「叩かれても聴く」: REAL-TとYGのリアル
363万回表示された「恐ろしい」記事
2026年5月31日、音楽ナタリーが一本のインタビュー記事を公開した。タイトルはこうだった。「出所したばかりのラッパーREAL-Tが明かす刑務所の中での音楽活動」。
音楽ナタリーは日本最大規模の音楽メディアのひとつで、主要なメジャーアーティストから独立系まで幅広く扱う。そのメディアが犯罪歴のある人物をアーティストとして本格インタビューした、という事実そのものが、一部の人間には許せないことだった。
その引用ポストがタイムラインに流れた瞬間、Xは沸騰した。「音楽ナタリー史上1番恐ろしい」というコメントとともに拡散された投稿は、363.8万件の表示を記録した。リプライ欄は怒りと嫌悪で埋め尽くされた。「ただの犯罪者をアーティストのように扱うな アホが」。「ラッパーとかその付近の界隈、それらのファン達。俺がコイツらを嫌いな理由が詰まってるわ。こういうのを偉業として捉えてイキがる。そしてファン達も崇め讃える。キモい奴らだわ。」。「ラッパーは99%反社」。「ラッパーじゃなく、出所したばかりの犯罪者でしょ」。「全く反省してなさそうな口ぶりなのが怖い」。そして出自を揶揄する投稿も。
これほどの反応を生む記事は、そうそうない。363万を超えるインプレッションは、大きな祝福か、大きな怒りの証かのどちらかだ。この件は後者だった。
だが、それと同時に、別の声もあった。「待ってた✨」。
REAL-T、逮捕までの軌跡
REAL-T(リアルティー)は1996年生まれ、大阪市生野区の今里出身のラッパーである。
音楽を始めたのは、地元の友人の勧めがきっかけだった。2018年に友人のブランド「JOEMONTANA OGSH9」のイベントに飛び入り参加し、2019年9月6日に初楽曲"REAL業界"を発表した。REAL-Tはリリース前から「いける気しかしやんかった」と自信を語っている。
2020年8月末、REAL-Tは他2人とともに逮捕された。罪状は生命身体加害目的略取、逮捕監禁、傷害。自らが所属する「リアルグループ」のリーダーと口論になった20代の男性を公園に呼び出し、催涙スプレーを噴射して車に押し込んだ。そのまま八尾市内の山中に連れ込み、金属バット状のもので頭部や顔面を繰り返し殴打し、刃物で両手の指を切った。
インタビューでREAL-T自身はこう振り返った。
ケンカして、人をさらって、ぐちゃぐちゃにしました。生命身体加害目的略取ってやつで、殺人未遂の一歩手前ですね
怒りが噴出するのは当然だ。被害者がいる。被害者の人生に、消えない傷が残った。「一歩間違ってたら和製Tay-K(殺人事件で懲役刑になったアメリカ人男性)になってたであろう男」というXのリプライは、言い得て妙だと思う。
音楽ナタリーには「インタビューするのは良いけど、こういう人間を売れさせちゃダメだよ」というリプライもあった。「国から反社認定されてる人間なのにメディアはそれを伏せてアーティスト扱いしていいのか」という声もあった。「メディアとしてそこは一線引かないとダメだろ」という声も。
ただ、ここは私は理解しきれない。REAL-T本人は「もう音楽だけですね。僕はリアルグループの一員で、それはどこまで行っても変わらないんですけど、今後は音楽に専念して、まずはアルバムを出して、ツアーで全国を回って、それからも曲をずっと出していくつもりです」と公言している。
にもかかわらず、アーティストとしての活動と過去の犯罪事実を同一の論理で一気に否定する議論は、半グレラップとして確立された表現形式への検討を飛ばした「ご飯論法」に近いと感じる。
そして、過去の言葉の中にあった一言が、ずっと頭から離れない。
「そこまで繋がってるんすよ。そうじゃなかったら、この流れおかしいですもんね」
逮捕は、ラッパーとして成功してきた自分の人生の帳尻を合わせる運命的な出来事だったのではないか。そういう意味の発言だ。これを「反省がない」と読む人は多いが、私はそう受け取らない。
あのときのこと 反省してない1ミリも
塀の中でも続けた音楽
