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【バイロン・シャープ『ブランディングの科学』】②”本当”のターゲット顧客


はじめに:誰をターゲットとすべきか?

前回の記事では、『ブランディングの科学』が明らかにした衝撃的な事実、すなわち「ブランドの成長はロイヤルティではなく顧客数の増加によってもたらされる」こと、そして「売上の半分はライトユーザーが支えている」ことを見てきました。これは、従来の「優良顧客至上主義」という常識が誤っている可能性を提示したと言えます。

【前回記事】

では、ここからが本題です。マーケティング戦略を立案する上で最も根幹となる問い、「一体、誰をターゲットにすべきか?」という問いに、私たちはどう答えればよいのでしょうか。

マーケティングの教科書を開けば、必ず「STP分析」の重要性が説かれています。市場を細分化(Segmentation)し、狙うべき市場を定め(Targeting)、独自のポジションを築く(Positioning)。私は前職で10年以上、飲料メーカーに勤めていました。そこで入社早々、このSTP分析に関する研修を受けたことを覚えています。
そこでは、「20代の流行に敏感な女性」「健康志向の強いシニア層」「都心に住む単身世帯」といったように、特定のペルソナ(顧客像)を鮮明に描き、その層に深く響くメッセージを届けることこそが、優れたマーケティングだと教えられてきました。言わば、STP分析は誰もが疑わない”常識”と言えるでしょう。

しかし、『ブランディングの科学』が導き出す答えは、この”常識”をも根底から覆します。本書が膨大なデータから導き出した結論は、あまりにもシンプルかつ、衝撃的です。あなたのブランドが狙うべきターゲット、それは「カテゴリー内のすべての顧客」です。

この記事では、【②”本当”のターゲット顧客】と題し、なぜ特定の顧客層を狙う「ターゲティング」がほとんど無意味なのか、そしてなぜ「ライトユーザー」を含むすべての人々を狙うべきなのか、その科学的根拠を実際のデータと共に解き明かしていきます。

第1部:ターゲット・プロファイルの幻想 ― ブランドで顧客は選べない

あなたが飲料メーカーのマーケティング担当者だとします。長年のライバルであるコカ・コーラとペプシ。それぞれのブランドの顧客には、どのようなイメージを持ちますか?「コカ・コーラを飲む人は、王道で伝統を愛するファミリー層。一方、ペプシを飲む人は、少し挑戦的で若者文化を好む層」。多くの人が、このようなステレオタイプなイメージを抱くかもしれません。そして、そのイメージに基づいて、ペプシは若者向けの刺激的な広告を、コカ・コーラは家族の団らんを描く広告を展開すべきだと考えるでしょう。

しかし、シャープ教授は、これもまたマーケターの”幻想”に過ぎないと指摘しています。本書が示す最も衝撃的な発見の一つが、「競合するブランド間で、顧客のプロファイルは驚くほど似通っている」という事実です。

性別、年齢、収入、ライフスタイルといった人口統計的なデータから、価値観や性格といった心理的なデータまで、あらゆる角度から分析しても、コカ・コーラの顧客層とペプシの顧客層の間に、マーケティング戦略を左右するような有意義な差はほとんど見出せないのです。

なぜ、このようなことが起こるのでしょうか?理由は単純です。多くの消費者は、特定のブランドに忠誠を誓っているわけではなく、その時々の気分、価格、場所、広告など、様々な要因に基づいて複数のブランドを使い分けている「ブランドスイッチャー」だからです。
今日はコカ・コーラを飲んだ人が、明日はペプシを飲む。これはごく当たり前の光景です。つまり、コカ・コーラの顧客とペプシの顧客は、別々の人間なのではなく、大部分が重なり合っている同じ集団なのです。

特定のブランドだけを選ぶ「100%ロイヤルな顧客」もいますが、その数はごくわずかです。そのようなニッチな層にブランドの未来を託すのは、あまりにも危険な賭けと言えるでしょう。

【自動車ブランドのデータで見る「顧客の類似性」】

書籍の中では、この「顧客プロファイルの類似性」を、英国の自動車ブランドのデータで具体的に示されています。ここでは4つのブランド、「ローバー」「エスコート」「シエラ」「キャバリエ」の顧客層を比較しています。

  • 性別: 顧客の男女比は、4ブランドすべてで男性約51%、女性約49%と、ほぼ同じです。特定のブランドが特に男性/女性に好まれているという事実は見られません。

  • 購読新聞: 大衆紙「サン」の購読者割合は、全ブランドで20%~28%の範囲に収まっています。高級紙「テレグラフ」の購読者も4%~9%と、ブランド間で大きな差はありません。購読する新聞で表されるような価値観や社会階層にも、ブランドを分けるほどの違いはないのです。

別の調査では、「私は乱雑な状態を我慢できない」と考える人の割合が、ローバー顧客で16%、エスコート顧客で19%、シエラ顧客で17%、キャバリエ顧客で17%と、驚くほど似通っています。
また、「私の車が唯一の移動手段である」と答えた人の割合も17%~21%の範囲に収まっています。

