短編小説『配達員はクジラの夢を見るか?── 伝説の捕鯨師りあを捕まえろ』 第1話「クジラ」
「2号さん、クジラって知ってますか?」
豚野郎は、ベンチでぬるい缶コーヒーを啜っている2号に、身を乗り出して聞いた。
渋谷の夜は騒がしい。だが、2号の周りだけはいつも、深い夜の底のような静寂が漂っている。
2号はコーヒーを置き、何も言わずにスマホを豚野郎の方へ向けた。
画面には、配達完了の履歴。
「うお、6,000円……!? 1件でこれっすか?」
2号は黙って、指先で画面をスライドさせた。
4,618円、3,000円、5,260円……。
豚野郎の目が、面白いように見開かれる。

「って、2号さん! クジラ釣りまくってるじゃないですか!? なんで教えてくれないんすか!?」
詰め寄る豚野郎の勢いに、2号は微動だにせず、短く答えた。
「……聞かれんかったから」
「あ、いや、俺たちコンビでしょ!? 水臭いっすよ、もう!」
嘆く豚野郎を余所に、2号はまたコーヒーを手に取った。
「……でも、これ。最近、獲りにくくなってる」
2号がぽつりと零した一言に、豚野郎が食いついた。
「それっすよ! なんか『道玄坂の捕鯨師』とか名乗る奴が、やり方バラ撒いてるらしくて……」
豚野郎がスマホを突き出す。
アイコンは、夜のアスファルトに投げ出された細い足元。
「りあ……?」
「知らないすか? 夏くらいかな、100万チャレンジで一躍有名になった配達員」
豚野郎は画面をスクロールしながら吐き捨てた。
「こいつが呟くと、一気に街の空気が変わるっていうか…昨日もクジラのポストしてて」
2号は黙って画面を見つめる。
「今、どこも単価安いじゃないすか。なのにこいつだけ毎日クジラ釣ってる。マジで不気味なんすよね」
2号は遠くのネオンに視線を戻した。
「クジラはラビ爺が詳しいで?」
2号がポツリと言った。
「あー、大阪のラビ? 俺、あの人苦手なんすよね。なんか、ちょっと人を小馬鹿にしてる感じっていうか……」
豚野郎が顔をしかめる。
「口悪いからな」
そう返す2号の口元が一瞬、緩んだように見えた。
その時、豚野郎のスマホが激しく震えた。
Xの通知。「りあ」の投稿だ。
『クジラ釣れない人、道玄坂に行ってごらん』
添えられた画像には、道玄坂の『中村』から飛び出した6,000円ダブルのスクショ。

「え、2号さん、これヤバくないですか? 道玄坂に配達員集まりますよ! 渋谷は2号さんのホームでしょ!」
「……ヤバいな」
2号がコーヒーを飲み干し、立ち上がる。その目は、既に「仕事」のそれに変わっていた。
それから数日。
渋谷は「りあ」の一言で塗り替えられた。
一攫千金を狙う他所者のバイクが溢れ、裏道までスマホの光で埋め尽くされる。
いつしか道玄坂は、皮肉を込めて「りあストリート」と呼ばれ始めていた。
数日ぶりに道玄坂へ流れてきた豚野郎は、その異様な光景に息を呑んだ。
さながら「地蔵の墓場」だった。

