DaBabyが40エーカーで描く復活の設計図
業界に見捨てられたラッパーが、Charlotteの荒野で40エーカーの土地を手に入れ、古い家屋を自ら壊しながら語った「感謝」の意味とは。
2019年に"Suge"で全米を席巻し、ショー1回50万ドルのギャラを手にしていたDaBaby。しかし業界の風向きが変わると、電話は鳴らなくなり、ブッキングは止まり、ショーギャラは3万ドルまで急落した。それでも彼は止まらなかった。
7年の時を経た2026年、DaBabyはMillion Dollaz Worth of GameのGillie Da KingとWallo267を自らの40エーカーの土地に招き、重機に乗って古い家屋を解体しながら、復活の哲学を語った。アルバム"Be More Grateful"とシングル"Pop Dat Thang"で再び世界の注目を集める今、その土地に込められた意味を紐解く。
「40エーカー、ミュールなし」: 自力で果たした約束
DaBabyが繰り返した「40エーカー、ミュールなし」という言葉には、アメリカ史の深い文脈が刻まれている。南北戦争後、解放された黒人奴隷に約束されながら実現しなかった「40エーカーとラバ一頭」。DaBabyはその歴史的約束を、誰の手も借りずに自力で実現してみせた。「誰もこの土地をくれたわけじゃない」。その宣言には、自らの手で掴み取ったものへの矜持が滲んでいる。
Million Dollaz Worth of Gameの収録は、まさにその土地で行われた。DaBabyは重機を操縦し、敷地内にあった古い家屋を解体していく。Gillie Da KingとWallo267も重機に挑戦した。Wallo267は「刑務所でホットヨガルームを一から建てた経験がある」と豪語しながらレバーに手をかけたが、操作には手こずり、煙突を倒すこともできなかった。一方、元ゼネコン業者だったというメンバーが解体の手順を指導する場面もあった。カメラマンのBlackは撮影のためだけに崩壊寸前の建物に侵入し、「命に保険をかけろ」と叫ばれる一幕もあった。サイドバイサイドで40エーカーを駆け抜ける映像では、後部座席のスタッフが文字通りしがみついていた。
敷地内には小川が流れ、叔父たちと釣りを楽しむための池を作る計画がある。丘の上にはバーンドミニアム(納屋と住居を融合した建築)の建設が進み、タクティカル仕様の屋内射撃場まで構想されている。「壊して、建てる。それがこの40エーカーでやっていることだ」。その言葉は土地開発の説明であると同時に、DaBabyのキャリア哲学の宣言でもある。
Gillie Da KingはDaBabyのMillion Dollaz Worth of Gameへの出演回数が「誰よりも多い」ことに触れ、その軌跡を振り返った。最初にCharlotteで会った時は大勢のアーティストを抱えていた。その後、フットボールフィールドやバスケットコートを備えた豪邸を2度訪問した。そして今回は40エーカーの更地だ。この進化を、3、4時間かけて過去のエピソードを見返すだけで追体験できるとGillie Da Kingは語る。「Netflixの映画よりも多くのことを学べる」と。
50万ドルから3万ドルへ: 底を見ても走り続けた理由
DaBabyの復活を語る上で避けて通れないのが、彼が経験した落差の凄まじさだ。全盛期のショーギャラは1回50万ドル。カレンダーは35万、37万5千、40万ドルの公演で埋まり、30万ドルの依頼すら断らなかった。プライベートジェットで移動し、ステージ衣装も脱がずに次の会場へ向かう。「1日で100万ドルを稼ごうとしていた」と彼は当時を振り返る。
しかし業界の風向きが変わったとき、ギャラは3万ドルまで落ちた。電話が鳴らなくなり、ブッキングは止まり、フェスティバルからの声もかからなくなった。周囲のスタッフは全盛期の待遇に「甘やかされていた」ため、この急落に対応できなかった。しかしDaBaby自身は違った。
"I'm simply not that type of nigga. I'm a thug through it."
