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レフト イズ ライト 令夫人の忘れもの あるいは 裏切られた世代 Betrayed Generation 第四話

(創作大賞2025応募作品)

 樺沢さんは中学、高校も修学旅行で海外に行って、すさまじい格差を目の当たりにして、ボランティアを始めたんだそうだ。
「そんなに前から?」
「本も読んだりして、それで大学も経済学部に入ったんです」
 ぼくは修学旅行と言っても、京都、奈良で寺の建築や仏像を観て、なんの衝撃も受けなかったし、学びもしなかった。修学という意味では広島もそうだ。被爆者の言葉は怪談のようだったし、話を聞いている途中にクラスの誰かが寄っかかったガラス窓を割ってしまったので、余計に怖かったという思いしかない。平和記念資料館を見た後は、原子力は危険で怖いので認めないという思いが刻まれたけれど、学問的な修学という意味では何もない。
そんなことを思っていると、神野さんの声が聞こえてきて今に引き戻された。
「それでボランティアをしている仲間と付き合って、今度結婚もすることになった」
「え」
 思わず声が出てしまう。
「と氷見が言っていた」
「はは」
 樺沢さんが左手を後頭部にやって照れている。思わず樺沢さんの相手が近くにいるだろうかとあたりを見回してしまったが、ぜんぜんわからない。さっきの12人の中にいたのだろうか。
「お前もボランティアをしたらモテるかもな」
 神野さんがすこし にへらとした顔で言うので
「なるほど」
 と返したら
「おい、冗談だ」
 冷たく突き放されてしまった。

- THINKING -
 最近 ぼくは神野さんと共にホテル近くの公園を巡回している。神野さんが「どうせお前は頭で考えるだけで、行動しないんだろう」と、ぼくを誘ってきたのだ。ザ レフト ホテル神山は、ホテリエの健康を考慮しているので、隔日で早番、遅番などという無理なシフトは存在しない。今月の前半 神野さんは早番終わりが続く。従って、連日と言っても、週四日 仕事終わりに神野さんと公園に行っている。ベンチに近づいては、本を確認するのだが、これを一人でやっていたら不審者だ。二人でよかったとつくづく思う。
二週間観察してわかったことは、文庫本は誰かが持ち去るらしく、ぼくらが夕方に行った時には、すでにないということだ。本が気に入られたのか、それとも古本屋に売るためなのかはわからない。けれど、「紙の本普及」という栞を読んだら、本を読まずに古本屋へという人は少ないのではないだろうかと思う。一方、いくつかの大きな公園では単行本がベンチの座って右端にそのまま置いてあるということもあった。氷見さんのことだから、ゲストに対するのと同じように、本の内容や厚さを考慮して、読み終えただろう時期に次の本を置いているのだろう。毎日 氷見さんにどこに何を置いたかを聞いているわけではないぼくらには その本がさっき置かれたばかりなのか だいぶ日数が経っているのかもわからない。けれど、時折、一冊か二冊が置かれたままになっていることがあった。大きな公園では数冊を置くということなので、氷見さんの意中の人がそのうちの読みたい本だけを持って行ったか、誰か別の人が一冊だけ持って行った、そういうことなのだろう。つまり、氷見さんの能力をもってしても、お勧めの一致度が100%ではないということだ。ただ、ぼくらがこの間お弁当を届けに行った公園でだけは、本が一冊も残っていなかった。
「どう思う」
 神野さんの問いに ぼくはこう答えた。
「どうも他の公園では 氷見さんは本が回収されないことで、相手の好みを把握しようとしているようですね。まるで人類学で言う沈黙交易のようです。つまり、直接好みを聞いたりはしないけれど、本を通じた双方向の意思表示をしているんだと思います。氷見さんが本の普及を始めて二年ということだったので、それでもまだ残っている本があるということは、結構相手の好みを知るには時間がかかるようですね。それでも、この公園だけは、お勧めされた本がすべて回収されています。つまり、読まれている。これはこの公園にいる人を 氷見さんがよく知っているということを意味します。おそらく、本を置くことを通じてというよりも、以前から知っていたんでしょう」
「ホテルのゲストということだな?」
「氷見さんは ぼくらにそうしたことを知られたくないんだと思いますけどね。もちろん そのゲストも」
 ホテルに泊まっているのに、普段は公園で暮らしているというのは、知られたくないだろう。氷見さんもそのへんを気遣って、誰にも言わないのだと推察できる。
「氷見もなかなかやるものだな。お前も見習って、なにか行動をしたらどうだ」
 神野さんの言葉は、ぼくの痛いところを突いた。いやあ、はははなどと笑ってごまかそうとしていると、神野さんはいつもより声を一層低くして核心を突く質問をしてきた。
「お前はそのゲストの正体に当てがあるのか?」
「さあ どうでしょう」
「お前は嘘が下手だ」
「えー なんでですか」
「その発言は嘘だと認めたことになるぞ」
「認めていません」
 ぼくが言い切っても 神野さんは言質を取ったとでもいうように 勝利の笑みを浮かべていた。

