見出し画像

短編小説『配達員はクジラの夢を見るか?── 伝説の捕鯨師りあを捕まえろ』 第3話「孵化するクジラ」


​第3話「孵化するクジラ」

​深夜23時、渋谷・道玄坂。

​豚野郎はジャイロキャノピーを地蔵の車列に停めた。

(2号さん、まだ来てないな……)

PCXなら確実に自分より早いはずだが、辺りを見回しても2号の姿はなかった。

豚野郎は冷え切った指でLINEを送る。

『道玄坂着きましたけど、2号さんどの辺にいます?』

​返信を待つ間、路上を包む空気は異様だった。

豚野郎のスマホが鳴る。320円。即座に拒否。

隣の男のスマホが鳴る。350円。即座に拒否。

少し先で別のスマホが鳴る。420円。男が舌打ちをして拒否。

​「安っ!」

「いらね」

「またミツオかよ」

​防寒着に身を包んだ男たちの口から、次々と悪態が漏れる。

誰もが死んだ魚のような目で、しかし明確な意思を持って画面を弾いている。

豚野郎も苛立ちと共にボタンを叩いた。

(……この街全体で、蹴り続けてるのか?)

​頭の中でラビの言葉が反響した。

『海そのものをコントロールすることや』

​意味は分からない。だが、一つだけ分かることがあった。

この道玄坂にいる連中は、誰も目先の案件を取りたがらない。そして、その異様な拒否の連鎖の最中にも、通知が切れる間もなく次のゴミ案件が絶え間なく突き刺さり続けている。

異様な、熱を帯びた沈黙。

​それから一時間後。日付が変わろうとする頃だった。

静寂を切り裂くような通知音が、地蔵の列のあちこちで鳴り響いた。

​「……出たぞ! クジラだ!」

一人の配達員が顔を紅潮させて叫ぶ。

「5,720円!」

すぐ隣で別の男が叫ぶ。

「6,110円だ!」

さらにその先で、

「4,860!」

​歓声が上がる。

道玄坂の路上が、一瞬にして祝祭のようなざわめきに包まれた。

​豚野郎は呆然と立ち尽くしていた。

(なんなんだよ、この街……)

偶然じゃない。何かがここで起きている。だが、その輪郭が掴めない。

​ポケットの中でスマホが震えた。2号からの返信だった。

メッセージはない。ただ、一枚のスクショだけ。

【4,000円】

ピンの位置は代官山の裏。この道玄坂の狂乱から完全に外れた住宅街だった。

「……意味が分かんねえよ」

豚野郎は呟き、スマホを握りしめた。

​道玄坂では、寒空の下で男たちが歓声を上げている。

りあもこの地蔵の群れの中にいるのか? それとも……。

2号さんは何を見てるんだ。

りあは何を知ってるんだ。

ラビは何を隠してるんだ。

答えはまだ見えない。

クジラは一体どこで生まれているんだ──。

​その時だった。スマホが震えた。画面を見る。

【3,243円】

​「うおっ!」

思わず声が出た。40分。12km。

遠い。だが関係ない。3,243円だ。

豚野郎は反射的に受諾ボタンを叩いた。

​「来た……!」

ついに来た。クジラだ。

『クジラ、出ました』

思わずXに投稿する。

​数秒後、通知が鳴った。ラビからリプライが来ていた。

『これは素人』

​「はぁ?」

豚野郎は思わず声を上げた。

「何が素人だよ」

3,243円だぞ。どう見てもクジラじゃねえか。

​だが、考えている暇はなかった。案件は待ってくれない。

豚野郎はジャイロを走らせた。

​配達自体は順調だった。問題はその後だった。

​「……マジかよ」

ドロップ先は住宅街の奥。周囲には何もない。

待つ。鳴らない。待つ。鳴らない。

​仕方なく渋谷方面へ戻り始める。ようやく鳴った。

【612円】

安い。だが受けるしかない。

さらにもう一件。

【701円】

受ける。

​気付けば時計は午前一時を回っていた。

ようやく渋谷へ戻ってきた頃には、身体の芯まで冷え切っていた。

​ジャイロを停め、売上画面を開く。

3,243円。612円。701円。合計4,556円。

数字だけ見れば悪くない。今の相場なら十分だった。

​だが、ふと時計を見る。

道玄坂で地蔵していた時間。クジラを追った時間。帰ってきた時間。全部合わせると二時間半近い。

​「……」

豚野郎は黙った。

脳裏に浮かぶのは、ラビのたった五文字。

『これは素人』。

​売上を見直す。4,556円。二時間半。悪くはない。だが、特別良くもない。

豚野郎はスマホをポケットにしまった。

そして思い出す。

道玄坂で歓声を上げていた配達員たち。

2号が送ってきた4,000円のスクショ。

ラビの言葉。

そして、伝説の捕鯨師りあの噂。

見ているものが違う。

そんな気がした。

渋谷のどこかで、今この瞬間も誰かがクジラを釣っている。

豚野郎はジャイロのセルを回した。その音は、まるで何かが生まれる前触れのように夜の街へ溶けていった。


あとがき

第3話『孵化するクジラ』、いかがだったでしょうか。

『孵化するクジラ』……タイトル、いいですよね(笑)。僕は結構気に入っています。

noteのトップ絵も、クジラが孵化する瞬間をイメージして作りたかったのですが、なかなか思い通りにならず苦戦しました。

完結後には制作ノートを出す予定なので、その時にボツ画像なんかも公開できればと思っています。

さて、今回は豚野郎がついに「クジラ」を釣るお話でした。

フードデリバリーをやらない人からすると、「1回の配達で3000円!? すごい!」と思われるかもしれませんので、少しだけ当時のことを補足しておきます。

僕ら配達員は、人にもよりますが、ある程度「時給」で売上を考えています。

作中でも豚野郎が計算していましたが、3,243円の案件を取ったあとに612円、701円と続き、結局2時間半で4,556円ほどになりました。

数字だけ見ると悪くありません。

ただ、時給に換算してみると話は少し変わります。

当時の東京の時給相場は1800円くらいだった記憶があります。2時間半なら4500円くらいなので、豚野郎の結果は良くも悪くもない、相場通りといった感じですね。

実はこの少し前まで夏の繁忙期で、時給3000〜4000円くらい出る日も珍しくありませんでした。

それが一気に単価が下がったことで、安い案件を嫌がる配達員が増え、注文してもなかなか届かない状況になっていきます。

その結果、熟成した高単価案件、いわゆる「クジラ」を狙う配達員が増え、この物語のモデルになった捕鯨ブームへと繋がっていきました。

もちろん、この「時給相場」というのも立ち回り次第です。

同じ相場でも、配達の早い人なら時給2400円くらいまで伸ばせますし、逆にハマってしまえば1200円くらいまで落ちることもあります。

なので、「3000円だから当たり案件」というほど単純ではなく、その後どういう案件が続くかまで含めて考えるのがフードデリバリーの面白いところなんですね。

次回は『大阪の海』。

東京より一足早く、大阪で始まっていた捕鯨ブームのお話です。


※本作はフィクションです。

登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。また、一部の描写は実在するX(旧Twitter)ユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。

いいなと思ったら応援しよう!

2号 無理のない範囲で応援いただけたら嬉しいです。 チップはnote更新や資料費にあててます。 読んでもらえるだけでもありがたいっす。

この記事が参加している募集