「俺はそういうタイプの人間じゃない。困難を突き抜ける、それだけだ。」
ガキの頃からずっとそうだった、とDaBabyは言う。音楽業界での苦難は、人生全体で経験してきたことに比べれば「軽い」と。世間に名前を知られる前も、そして知られてからも、何度も修羅場をくぐってきた。2019年のブレイクから7年。「気づいたら、もうこの業界のベテランだ」と自ら驚くほど、ただひたすらに走り続けてきた。
Wallo267はDaBabyの強さを鋭く分析した。多くのアーティストの自信は「天然のもの」ではない。音楽、宝石、車、女性からの注目がその自信を作り出しているに過ぎず、すべてが失われたとき自信もまた消える。「本当の試練は、誰もお前を相手にしなくなったときに訪れる」。DaBabyが特別なのは、その試練の中で折れずに「見てろ」と言い続けたことだとWallo267は語った。
この時期、DaBabyを支え続けた存在がGillie Da KingとWallo267だった。DaBabyは「レーベルの人間よりも、この二人と話している時間の方が長い」と明かした。レーベルがミーティングの電話をかけてきたとき、「俺と話す必要はない。GillieとWalloに聞いてくれ」と返したほどだ。二人は動きが止まった時期にも連絡をよこし、「あのコンテンツをやれ、毎日やれ」と具体的な助言を送り続けた。レーベルは成功が見えてから動くが、Gillie Da KingとWallo267は暗闇の中でも電話をかけた。DaBabyの実力を認め、自身のアルバム制作に招いたASAP Rockyのように、同業者からの信頼は業界の評判とは別の次元で存在していたのだ。
また、DaBabyは当時のビジネス構造にも問題があったと認めている。全盛期ほど「ハンズオン(直接関与する形)」ではなかったため、プロモーターからの連絡が仲介者に遮られていたケースもあった。現在は「すべての数字を自分に通せ。俺がイエスかノーか決める」という体制に変えている。金額の大小を問わず、すべてのオファーを自分の目で判断する。それが復活のもう一つの鍵だった。
すべてを自前で: 制作インフラの内製化
DaBabyの復活がヒット曲の偶然ではない証拠は、彼が構築したインフラにある。2020年、DaBabyは制作に必要なあらゆる機材に投資した。15万ドルのレンズひとつを含む映像機材一式。その目的は明確だった。「最高のレベルで何でもできるように、すべての道具を揃えること」。
だが機材を買うだけでは終わらなかった。DaBabyは自腹で高予算のミュージックビデオを撮影しながら、現場で技術を吸収していった。レーベルからの予算承認は期待できない時期だ。だからこそ自分の金を注ぎ込み、その代わりにすべてを学んだ。機材の名称、操作方法、照明の設計、カメラワークの原理。その結果、現在のDaBabyはプロジェクトの企画からプロデュース、監督、出演、MacBookでの編集、さらにはカラーグレーディング(色味の最終調整)の指示まで、一人で完結させる能力を手にしている。撮影したばかりの映像をスタッフが見せたとき、DaBabyは「見た。いい感じだ。ただ、俺が手を入れる」と答えた。その言葉が、彼の制作哲学を端的に表している。
この哲学はDaBaby個人にとどまらず、チーム全体に浸透している。彼が求めるのは「複数の帽子をかぶれる」人間だ。合流当初は1つか2つの役割しかこなせなかったメンバーが、今では10の仕事をこなしている。現場にいる3、4人のスタッフだけで、楽曲制作からコンテンツ撮影、マーケティングまで完結する体制が出来上がった。
アルバム"Be More Grateful"のシングル"Pop Dat Thang"の制作過程は、この内製化が生む俊敏さを体現している。CharlotteのHornetsの試合帰り、地元出身のプロデューサーSean the FirstとKOから送られてきたビートを聴いたDaBabyは、即座にエンジニアを呼び出した。「今すぐ来い」。自宅のリビングルームでレコーディングし、その場で仕上げた。アルバムの残りは「痛みを曝け出し、証言を語り、すべての真実を晒す」内容で既に完成していた。足りなかったのは「楽しい曲」。ビートを聴いた瞬間、「これだ」と確信した。"Pop Dat Thang"がアルバム最後のピースとなった。