REAL-Tは「4年ですね」と服役年数を語った。本来は5年の刑期だったが、仮釈放で1年早く出所した。「本当は5年いるはずだったんですよ。1年も仮釈がもらえるのは滅多にないことで」と彼は言う。
服役中、彼は歌詞を書き続けた。昼間は工場で働き、余暇の時間にリリックを書いた。歌詞の検閲はなかったという。音楽を聴く許可は、模範囚として最高ランクに達しなければ得られない。REAL-Tは15日間の懲罰を受けたためそのランクに届かず、CDを聴けないまま4年を過ごした。
それでも彼は音楽を続けた。頭の中でビートを思い出し、フロウを組み立てた。
「頭の中でビートを思い出して、リズムを自分で作って、フロウも全部決めとった。外に出てから刑務所の中で考えていたフロウそのままでレコーディングしましたね」
ANARCHYとのコラボ曲"OUT ON BAIL"(保釈中、の意)は、懲罰部屋に入っている間に頭の中だけで構成した曲だという。刑務所の隠語で「座る」と呼ばれる懲罰状態にありながら、彼はフロウを設計し続けた。
服役中の間も、外との繋がりは絶えなかった。仲間たちから200通以上の手紙が届き、面会は100回を超えた。REAL-Tはそれが仮釈放の一因になったと語る。刑務所当局は服役態度だけでなく、「社会に戻る場所がある」かどうかも判断基準にするという。
「これから刑務所に入るラッパーとかには、中の生活じゃなくて、外に居場所があるかないかでジャッジされるぞってことを伝えたいですね」
REAL-Tが収監されている間も、Jin DoggはコラボレーションシングルであるREAL-Tとの"街風"をPOP YOURSなど各地のステージで繰り返し歌い続け、曲をアンセムとして生き続けさせた。出所後、REAL-Tはそれについてこう語った。「Jin Doggさんがそうやって歌ってくれたおかげもあって、みんなに忘れられなかったんで、ありがたいですね」。
過去の記事でも述べたが、あの時期の関西ラップはREAL-Tを中心に巻き上がり、収監とともに終息したのである。
そして、4年の沈黙の後、音楽と大阪は彼のために待っていた。
同じ週、LAでも起きていた同じ論争
同じ週、Los Angelesのヒップホップをめぐって、似たような構図の論争がX上で起きていた。
きっかけはYGの新曲"Gang Bizness"だった。PayGottiをフィーチャーしたこの曲は、2026年5月29日にリリースされた。YGの7枚目のスタジオアルバム"The Gentlemen's Club"(2026年6月19日リリース予定)の先行シングルで、HotNewHipHopは「象徴的なウェストコーストのストリートエネルギーで構成されており、YGがCaliforniaで最も知名度の高いラップ・ボイスの一人としての地位を確立した音を体現している」と評した。PayGottiについては「YGのベテランとしてのデリバリーを補完するグリッティなプレゼンス」と描写されている。
ここで重要なのは、同じ曲がメディア側では「王道回帰」として歓迎される一方、批評側では「停滞」として読まれている点だ。HotNewHipHopは、この曲を新作アルバムのローンチとして肯定的に位置付ける。だがDejon Paulは、まさにその同一要素を、地域外での伸び悩みの原因として問題化する。つまり争点は曲の良し悪しそのものより、「同じことを続けることは誠実さか、硬直か」という評価軸にある。
この曲の公開を受けて、音楽評論家のDejon Paulがこう書いた。「LAラップは本当にギャング・バンギングな音楽とそのイメージから抜け出せない。カリフォルニア以外の人間がこれを見たら、『またあのLAの連中が90年代から同じことをやってる』と言う。そしてなぜ南部や中西部や東海岸でツアーができないのか不思議がってる」
さらに彼は続けた。YGとTygaのジョイント・ツアーはチケットの売れ行き不振でキャンセルになった。「その他のアーティストはギャング中心の音楽をやっていない」、というのが彼の主張だ。
