【さよならニーチェ】1話 金木犀の季節

ふと、
金木犀の香りがした。

思わず足を止める。

どこだろう。
辺りを見回す。

見つからない。

私は、金木犀の匂いが好き。

秋になると、
どこから香っているのか探してしまう。
花を見るより先に、匂いを見つける。

香水やハンドクリームの
金木犀の香りは好きじゃない。

友達には、
違いが分からないとよく言われるけれど、
私からしたら、全然違う。

好きなのは、本物の花の匂いだけ。

私は昔から、
人や場所を匂いで覚えることが多い。

……あれ?

気づけば、
前を歩いていた人が服屋へ入っていった。

この人について行けば、
面接会場にたどり着けると思って、
勝手に目印にしていたのに。

スーツだから、同じ目的地なんだと思っていた。

もう、紛らわしいなぁ。

スマホを取り出して、手のひらに水平に置く。

今、私はどっちに向いてるの?

地図の青いビームを見つめる。

これ信じて進むと、
なぜか毎回逆に行くんだよなぁ。

でも、今日は間違えてる暇はない。

さっさと誰かに聞いて、教えてもらおう。

今日こそ、内定欲しいな。

気持ちを切り替えるように、
面接会場へ向かう足をもう一度動かした。



面接は散々だった。

面接室を出て、出口へ向かう。

広い廊下を歩きながら、
頭の中では反省会が止まらない。

あの質問……。

ちゃんと答えになってなかったな。
緊張して、同じこと何回も言っちゃった。
絶対変な人だと思われた。

恥ずかしさを振り落とすように、
早足で曲がり角を曲がる。

一歩踏み出した瞬間、
靴底がキュッと鳴って足を取られた。

「わっ……」
何もないところで、派手につまずく。

最悪。面接も失敗したのに。
縁起悪…。

視線は落ちたまま、体制を立て直して、
小さくため息を吐く。

……でも、これが漫画だったら。

転びそうになった瞬間、
『危ない!』なんて、イケメンに支えられて。

ふふ。

妄想は止まらず、思わず両手で口元を押さえる。

「ん〜〜〜……」

一人で悶えながら首を振る。

その時だった。
視界の端に、革靴が入った。
誰かいた。絶対に見られてた。
恥ずかしい。
反射的に小さく会釈する。

すれ違う時、
その人の肩は私の目の高さにあった。

思わず、顔を少し上げる。

顎の辺りまで、視線がたどり着いた。
目が合う気がして、その先を見ることができなかった。
視線を、床へ引き返す。

そのまま足早に横を通り過ぎる。
無駄に背筋を伸ばして。

すれ違った瞬間、ふわりと香りがした。

気づけば、
その香りを追うように振り返っていた。

細身で背の高い人だった。
黒い髪が、無造作に整えられている。

向こうは自然と背筋が伸びていて、
歩く姿が様になっていた。

張り合うように、私も背筋を伸ばし直す。

顔も見ていないのに。
雰囲気的に、歳は近いのかな、と思った。
それくらいしか分からなかった。

数日後、内定の連絡が来た。
面接は散々だったのに。

翌年の春。
私はこの会社へ入社することになった。

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