そこからMiamiへ4、5人の少人数で乗り込み、帰りのフライトも取らずにコンテンツ制作に没頭した。2、3日の滞在予定が1週間半に延び、現地で次々とブッキングが入り始めた。「あれ以来、座って休む暇がない」。レーベルの承認を待ち、外部クリエイターを雇い、予算を申請する従来のモデルとは対極の、自律的な創作と発信のサイクルがそこにある。
闘いを纏う少年: 甥が教える「感謝」の真意
DaBabyの言葉には、繰り返し「子どもたち」への言及が現れる。「自分をグラウンディングさせるもの、笑顔でいられる理由、それは子どもたちだ」。娘は音楽に取り組み、甥は映像制作の現場で堂々と立ち回る。「もし今日すべてを止めて、ただ彼らの父親や叔父でいるだけでも、俺は最高に楽しい」。しかしDaBabyが最も力を込めて語ったのは、甥の存在だった。
甥の父親は、甥がまだ2、3歳のときに自ら命を絶った。その余波の中で育った少年だが、DaBabyは彼の中に、自分と同じ「ある布から切り出された」強さを見出している。
ミュージックビデオ"Letter to My YN"の撮影時のエピソードが象徴的だ。大掛かりなライティングとカメラが並ぶ本格的なセットで、ディレクターが甥に丁寧に段取りを説明した。ショットの手順、動きの指示、3回ほど繰り返すという段取り。説明が終わり、ディレクターが反応を待った。甥はベンチに座ったまま、真顔でディレクターの目を見つめ返すだけだった。「カメラ回してくれ。暑いんだから」。映画"Belly"のワンシーンのように泰然と構えるその姿に、ディレクターはDaBabyに歩み寄り「本物だな」と漏らした。
DaBabyはこの胆力を「予算の問題じゃない」と断言する。
"You got niggas out here who got a billion dollars. They wish their kid was like nephew."
「10億ドルを持つ親でも、甥のようになってほしいと自分の子どもに願う。」
闘いの中で鍛えられた強さは、金では買えない。「俺たちの闘いと物語が、俺たちを今の人間にしている」。甥の父の死という痛苦が、少年の中で「スワッグ」に変換されている。DaBabyはそのプロセスを、甥が生まれる前から見守ってきた。誰が叔父であろうと、「俺たちが切り出された布」は変わらない。だが叔父であるDaBabyがいることで、甥には「絶対に失敗させない」という安全網がある。その安全網の上で、少年は自らの闘いを強さに変えている。
DaBabyが子どもたちに与えたのは金だけではない。自分の物語を武器にするという哲学と、それを実行するための道具と環境だ。彼はチーム全員に求めるのと同じことを、子どもたちにも実践している。何でもできる人間になれ、と。
この文脈において、アルバムタイトル"Be More Grateful"の意味はより深くなる。DaBabyにとっての「感謝」とは、成功への感謝ではない。頂点から落ち、底を這い、再び上がってくる過程そのものへの感謝だ。その闘いが自分を形作り、子どもたちの中にも受け継がれていることへの感謝である。
"Long as I'm doing that, I can't lose."
「それをやっている限り、俺は負けない。」
40エーカーの更地に立ち、DaBabyはそう宣言した。ツアーは3月29日からスタートし、5月14日まで続く。6月13日にはCharlotteで初のBe More Grateful Festが開催される。壊して、建てる。その繰り返しの先に、DaBabyは「感謝」という名の揺るぎない土台を据えた。
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