この批判は大きく3つの層に分けて読める。第1に美学の層で、ギャングバンギング的指向が90年代から反復されているという指摘。第2に市場の層で、ツアー成立や動員という指標への接続。第3に地理の層で、California内では成立する語りが南部・中西部・東海岸では受容されにくいという地域差である。Dejon Paulの発言は感情論ではなく、この3層を接続した産業批評として読むと輪郭が明確になる。
これに対して、別の声もあった。「それはLAで50年以上続いてきた文化なのに、なぜ変わらなきゃいけないんだ」。
この反論は、単なる感情的な擁護ではない。Comptonを含むLAのローカル文脈では、ギャングスタラップは地域史・生活圏・共同体の記憶と結びついた語りであり、更新より継承を重視する局面がある。外部市場の視点では反復に見えるものが、内部の視点では「語りを切らさない責任」として評価される。この視点を捨てると、Dejon Paulの批判は正しくても、なぜ、いまだに支持が残り続けるのかを説明できない。
"Gang Bizness"の歌詞の一節はこうだ。
Gang business, I don't really do no lame s**t
Ain't no pattin' down the killers that I came with
「ギャングのビジネス、つまらないことはしない
一緒に来た奴らに武器検査なんてしない」
YGが"My Krazy Life"や"Still Brazy"でCaliforniaのストリートを描いてきたのと同じ語り口だ。何も変わっていない。そしてそれこそが問題だと、批判者たちは言う。
なぜ叩かれるのか
まず事実を置く。REAL-Tには、被害者が実在する事件がある。催涙スプレー、拉致、金属バットでの暴行、そして両手の指を刃物で切る行為という内容そのものが重い(しかし、懲役5年ほどの罪であるが)。さらに、音楽ナタリーがその人物を取り上げたことに対して反発が起きた。YGには”Gang Bizness”をめぐる論争があり、Dejon Paulは批判の軸を、ツアーの成立や地域を超えた受容の弱さに据えた。ここまでは確認可能な事実である。
次に私見を述べる。これらへの批判は正当だ。被害者の存在を前にして倫理的拒否反応が生まれるのは当然であり、メディア掲載への違和感も公共的な感覚として理解できる。YGへの批判も、作品像と市場反応の接続を問うという点で筋が通っている。私はこの正当性を否定しない。
ただし、ここで論理を混線させてはならない。犯罪責任の評価は、被害の現実と加害行為に即して厳格に行うべきであり、アーティスト活動の評価は、表現の内容・受容・持続可能性という別軸で検証されるべきだ。前者の怒りをそのまま後者の結論に流し込めば、あるいは後者の市場論を前者の免罪に使えば、議論は壊れる。私はこの短絡的な考えを嫌う。
とりわけ警戒すべきは、ご飯論法的なすり替えで、問いA(犯罪責任)への応答のふりをして問いB(音楽評価)に逃げる、またはその逆を行う手つきである。批判を有効にするには、論点を分離したまま、厳しさだけを同時に保つ必要がある。
YGについては、批判者の分析は事実として正確だ。“My Krazy Life”から“Still Brazy”、そして“The Gentlemen’s Club”まで、YGの音楽的コアはCompton出身のギャングスタラッパーとしての視点に一貫している。Dejon Paulが指摘するように、それがツアーの収益や全国的な人気に影響しているとすれば、批判の核心は正しい。チケット不振の実績が並び、数字はそれなりに正直だ。
加えて、叩かれ方そのものには流通構造の問題も重なる。強い言葉ほど拡散されやすく、メディア掲載は賛否を同時に呼び込み、コメント空間は短時間で極端化する。そこで起きるのは、精密な検証よりも、立場表明の速度競争だ。私はこの構造を免罪符として使うつもりはないが、批判が増幅される仕組みを見落とすと、誰が何に対して怒っているのかが見えなくなる。REAL-Tの件でもYGの件でも必要なのは、怒りの量を増やすことではなく、評価対象を固定し、責任論と作品論を混同しないまま言葉を選ぶことだ。
それでも私が聴く理由
では、なぜ私はこの音楽を聴くのをやめられないのか。
