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【森岡毅著『確率思考の戦略論』16年版】 ― ①市場を支配する「たった一つの法則」

はじめに:「市場構造」と「需要予測」

以前、25年に発売された森岡毅さんが書かれた『確率思考の戦略論』をご紹介しました。そこでは、マーケティング戦略作りにおいて最重要ポイントであるコンセプトの作り方を主として語られていました。25年7月に控える「ジャングリア沖縄」では、そのコンセプトの作り方を用いたテーマパークが展開されることと思います。

しかし、マーケティング戦略を語る上で、コンセプトだけでは十分ではありません。前回紹介した本では、マーケティング戦略は以下5つの手順を踏まえる必要があると紹介されています。

【マーケティング戦略構築の手順】
①消費者理解
②ブランド設計の仮説立案
③マーケティング・コンセプトの作成
④量的調査による検証
⑤How(プロダクト・コミュニケーションなど)の策定

25年版の本では、①-③までが紹介されていました。しかし、④-⑤も非常に重要なステップです。中でも、④の量的な市場把握はマーケターにとって非常に重要なスキルとなります。そこで今回は、森岡さんの9年前の著書『確率思考の戦略論』の16年版を紹介したいと思います。

この本では、上記プロセスの④について多くのページが割かれています。
数学的なアプローチが主となるため予備知識が必要な個所もありますが、重要なのはアプローチに至る考え方です。その点も含め、今回は紹介したいと思います。
2回に分けて紹介したいと思いますが、今回は「市場構造」について、次回は「需要予測」について書きたいと思います。

第1章:市場構造の本質 ― なぜすべての市場は同じ顔をしているのか

一見すると、パンケーキの市場と歯磨き粉の市場、そしてテーマパークの市場は、全く異なる世界に見えます。しかし、著者は衝撃的な事実を提示します。それは、「カテゴリーが異なっても、市場構造の本質はすべて同じ」であるということです。

◆客引きの兄ちゃんはみんな同じ顔をしている!

森岡さんは、国や文化が違えど、客引き(勧誘員)の行動パターンが驚くほど似ているという自身の原体験から、人間の本質的な行動様式は普遍的であると述べます。これは消費者行動にもそのまま当てはまります。人がモノを買うときの基本的な脳のメカニズムは、何を買うかによらず同じだからです。その結果、消費者の購買行動が作り出す市場の構造は、どのカテゴリーでも同じ数式で説明できてしまうのです。

◆市場構造を支配する法則:「負の二項分布(NBDモデル)」

この「市場の普遍的な法則」を数学的に表現したものが**「負の二項分布(Negative Binomial Distribution, NBD)モデル」**です。本書で示される衝撃的なデータ(表1-1)は、アメリカの家庭におけるパンケーキミックスの購入実績が、NBDモデルによる予測値とほぼ完璧に一致することを示しています。例えば、2週間に1回購入した世帯の割合は、現実が21%に対し予測は19%。2回購入した世帯は現実が10%に対し予測も10%と、驚くべき精度で一致します。この法則は、歯磨き粉や本の貸し出しといった全く異なるカテゴリーでも同様に成立します。

さらにこの法則は、カテゴリーだけでなく、個々の「ブランド」の購買行動にも当てはまります。ドイツの洗濯洗剤市場のデータ(表1-2)を見ると、市場シェアが異なる5つのブランドの購買回数分布が、すべてNBDモデルで正確に予測できています。

この事実は、市場がランダムで無秩序な場所ではなく、明確な数学的法則に支配されていることを意味します。

◆NBDモデルの数式とその意味
本書では、NBDモデルの数式が以下のように示されています(式(1))。

Pr​=Γ(r+1)⋅Γ(K)Γ(K+r)​⋅(M+KM​)r⋅(1+KM​)−K

この数式の各要素を理解することが重要です。

  • Pr​ : ある期間に、ある消費者が商品を r 回購入する確率。

  • M : その市場にいる消費者一人あたりの、そのカテゴリーやブランドの平均購入回数。市場全体の購入熱量を表します。

  • K : 市場の異質性(購入の集中度合い)を示すパラメーター。Kが小さいほど、一部のヘビーユーザーに購入が集中していることを意味します。

この数式が示す本質は、一見複雑に見える市場の動向が、たった2つの変数(MとK)で記述できてしまうということです。そして、これらの変数を動かしている根源こそが、次に説明する「プレファレンス」なのです。

◆経営資源を集中すべきは「プレファレンス」である

では、市場構造を決定づけている核心、すなわちビジネスの神様の本質とは何でしょうか。それが本書で最も重要なキーワード、「プレファレンス(Preference)」です。

