ラ・サール・附設のリアル|偏差値では見えない“本当の世界”
前回の記事の補足といか、書き足りなかったことを踏まえてもう一度書きます。この記事に関しては、興味がある方が多いようですので、ありったけの情報を出して書きます。
「ラ・サールに入れば人生安泰」
地方では、そんな言葉を本気で信じている人が多い。
たしかに、進学実績だけ見れば圧倒的だ。東大、京大、国公立医学部。九州の受験界では、ラ・サールや久留米附設は“別格”として扱われる。
塾でもそうだった。
「附設に行けるなら附設」
「ラ・サール受かれば勝ち組」
そんな空気が当たり前に流れていた。
しかし、実際にその世界に入るとわかる。
本当に過酷なのは、“合格後”だということを。
外から見えるのは、合格実績だけ。
だが、その裏には、普通の学校とはまったく違う空気が存在する。
今日は、偏差値表だけでは絶対にわからない、地方最難関校の“本当の姿”を書いてみたい。
「頭がいい子の集まり」ではない
まず誤解してほしくないのは、ラ・サールや附設は、単純な「秀才の集まり」ではないということだ。
もちろん勉強はできる。
しかし、それ以上に異様なのは、“濃さ”である。
鉄道しか興味ない子。
数学だけ異常にできる子。
英語だけ壊滅的な子。
ゲーム理論みたいな会話を延々としている子。
普通の学校なら浮くようなタイプが、ここでは普通に存在する。
むしろ、尖っている方が馴染む。
多様性という言葉を最近よく聞くが、ラ・サールの寮ほど多様性の塊みたいな場所はなかなかない。
変人が許される。
これは、実はかなり大きい。
地方では、少し変わっているだけで浮いてしまうことも多い。しかし、あの環境では、「変」が当たり前になる。
だから、人生で初めて「自分のままでいい」と感じる子も少なくない。
寮生活は“青春”ではなく“戦友”
ラ・サールの魅力は、寮に入ってこそ完成する。
これは本当にそう思う。
正直、今の感覚で見るとかなり厳しい。
携帯はない。
ゲーム機もない。
親への連絡は公衆電話。
こちらから家に電話しても、代表電話が数台しかないので、なかなか繋がらない。
今の子からすると信じられない世界かもしれない。
夏休みや冬休みで寮を出ることを、「仮出所」と呼んで笑っていた。
だが、そんな環境だからこそ、人との距離が異常に近くなる。
夜中まで話す。
テスト前に絶望する。
一緒に怒られる。
くだらないことで爆笑する。
そして、きつい環境を一緒に生き抜いた仲間は、一生の友達になる。
これは綺麗事ではない。
社会人になっても、あの頃の友達はやはり特別だ。
勉強だけの学校ではない
外から見ると、ラ・サールや附設は「勉強しかしない学校」に見えるかもしれない。
しかし、実際はかなり違う。
むしろ、行事になると異常な熱量を見せる。
特に体育祭の応援団は象徴的だ。
応援団に入ると、放課後はもちろん、夜まで演舞や構成づくりに時間を使う。
練習期間は一ヶ月どころではないこともある。
しかも驚くのは、高3ですら本気でやること。
普通なら受験直前で勉強一本になりそうな時期でも、彼らは演舞を作り込み、声を枯らし、隊列を合わせる。
「なんでそこまでやるんだ」と思うレベルで、本気だ。
だが、不思議と誰も“無駄”とは思っていない。
勉強だけでは得られない一体感が、そこにはある。
そして、部活も決して“ゆるい”わけではない。
野球部やラグビー部などは特にそうだ。
土日も普通に練習がある。
炎天下で走る。
泥だらけになる。
地方最難関校だからといって、文化部しかない世界ではない。
むしろ、「勉強も部活も行事も全部やる」という空気が強い。
だから時間は足りない。
宿題。
小テスト。
模試。
部活。
応援練習。
全部が同時に襲ってくる。
正直かなりきつい。
だが、それでも彼らは勉強を諦めない。
ここが普通の学校と少し違うところかもしれない。
「忙しいから勉強できない」
ではなく、
「忙しい中でどうやるか」
を考え始める。
だから、社会に出てから強い人も多い。
限られた時間の中で、
やるべきことを整理し、
最低限睡眠を削りながら、
なんとか前へ進む。
あの環境で身につくのは、学力だけではない。
極限状態でも回り続ける“耐久力”のようなものなのかもしれない。
「合格=勝ち」ではない世界
外から見ると、ラ・サールや附設に合格した時点で“成功”に見える。
しかし、中に入ると価値観が崩壊する。
なぜなら、周囲が全員化け物だからだ。