ギャングスタラップの「真正性(オーセンティシティ)」という概念は、常にアーティストの側にある。このジャンルは「本当の中に生きてきたかどうか」を問う。そしてREAL-Tは、本当の中に生きていた。留置所の中で書いた曲。実際に起こした暴行事件。それを「帳尻合わせ」と表現する淡々とした自己認識。懲罰部屋で音楽も聴けない状態のまま頭の中だけでビートとフロウを組み立て続けた4年間。200通を超える手紙を送り続けた仲間たちの存在。これほど「裏表のない」音楽を、私は他に知らない。
念を押しておく。私はREAL-Tの行為を称賛しているわけではなく、実際に代償を払い終わったのある。被害者への同情がないわけでもない。しかし、その音楽が纏う「本物だ」という密度が、私には消えない。
YGも同様だ。「90年代から変わらない」という批判を別の角度から言い換えれば、こうなる。「デビュー以来、何も嘘をついていない」。Compton出身のギャングスタラッパーとして市場に登場し、2026年現在もそのままだ。Dejon Paulが指摘するように、それが収益に直結しないのは事実かもしれない。しかし、収益と音楽の真正性は、別の問題だ。商業的な成功と芸術的な誠実さが一致しないことは、音楽史上珍しくない。
批判する声の多くが見落としていることがある。彼らが批判する「変わらなさ」こそが、そのジャンルを価値あるものにしているということだ。ギャングスタラップにおいて「プロップス(尊敬)」は、パフォーマンスに対して与えられるのではなく、証明された人生に対して与えられる。REAL-TもYGも証明し続けている。
変わることを「成長」と呼ぶジャンルもある。しかしギャングスタラップにおいて変わらないことは、裏切らないことだ。ファンに対してではなく、自分自身が生きてきた現実に対して。
聴き手としての私は、その「現実の重さ」に反応している。暴力の事実が消えるわけではない。だが、暴力をなかったことにする美しい語りより、汚れた履歴をそのまま抱えた語りのほうが、ヒップホップでは真実に近く聞こえる。REAL-Tの名前やYGの曲に頭ごなしの拒否を示す態度は、私ははっきり否定する。検証を経ない反射的な断定は、責任論も作品論も粗くしてしまうからだ。
そして、安治川沿いでレクサスを流しながら撮るREAL-T。串源で飯を喰らうREAL-T。新地中央通で練り歩くREAL-Tたち。こういうことなんですよね。
「腹を決めてラップしてます」
インタビューの中でREAL-Tはこう語った。
「身の回りのことをラップしたことで大変な目に遭うことはないか」という問いに対して、「今のところないですね」と答えた後、「この先続ける中では、いつかそういうトラブルも絶対あると思うんですけど」と付け加え、最後にこう締めた。「腹を決めてラップしてます」。
覚悟宣言だ。反省がないと感じる人もいるだろう。それはそれで、正直な感想だと思う。しかしこの「腹を決めた」という状態こそが、REAL-Tの音楽を成立させている根拠でもある。
ラップとは多くの場合、証言だ。自分が何者で、何を見て、何をしてきたかの証言。REAL-Tの証言は、服役の4年を経てより一層の密度を得た。Xに「インタビューするのは良いけど、こういう人間を売れさせちゃダメだよ」という声があった。感情として理解できるかもしれない。しかし「売れさせてはいけない」という論理は、「作ることも許されない」へと容易に転化する。それはまた別の問いだ。
しかし私が「聴いてしまう」のは止められない。服役中のREAL-Tに200通以上の手紙を送り続けた仲間の存在。Jin DoggがREAL-Tとの"街風"を彼の不在中もアンセムとして歌い続けたという事実。YGが"The Gentlemen's Club"という新作で、何も変えずに帰ってきたこと。
「リアル」という言葉は、ヒップホップで何度も擦り切れるほど使われてきた。だが、REAL-Tの名前の中に、YGの歌詞の中に、その言葉はまだ生きている。叩かれても聴くのは、そこに嘘がないからだ。私には、それがすべてだ。
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