「要らない」の呪縛がほどけた日
今日、ひとつの感覚がほどけました。
考え抜いたというより、身体の奥が先に「もう大丈夫」と言ったような気づきです。
私は長いあいだ、どこかで
「私は世界にとって悪者だ」という感覚を引きずっていました。
きっかけは、子どもの頃に投げられた一言です。
「お前なんて要らない!」
もし、この手の言葉がつらい方は、今日はここで閉じても大丈夫です。
ここから先は、その言葉がどうやって心に残り、どうやってほどけていったかを、静かに書きます。
✨1|一言は、出来事ではなく“前提”として残る
あの言葉は、怒鳴られた記憶というより、
いつのまにか私の中の“前提”になっていました。
「私は要らない」
「私は迷惑」
「私はいてはいけない」
そういう前提を持つと、
世界の見え方は少しずつ変わります。
誰かの表情が曇ると、自分のせいに見える。
場の空気が重いと、自分が原因に思える。
うまくいっても、受け取れない。
そして、気づかないうちに
「私は世界にとって悪者だ」という形にまとまっていく。
悪者でいるほうが、説明がつくから。
悪者でいるほうが、先に傷つけられない気がするから。
✨2|“呪縛”は、怖さを避けるための安全装置にもなる
不思議なことに、
あの言葉の呪縛は、私を苦しめるだけでなく、守りにもなっていました。
「私は要らない」と思っていれば、
期待されなくて済む。
頼られなくて済む。
愛されたいと思わなくて済む。
望まなければ、失う痛みも小さくできる。
そうやって心は、生きるためにバランスを取っていたのだと思います。
ただ、その守り方を続けるほど、
人生は少しずつ窮屈になります。
頑張っても満たされない。
褒められても落ち着かない。
優しさを受け取ると、怖くなる。
それは性格ではなく、
安全装置が“ずっと作動していた”状態だったのかもしれません。
✨3|「私は悪者ではない」は、反論ではなく“解除”だった
今日、ふと、こう思えたんです。
「私は悪者ではない」
それは、親の言葉に言い返すような強い反論ではありませんでした。
もっと静かで、身体が先に納得するような感覚でした。
あの一言が、私の全てを決めるわけではない。
あの一言が、世界の真実ではない。
あの一言は、ただ“その人の感情の放出”だったのかもしれない。
そう思えた瞬間、
長く握っていた何かが、少し緩みました。
呪縛がほどけるときって、
大きな勝利というより、呼吸が戻る感じに近いのだと思います。
「お前なんて要らない」
その言葉が私の中で“前提”になっていた時間は、長かった。
でも今日、ようやく、
その前提を採用しなくていいと思えました。
私は要らない存在ではない。
私は世界にとって悪者ではない。
この気づきが、同じように心が固くなっている人の中で、
ほんの少しでも余白を生むきっかけになりますように。
静かな調律の時間になりますように。
深鈴
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