路肩を埋め尽くすバイクの列。ハンドルに足を投げ出し、死んだ魚のような目でスマホを見つめる男たち。
豚野郎は走りながら、苦笑い混じりに写真を撮り、2号に送った。
『道玄坂、地蔵すごいすよ(笑) ひょっとして2号さんもいますか?(笑)』
すぐに既読がついた。
『いや』
『どこにいるんすか(笑)』
返ってきたのは、中目黒での6,000円のスクショだった。
「うお……まじかよ……」
豚野郎は思わずブレーキをかけ、道端にバイクを寄せた。
――合流地点、深夜の中目黒。
2号はいつも通り、どこか冷めた表情でPCXの傍らに立っていた。
「クジラ、中目で釣ったんすか? 渋谷より閉店、早いっすもんね……」
豚野郎の問いに、2号は小さく頷く。
「閉店と合わせればクジラ釣れんねん。システムが焦りだすからな」
「……てことは、六本木でも釣れる?」
2号が頷いた。
豚野郎は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「道玄坂に集まってる奴らは、餌のない海で網を投げてるだけってことか……」
2号は何も言わず、ヘルメットを被る。
「りあって奴は、それを分かってて『道玄坂』に人を集めたんやろな」
「……え?」
「邪魔な『網』を、一箇所に集めるために」
その一言で、豚野郎の目的が変わった。
「……捕まえましょう、その捕鯨師。2号さんの海を荒らす奴は、俺が許さない」
そう息巻いたものの、正体不明の影を追う手掛かりは、現場をがむしゃらに走るだけでは見つからなかった。
「りあ」は画面の向こうで数字を操り続け、街のアルゴリズムはさらに歪んでいく。
それから数日。
手詰まりのまま、深夜の中目黒で並んで立つ二人。
その静寂を切り裂くように、2号のスマホのバイブ音が、夜の空気を震わせた。
2号は画面も見ずに受話ボタンを押し、耳に当てる。
「……ああ、ラビ爺。元気か?」
その一言で、豚野郎の背筋がわずかに強張った。大阪の、あの食えない男。
2号はしばらく無言で聞き入っていたが、不意にスマホをこちらへ突き出した。
「……ああ、ちょっと代わるで」
「え、自分っすか?」
困惑しながら受け取る。
「……あ、代わりました」
『はいはい、君が豚野郎さんね。月100万稼いでるっちゅう噂は、こっちでもよう聞きまっせ。景気よろしいなあ』
受話器越しでもわかる、人を食ったような、にやけた話し口。
――やっぱり好きになれない。
「ラビ爺さんって呼べばいいですか?」
『そんな堅苦しゅう呼ばんでええですわ。ラビ爺でもラビでも好きに呼んでや』
「じゃあラビさんで。……それで、用件は?」
豚野郎はあえて声を低くした。

すると、電話の向こうでラビが愉快そうに鼻を鳴らした。
『クジラの釣り方、知りたいんやろ?』
その一言で、豚野郎の思考が止まった。
2号は隣で、興味なさそうに夜空を見上げていた。
あとがき
新章「りあ編」第1話、いかがだったでしょうか。
……まあ、その前に『配達員ろること2号』本編が中途半端なところで止まってるやん、というツッコミはごもっともです(笑)。
今回の物語は、『配達員ろること2号』と深くつながるスピンオフ作品です。
時系列としては、本編の半年から1年ほど前。
まだろるこが配達員になる前の話なので、今回はろるこは登場しません(笑)。
その代わり、2号、豚野郎、ラビ爺、そして謎の捕鯨師りあといった、濃いメンバーが登場します。
今回のエピソードには、実際の配達員界隈で起きた出来事をかなり色濃く反映しています。
・クジラ(異常な高単価案件)
・道玄坂の地蔵
・100万円チャレンジ
・「道玄坂でクジラが釣れる」という投稿
このあたりに心当たりのある配達員さんも多いのではないでしょうか。
まだ名前しか出ていませんが、りあというキャラクターは、実在の配達員りあさんをモデルにしています。
そして作中に登場した「りあストリート」という呼び名。
これは、りあさん曰く「名付け親は2号さん」らしいです(笑)。
正直、僕自身はそんな名前を付けた記憶はないのですが、
・りあストリート
・俺たちのりあル
みたいな投稿は、たしかによくしていた気がしますので、見覚えのある方もいるかもしれません。
この物語は、現実の出来事とフィクションを混ぜながら、
「もしあの時、あの出来事の裏でこんなドラマがあったとしたら?」
という想像から生まれました。
次回はいよいよ、大阪の知将・ラビ爺が本格参戦します。
『クジラの釣り方』とは何なのか。
そして、伝説の捕鯨師りあの正体とは――。
引き続き、お楽しみください。
※本作はフィクションです。
登場する人物・団体・地名・出来事などは実在のものとは関係ありません。また、一部の描写は実在するX(旧Twitter)ユーザーの投稿や活動に着想を得ていますが、特定の個人・団体との関連性はなく、内容は創作に基づいて構成されています。
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