これらの数字が示すのは、マーケターが信じたい「ブランドごとのユニークな顧客像」が、実はほとんど存在しないという事実です。どのブランドも、同じ市場で、本質的に同じような顧客を相手にしているのです。

第2部:ライトユーザーこそが成長の鍵 ― ブランドの未来を創る人々

特定のターゲット顧客像が幻想であるならば、マーケティング活動は誰に向けて行われるべきなのでしょうか?
その答えは、前回の記事でも触れた「ライトユーザー」にあります。

ブランドの顧客基盤は”生きて”います。
一部の顧客が去り(流出)、新しい顧客が加わる(流入)。ブランドが成長するためには、この流出を上回る流入を生み出し続ける必要があります。
では、その新しい顧客はどこからやってくるのでしょうか?それは、競合ブランドのユーザーか、そのカテゴリーをまだ利用していない非顧客です。彼らはブランドにとっては全員が「ライトユーザー」予備軍です。

本書が示すように、ブランド成長とは、このライトユーザーたちをいかにして獲得するかというゲームに他なりません。

その理由は2つです。

  1. 数の力:前述の通り、ライトユーザーは顧客ベースの大多数を占めます。彼らの母数はヘビーユーザーとは比較にならないほど大きい。たとえ購入頻度が低くても、その膨大な数の人々が年に一度でも余分に買ってくれれば、ブランドの売上は劇的に向上する。

  2. 成長の源泉:ヘビーユーザーは、すでにあなたのブランドを頻繁に購入してくれています。彼らの購入をさらに増やすのは困難。一方、ライトユーザーは、まだ購入を増やす「伸びしろ」に満ちています。彼らがあなたのブランドを思い出し、購入してくれる機会を増やすことこそが、売上成長に直結すると言えます。

したがって、マーケティングコミュニケーションの役割とは、ヘビーユーザーをさらに満足させることではありません。その役割は、カテゴリー内のすべての人々(特にライトユーザー)に広くリーチし、彼らの記憶の中にブランドの存在を植え付け、購買の選択肢として常にあり続けることなのです。

【データで見る「ライトユーザーの数の力」と「成長への貢献」】

ライトユーザーの重要性を、改めて2つのデータから具体的に見ていきましょう。

1. ライトユーザーの「数の力」 本書で示されている英国のコカ・コーラ購入者のデータは、ライトユーザーがいかに多いかを明示しています。ポイントは以下です。

  • 年間の購入回数と、その回数の購入者が占める割合を見たところ、最も割合が高いのは、年間購入回数が「1回」の人々。彼らは全体の約19%を占めています。次に多いのが「2回」の人々で約11%です。

  • つまり、コカ・コーラの顧客の約30%は、年に1〜2回しか購入しないライトユーザーなのです。年に10回以上購入するような人々は、合計しても全体のわずかな割合に過ぎません。ブランドの顧客基盤がいかに多くのライトユーザーによって構成されているかが一目瞭然です。

2. ライトユーザーの「成長への貢献」 では、これらのライトユーザーはブランドの成長にどう貢献するのでしょうか。米国の消費者パネルデータ(を見てみましょう。これは、ある代表的なブランドの売上が、異なる消費者群からどのように構成されているかを2年間にわたって追跡したものです。

  • 1年目に「全く買わなかった」層(全消費者の44%):この層は、翌年の2年目には、なんとブランドの売上の14%を生み出す顧客に成長しています。

  • 1年目に「ライトユーザー」だった層(購入1回、全消費者の22%):この層は、翌2年目には売上の16%を占めるようになっています。

  • 1年目に「ヘビーユーザー」だった層(購入5回以上):彼らの売上貢献度は、1年目の43%から2年目には34%に減少しています。

このデータが示すのは、ブランドの成長は、非購入者やライトユーザーが新たに購入を開始したり、購入頻度をわずかに上げたりすることで生まれるということです。
ヘビーユーザーは重要ですが、彼らはやがてライトユーザーになったり、購入をやめたりすることもあり、彼らだけに依存するのは危険です。
未来の売上は、今日のライトユーザーの中にこそあるのです。

まとめ:ターゲットは「全員」である。そして、広く、浅く、継続的に

今回は、『ブランディングの科学』が示すターゲット顧客の考え方を見てきました。

  1. 競合ブランド間で顧客プロファイルに大きな差はない。 したがって、特定の層を狙うターゲティングは非効率である。

  2. ブランド成長の鍵は、膨大な数のライトユーザーの獲得にある。 マーケティング活動は、彼らを含むカテゴリーの全顧客にリーチする必要がある。

これは、マーケティングのROI(投資対効果)を最大化するための、極めて重要な指針です。狭いターゲットにリソースを集中させるのではなく、より多くの人々にリーチできるメディアやチャネルに予算を配分すべき、ということになります。

ここまでで、狙うべき相手が「全員」であると主張はご理解いただけたかと思います。では、その「全員」に対して、具体的に「何を」すれば、彼らは私たちのブランドを選んでくれるのでしょうか?

次回の最終記事では、ブランドを成長させるための2つの具体的なエンジン、「独自性」の追求と「アベイラビリティ」の構築について、詳しく解説していきます。

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