虐待を憎んできた人に、言ってはいけない言葉がある
あるとき、信頼できると思った相手に、私は自分の過去の話をしました。
母親から、教育の名を借りた虐待のようなものを受けていたこと。
話すのは簡単ではありませんでした。
それでも、言葉にしたのは、整理したかったからでもあり、
「もう大丈夫」と言える場所が欲しかったからでもあります。
そのとき、相手は軽い調子で、こう言いました。
「虐待されてた人って、自分の子どもに虐待するらしいから気をつけてね」
※読むのがつらい方は、ここで一度深呼吸して、離れても大丈夫です。
一瞬、言葉の意味が頭に入ってきませんでした。
次の瞬間、胸の奥に、強い怒りと冷たさが立ち上がりました。
💔1|それは注意じゃなく、“加害側に置く”言葉だった
相手は、善意のつもりだったのかもしれません。
あるいは「一般論」を言っただけだと思っていたのかもしれません。
でも、私にとっては、注意喚起ではありませんでした。
虐待に苦しんできた人間に、
そして、虐待行為そのものを強く憎んできた人間に対して、
平然と「あなたもそうなるかもしれない」と言う。
その瞬間、私は“被害を生き抜いてきた人”ではなく、
“加害の予備軍”として扱われた感覚になりました。
それが、どうしても受け入れられませんでした。
💔2|怒りの正体は、「境界線」を踏まれたこと
虐待を受けた人が、みんな同じ未来を辿るわけではありません。
それぞれが、それぞれの選択をします。
そして少なくとも私は、長い間ずっと、
「虐待」というものを憎んできました。
憎んできた、というのは、単なる感情ではなく、
私の中の“境界線”だったのだと思います。
これだけは絶対に肯定しない
これだけは自分の人生に持ち込まない
これだけは、自分が守る側に回る
そうやって、人としての線を引いてきた。
そこへ、「あなたも虐待しないように気をつけて」と言われると、
境界線の上に泥を塗られたような感覚になります。
「あなたは何を大事にして生きてきたの?」
その問いすら省略して、
ラベルだけで未来を決めつける言葉。
だから腹が立つし、苦しくなる。
それは“過敏”というより、自然な反応に近いのだと思います。
💔3|こういう言葉に触れたとき、判断を自分に戻す方法
この手の言葉に触れたとき、すぐに上手く返せないこともあります。
言い返す気力が湧かない日もある。
返せなかった自分を、あとから責めなくていいです。
だから、まずは内側で、静かに整理するだけで十分です。
①「私は何に怒った?」を一言にする
たぶん怒りは、ここです。
私は“加害側”に置かれた。
この一言が言えたら、怒りは少し輪郭を持ちます。
②「私は何を大事にしてきた?」を思い出す
私は虐待を憎んできた。
その線を守る側で生きてきた。
ここを思い出すと、他人の一言で揺れた足場が戻ってきます。
③距離を取る(短く、静かに)
相手に説明する義務はありません。
でも、もし言葉を返すなら、長くしない方が安全です。
「その言い方は、私はしんどいです」
「一般論で私を語られるのは苦しいです」
「その話題は、ここでは終わりにしたいです」
境界線は、相手を論破するためではなく、
自分を守るために引くものです。
虐待を受けた経験がある人ほど、
「加害者になりたくない」という強い倫理を抱えていることがあります。
その部分を見ずに、軽く“未来の汚点”を置く言葉は、
注意ではなく、傷として残ることがあります。
今日、これを読んだあなたの判断が、
少しでも自分に戻りますように。
静かな調律の時間になりますように。
深鈴
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