プレファレンスとは、消費者が持つ特定のブランドに対する相対的な好意度であり、それがブランドの選択確率を決定します。消費者は、頭の中に購入しても良いと思うブランドの候補リスト「エボークト・セット」を持っており、その中から各ブランドへのプレファレンスに応じてランダムに一つを選んでいます。

NBDモデルにおける平均購入回数Mは、このプレファレンスの集積の結果です。つまり、プレファレンスが高いブランドほどMが高くなり、結果として売上が伸びるのです。したがって、ビジネスで成功するためには、この「プレファレンス」をいかにして高めるかという一点に、すべての経営資源を集中させるべきなのです。

第2章:戦略の本質とは何か? ― コントロールできる変数は3つだけ

市場の本質がプレファレンスにあると理解できたなら、次に考えるべきは「戦略」です。戦略とは、闇雲に戦うことではなく、「勝てる戦を探す」ことです。そして、その戦いにおいて、我々がコントロールできる変数は驚くほど少ないのです。

森岡氏は、ビジネスの成果(売上)を左右するドライバーは、突き詰めれば以下の3つしかないと結論づけています。

  1. 認知(Awareness):消費者がブランドを知っているか。広告やPR活動などがこれにあたります。

  2. 配荷(Distribution):消費者がブランドを買える場所にあるか。店舗の棚に商品が置かれているか、営業担当者がいるかなど、物理的な接点を指します。

  3. プレファレンス(Preference):消費者がそのブランドを好んで選んでくれるか。商品の魅力、ブランドイメージ、価格などがこれに影響します。

売上とは、この3つの掛け算で決まります。どんなに良い製品(高いプレファレンス)も、知られていなければ(低い認知)、売っていなければ(低い配荷)、決して売上には繋がりません。マーケターの仕事とは、この3つのドライバーの現状を分析し、「伸び代」を探し、そこにリソースを集中投下することに他なりません。特に、プレファレンスはブランドの持つポテンシャルの最大値を決めるため、最も重要な変数となります。

第3章:戦略はどうつくるのか? ― ゴールから逆算する思考法

戦略の焦点を理解した上で、最後に「どうやって戦略を構築するか」を考えます。著者は、戦略とは「つくる」というよりも「さがす」ものであり、その戦略は必ず「ゴールから考える」ことが鉄則だと述べています。

まず、ビジネスのゴール(目標売上など)を明確に設定します。次に、そのゴールを達成するために、先ほどの3つのドライバー(認知、配荷、プレファレンス)のそれぞれが、どのくらいの水準にあるべきかを逆算するのです。

本書では、この考え方を具体的に示した「売上を規定する7つの基本要素」というフレームワークが紹介されています(表3-1)。この表は、売上を構成する要素(認知率、配荷率、購入率、購入回数など)を分解し、それぞれが3つの基本ドライバーのどれに紐づくかを整理したものです。例えば、「認知率」は主に広告宣伝によってコントロール可能ですが、「1年間に購入する率」はプレファレンスと配荷の影響を受けます。

このように戦略をゴールから分解し、各ドライバーの目標値を設定することで、マーケティング活動は具体的かつ測定可能になります。例えば、「売上目標達成のためには、来期末までに認知率を現在の50%から70%に引き上げ、そのために広告予算をこれだけ投下する」といった、極めて論理的な戦略を立てることが可能になるのです。

まとめ

本稿では、『確率思考の戦略論』16年版の理論的支柱である第1章から第3章を中心に、その核心理論を詳述しました。

  • 市場の本質は数学的法則にある:全ての市場は、消費者の購買行動が生み出す普遍的な法則「負の二項分布(NBDモデル)」に支配されています。

  • 法則の核心は「プレファレンス」:市場構造を決定づける最も重要な変数は、消費者のブランドへの相対的好意度である「プレファレンス」です。

  • 戦略の変数は3つだけ:ビジネスの成果は「認知」「配荷」「プレファレンス」の3つの変数で決まります。経営資源はこの3点に集中すべきです。

  • 戦略はゴールから逆算する:目標を達成するために、3つのドライバーをどう動かすべきか、定量的に考えることが合理的な戦略立案の基本です。

ビジネスを単なる勘や経験の産物ではなく、「確率」で捉え、その確率を操作する「科学」として捉え直すこと。それが森岡氏の提唱する「確率思考の戦略論」の第一歩です。そして、この「プレファレンス」という変数が、数学的に測定・分析できるからこそ、未来の「需要予測」が可能になるのです。

次回は、「需要予測」に焦点を当てます。USJはいかにしてハリー・ポッターの成功を「予測」したのか、本書で示されている数式やデータを紹介します。

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