 電話が鳴った。この音は外線だ。幸い暇な時間なので、お待たせすることもなく 出られる。画面には公衆電話からと表示されている。
「ザ レフト ホテル神山でございます。フロントの宇羽川が承ります」
 受話器からは以前に聞いたことのある鼻にかかった声が聞こえてきた。彼女は自分の名前を告げた。令夫人である。その声で記憶の中の彼女が令夫人だったということがわかり ぼくはやはりそうだったかと思った。令夫人は続けて言った。先日、カフェを利用した際に、男物のブレスレットを置き忘れたかもしれないというのだ。
「忘れ物がそちらにありませんでしょうか?」
 ぼくは念のため、日付とブレスレットの特徴を質問した。既に調べておいた令夫人の忘れものと特徴が一致した。電話があったことと、彼女の境遇から、やはりブレスレットは大切なものだったのだとわかった。明日、取りに来ると言う。やはり晴れの予想が続く日だった。

けれど、天気予報は外れて、雨が降った。だから、令夫人は現れなかった。
「宇羽川 令夫人来ないな」
 フロントで先輩が不満そうに言う。令夫人は晴れの日にしか来ないということは彼が教えてくれた。だから、来ないことは予想できたはずだ。そう説明すると、
「いやあ、けどそれは宿泊の時だけだと思ってさあ。忘れものでもダメなのかなあ」
 と言う。ぼくは今年と去年、令夫人がカフェを利用した日の天気を調べた。両日とも梅雨の合間の晴れだった。今日は雨だが、台風や低気圧は日本列島の近くには存在していない。従って、低気圧で頭痛などの体調不良が起こる気圧症ではないと判断できる。そうなると、残された可能性は物理的な問題だ。例えば、住んでいるところが川の近くで、雨が降るとすぐに増水するので、家から出られない。暗渠の近くではそういうことはよく起こる。ただ、彼女の住んでいるところは増水の心配はない。道がぬかるみになって、靴が泥だらけになることを避けたいということかもしれない。または、たぶんこれが正解なのだが、彼女の住処をちらっと見た時に目についたあれだ。あの状態ではホテルには来られないだろう。来たとしても、その姿を見られたくはないだろう。けれど、それなら梅雨の時期ではなくて、晴れの多い季節に来ればいいのに。そんなことを考えていると、先輩の言葉が聞こえた。高速鉄道が運転を中止していると言う。令夫人の元の住所からホテルまでの交通機関としては欠かせないから、現れない理由にはなりうる。けど、彼女はそこには住んでいない。先輩には知られたくないだろうから、このことは黙っておく。
 天気予報によると、この先一週間は曇りか雨というはっきりしない天気が続くようだ。そこで、ぼくは自ら忘れ物を返しに行くことにした。あまり遅れると、令夫人が忘れ物を取りに来られなくなってしまうことがわかったからだ。いつも神野さんに行動しないと言われていることが気になっていたし、ぼくも何かができるということを自分に証明したい気持ちが生まれていた。ただ、保管庫から取り出す時に、当然理由は訊かれるだろう。そうなると、令夫人の現在のことを話さないわけにはいかない。どうしたものか。
 ぼくが保管庫の前であーでもない、こーでもないとうろうろしていると、
「不審者発見」
 と冷たい声がして、神野さんと樺沢さんの足音が聞こえてきた。集中しすぎて二人が近づいていることにさえ気づかなかったようだ。ぼくは仕方なしに振り返って 相手をする。
「不審者じゃありません。ぼくですよ」
「そんなことはわかっている。不審な行動をとっている宇羽川を発見だ。なにをしている。ゲストの忘れもののうち、貴重な品を我が物にとでも考えているんじゃないだろうな」 
「いや、そんなわけないでしょう」
 ここは監視カメラが設置されているのだから、本当にそうする気なら、こんなところで怪しげにうろうろするわけがない。神野さんもそんなことはとうにわかっていてふざけているのだ。まったくこの人は、と思いつつ、ぼくは令夫人のことには触れずに、ゲストが忘れ物を取りに来られないので、自分が直接届けようと思っていることを話した。そして、ゲストから依頼されたわけではないが、どうしても早く届けたい。ついては、保管庫から忘れ物を取り出したいが、どうすればいいかと思案していたのだ。
「なるほど」
 神野さんが顎を左手で触ってしばし考えている。樺沢さんがさも簡単なことだと言うように意見を出した。
「ロビーにゲストが来ているからって、言えばいいんじゃないですか?」
「それはまずいでしょう」
 ぼくがそう言うと、神野さんも論外だなと冷たく言った。さすがに、嘘はつきたくない。
「じゃあ、ゲストに届けますって言えばいいんじゃないですか? ルームサーヴィスだってゲストの部屋まで届けますもんね? 」
「けど、そのゲストは今ホテルにいないので」
 これでは堂々巡りだ。すると神野さんが意外なことを言った。
「支配人のところに行って、事情を説明しろ」
 なるほど。ぼくはこういう時、どうしても自分一人で考えて何とかしようとする。だが、神野さんは行動の人だ。そして、誰彼となく巻き込んでしまう。ぼくは自分も行動できる人間だと認めてほしい、自分にもできると証明したいと思っていたけれど、仕事という面で見ても、ぼくが史上最高のホテリエになるためには、こうしたこともできるようになる必要がある。
「じゃあ、支配人のところへ行ってきます」

