個人ではありませんでした。囲い込みによって生まれた個人農の試みは、農民の自立の萌芽となりました。


一方で、囲い込みは、農民を土地から追い出し、彼らを「自由」な労働者として都市に供給しました。この「自由」とは、もはや自給できる土地を持たないという意味でもあり、彼らは自らの労働力を売るしかなくなりました(Thompson, 1963)。サステイナブル農業というのは、経済的自立が前提であり、それができない場合の社会の冷酷さは現代でも同じかもしれません。


農業革命における収量を高めようとする努力は、単なる自然への従属ではなく、自然との格闘でもありました。


現代においては、ビジネスとして持続可能な経営を目指すために、収量だけでなく品質の追求も欠かせません。農業は同時に、個人の哲学や美意識を体現する表現の場ともなっています。こうして自然と人間の関係は、より複雑で動的なものへと変化してきました。


自然とどう向き合い、社会の中で農業をどう続けるか――多くの農家にとって切迫感のある問いであり、手に取って重量を計れるほどに具体的な課題でしょう。



産業革命と都市衛生の課題


1760年代、イングランドではもう一つの革命、すなわち産業革命が始まりました。都市人口が急増し、食料の需要が爆発的に高まります。従来の混合農業だけでは生産が追いつかなくなり、同時に都市の衛生問題が深刻化しました。


かつては人々の排泄物を農地に運び、肥料として再利用していましたが、都市人口が農村を上回ると回収が追いつかなくなります。結果として街には糞尿が溢れ、ロンドンやパリの河川は悪臭を放ちました。ロンドンでは1865年に下水道が整備され、衛生状態は改善されました。しかし、この段階で人間の排泄物は農地に還元されなくなります。増え続ける都市人口と不足する肥料に対処するため、社会は新たな農業革命を喉から手が出るほどに必要としました。農業生産力の向上は国力に直結する緊急課題であり、都市の発展を支えるための新しい肥料と農法の模索が始まりました。

次回へと続きます。


農法シリーズは以下もご覧ください。

• 「有機農法とは」
https://note.com/dapper_stoat3295/n/na751eeb8b0a1

• 「ビオディナミ農法の真実」https://note.com/dapper_stoat3295/n/nf24653b6fad2


また、農業の変遷や現代の農業についてどのように感じられたか、ぜひコメントでお聞かせください。

参考文献

  • Albert Howard, The Soil and Health: A Study of Organic Agriculture (1947). [Kindle edition] Available at: https://www.amazon.fr/Soil-Health-Study-Organic-Agriculture/dp/1849025142

  • Kings and Generals (2021). Enclosure: How the English Lost Their Lands. [Online video] Available at: https://www.youtube.com/watch?v=uedPl9vGt4c

  • Thompson, E. P. (1963). The Making of the English Working Class. London: Victor Gollancz.





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