中学受験で全国上位だった子が普通にいる。
高校受験組も異常に強い。
地方トップの塾で無双していた子が、突然埋もれる。
そして恐ろしいのは、下位層ですら普通に強いこと。
いわゆる“深海魚”。
だが、難関校の“深海魚”を、単純に「落ちこぼれ」と考えるのは危険だ。
そもそも彼らも、中学受験や高校受験を突破して、その学校に入ってきた人間である。
つまり、元々の素質が高い。
周囲が異常すぎるだけで、一般的には十分上位層だ。
だから、あるタイミングで本気になると、一気に伸びることがある。
高3で突然スイッチが入る。
浪人して覚醒する。
周囲に刺激されて化ける。
こういう話は珍しくない。
現役時代は「深海魚」と呼ばれていても、浪人を経て国公立医学部や難関大に進学する人も普通にいる。
そして恐ろしいのは、それが“珍しい成功例”ではないことだ。
難関校では、最終的な着地点が、なんだかんだである程度揃ってくる。
もちろん全員ではない。
だが、下位層でも最終的には早慶や旧帝大クラスに落ち着くことが多い。
感覚が麻痺する世界だ。
普通の環境なら十分すぎる結果でも、本人たちは「失敗した」と感じていたりする。
だから、難関校における“深海魚”という言葉は、一般社会の感覚とはかなりズレている。
本当に怖いのは、下位層ですら強いことなのかもしれない。
東大。
京大医学部。
国公立医学部。
それが“最低ライン”の空気になる。
この環境は、人によっては劇薬だ。
伸びる子は爆発的に伸びる。
しかし、周囲との差を見続けて、自信を失う子もいる。
地方公立トップ校との違い
地方の公立トップ校ももちろん強い。
しかし、文化はかなり違う。
公立トップ校は、地域トップ大学志向が強い。
九州なら九大。
その地域の旧帝大。
国立信仰もかなり強い。
一方、ラ・サールや附設は、もっと全国区だ。
東大。
京大。
医学部。
最初から見ている景色が違う。
さらに、中高一貫特有の「先取り文化」もある。
高校範囲を早く終わらせる。
高2で受験モード。
鉄緑会系の思想。
だから、公立トップ校とは勉強の空気感がかなり違う。
それでも、行く価値はあるのか
これは難しい。
正直、誰にでも勧められる環境ではない。
寮生活が無理な子もいる。
競争で壊れる子もいる。
ただ、それでも言える。
あの環境でしか得られないものがある。
全国レベルの競争。
尖った友人。
異常な努力量。
人生観を変える出会い。
そして何より、「上には上がいる」という現実。
これは、人生を大きく変える。
地方にいると、どうしても世界が狭くなりがちだ。
しかし、ラ・サールや附設には、全国から人が集まる。
価値観が変わる。
人生の基準が変わる。
それは、偏差値以上に大きい。
最後に
ラ・サールや附設は、単なる進学校ではない。
一種の“特殊環境”だ。
楽園のように語る人もいる。
地獄のように語る人もいる。
どちらも間違っていないと思う。
ただ一つ言えるのは、偏差値表だけでは絶対に見えない世界がそこにはあるということだ。
そして、あの環境で過ごした時間は、良くも悪くも、その後の人生に深く刻まれる。
誰にでも勧められる場所ではない。
だが、あそこでしか得られない青春が、確かに存在する。
補足|卒業してからも続く“ラ・サール・附設ブランド”
最後に、これは実際に外へ出てから強く感じたことだが、ラ・サールや附設の価値は、大学合格で終わらない。
むしろ、本当の強みは卒業後に見えてくる。
社会に出ると、全国に先輩たちがいる。
医師。
弁護士。
官僚。
研究者。
経営者。
大企業。
外資。
起業家。
あらゆる場所に、卒業生が存在する。
そして、「ラ・サールです」「附設です」というだけで、一気に距離が縮まることがある。
もちろん、それだけで人生が上手くいくほど甘くはない。
だが、同じ環境を経験した者同士だからこそ通じる空気感は確かにある。
特に寮文化を経験していると、その繋がりはさらに濃い。
年齢差があっても、不思議と話が通じる。
「あの頃きつかったよな」
「応援団やってた?」
「寮の飯懐かしいな」
そんな会話から、一気に打ち解けることもある。
地方にいると、どうしても世界が狭くなりがちだ。
しかし、ラ・サールや附設は、卒業後も全国にネットワークが広がっている。
これは、数字には見えない大きな財産だと思う。
偏差値や大学実績だけでは測れない、“人の繋がり”まで含めて、あの学校の価値なのかもしれない。