-PARK-
 勤務時間が終わり、カラフルな制服を脱いで、私服に着替えた。普段は気分が変わるのだが、今日はそうではない。仕事の延長という感覚があって、気持ちが引き締まっている。社員用の通用口から外に出て、大きく息を吐く。やはり緊張しているようだ。これからのことをシミュレーションしていると、背後にある扉のノブをかすかに握る音がした。それからすこし間があって じゃりと一歩踏み出す音がしてから ノブを静かに回しながら離す音が聞こえた。この扉の開け方は神野さんだ。なんでもない顔を作ってから振り返る。後ろには樺沢さんもいた。
「宇羽川 今日も暇だろう? 付き合え」
 神野さんがそう言ってきたが、ぼくにだって用事はある。そう言うと、神野さんは
「どこに行くんだ? 急ぎじゃないだろう?」
 と言ってきた。
「急ぎかもしれないじゃないですか」
 とぼくが抗議すると、
「急いでいる奴は 扉の前で佇んでいたりしない」
 と言われてしまった。さすが保安要員だ。お見通しか。ぼくが事情を話すと、神野さんは「やっぱりな。お前の考えていることはお見通しだ。三人で行くぞ」と思いもよらない提案をする。樺沢さんも にこにこと頷いている。
「いや、さすがに三人で行くのは」
 相手だって困るのではないだろうか。正体に気付かれたことを知れば、恥ずかしいだろうし。それが嫌で忘れ物を取りに来なかったわけだし。そんなことを考えていると、神野さんは意外なことを言った。
「気にするな。考えがある。うまく行けば来週にはお前が驚くようなことが起こっているはずだ」
 ぼくが驚く? どういうことだろう。情報が少なすぎて まるでわからない。そのあとは神野さんは説明をしてくれず、ぼくら三人は公園に向かうことになった。どうやら神野さんは最初からどこかに誘うつもりはなく、一緒に行くつもりだったようだ。照れ隠しなのかわからないが、素直じゃない人だ。もしかしたら、神野さんなりに、近くに住んでいる左利きの女性という情報から、忘れ物をした人の正体に気付いていたのかもしれない。
 既に公園は暗い森の様相を呈している。一人でとなったら怖かったかもしれない。三人一組というのは、この間のお弁当配りと同じで安心する。ぼくらは芝生を横切ると 七戸のある一角に足を向けた。そのうちの一つ、女性の暮らす家の前で ぼくは段ボール製の扉をホテルの仕事の癖で四回軽く叩くと声をかけた。
「忘れ物を届けに来ました」
「はい?」
 穏やかで品のある声だった。そして女性が顔を出した。立ち話もなんだが、かと言って急に訪ねてきた三人組を中に入れてくれというのも無理な話なので、ぼくはさっそくバッグに手を入れた。ぼくがブレスレットを取り出すと、襟がしわしわになったシャツを着た令夫人はひどく狼狽した様子だったが、あきらめたように小さくなると、お礼を口にして両手で大事そうに受け取った。右手首には蚊に刺された痕も残っていなかった。ぼくは恥ずかしく思ってほしくないと伝えたかったけれど、どう言えばいいのかわからない。彼女の人生を詮索したいわけでもない。単に謎の究明に来たついでとでも言う方が、いいのだろうか。そんなことを思っていると、令夫人が樺沢さんの方を見て口を開いた。
「あの いつもお弁当をありがとうございます。あなたがこの方たちを連れてきてくださったのですか?」
 樺沢さんは否定して
「いえ 私は連れてこられた方で」
 と言っている。令夫人が首をかしげていると、樺沢さんは、「これどうぞ」と言って、近所で評判の和庵のロゴが入った和菓子の袋を手渡すと、後は困ったように立っている。見かねた神野さんが口を開いた。
「今日ここに来たのは」
 とぼくをちらっと見て、
「こいつが優しいからだ」
 このセリフのせいでぼくが一切を説明することになってしまった。



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