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Isaiah Rashadが壊す「強い男」幻想

2026年5月のBreakfast Clubで、Isaiah Rashadはひとつの言葉でアルバム"It's Been Awful"の核心を語った。「俺の男性性の解体。自分を知るための長い旅だった。」5年間の沈黙を経て帰還したIsaiah Rashadの「最悪」は、業界の仕打しうちでも外からの攻撃でもなく、自らが内面化ないめんかした「男らしさ」の幻想げんそうとの格闘だった。

ヒップホップの男性性への批判ひはんは、今にはじまった話ではない。しかし「批判者」として語るのではなく、その構造の中で苦悩くのうした当事者として語る声は、まだ少ない。Isaiah Rashadの言葉は後者だ。依存症、性的流動性の露出ろしゅつ、業界との確執を経て、Isaiah Rashadは「称えられない生き方」を選んだ。その選択の軌跡きせきが"It's Been Awful"に刻まれている。


ヒップホップが「称える」もの

Breakfast ClubのCharlamagne tha Godが「どんな男性像について書いているのか」と問うと、Isaiah Rashadは静かに、しかし明瞭めいりょうに答えた。「ヒップホップが称えているのは乱交らんこう的な性質と冷酷さだ。良い父親でいることは称えられない。誠実せいじつであることは称えられない。称賛しょうさんなしにコミュニティのリーダーでいることも称えられない。感情を通じて、人へのせっし方を通じてリーダーであることも、ヒップホップにはない。そして本物の男は泣く。

この発言は、ヒップホップの報酬構造に対する批判ひはんだ。ヒップホップというジャンルは、長らく「強さ」「冷酷さ」「女性|遍歴《へんれき》の多さ」を男性アーティストの成功指標として組み込んできた。Isaiah Rashadが名指しするのは、その構造そのものだ。良い父親でいること、脆弱ぜいじゃくさを見せること、感情を通じてリーダーであること。これらが称えられないことで、多くの男性が本来持ちうるアイデンティティを抑圧よくあつされる。

Isaiah Rashadが「防弾」の境地に辿り着くまでの全体像については、こちらの記事で詳しく論じた。

Isaiah Rashadの発言が単なる「メッセージ性のある言葉」にとどまらないのは、彼自身がこの構造の中で苦悩くのうした当事者だからだ。Breakfast Clubでのインタビューを通じて、Isaiah Rashadは繰り返し「ヒップホップの中にはロールモデルがなかった」という感覚を滲ませた。称えられる男性像が用意されていて、それに自分が当てはまらないとき、人は「称えられない生き方」を選択肢せんたくしとしててなくなる。Isaiah Rashadが語るのは、その構造的な問題だ。

「バイセクシャルの黒人男性のマニュアルはない」

2022年の映像流出りゅうしゅつは、Isaiah Rashadのセクシャリティを公の場にさらした。Isaiah Rashadは以前にもJoe Buddenとの対話の中で「性的に流動的りゅうどうてきだ」と語っていた。Breakfast Clubのインタビューで、Isaiah Rashadはその時期についてこう振り返った。「双性愛者そうせいあいしゃの黒人男性であることのマニュアルは存在しない。それは自分を何かから隠すというより、どうすれば排斥はいせきされずにいられるかを知らないということだった。」

この発言は、男性性の問題をより複層ふくそう的な次元へと引き上げる。ヒップホップという文化圏では、男性の性的流動性は長らくタブーたぶーとされてきた。「ゲイ」というレッテルが侮辱ぶじょくとして機能する場面を、ヒップホップは幾度も再生産してきた。Isaiah Rashadが語る「マニュアルがない」という言葉は、この文化的空白くうはくを指している。自分が何者であるかを、自分の属する文化が肯定する言語で表せないという状況だ。

Isaiah Rashadはこう続けた。「俺の男性性の解体というのは、自分自身を知るための長い時間だった。」アルバムタイトル"It's Been Awful"の「最悪」は、外部からの攻撃への言及ではなく、この内なる迷走への言及げんきゅうでもある。どのような男性であるべきかを問い続けながら、既成きせいの答えが一つも機能きのうしなかった時間。Isaiah Rashadはその時間を"Awful"(最悪)と名付け、げずに向き合った。

Isaiah Rashadはそれを「自分を知るための長い旅」として表現ひょうげんした。この旅は外からは見えない。苦悩くのうを隠すことが当然とうぜんとされる文化の中では、苦悩くのうの存在すら語られない。語れない苦悩くのうは積み重なり、やがて依存症という形で噴出ふんしゅつする。Isaiah Rashadのキャリアの軌跡きせきは、その連鎖れんさの記録でもある。

ヒップホップというジャンルが、異なるセクシャリティや性的流動性を持つ黒人男性のロールモデルを欠いてきたこと。Isaiah Rashadの発言はその不在ふざいへの告発こくはつであり、同時に「それでも生きてきた」という証言しょうげんでもある。

「本物の男は泣く」という宣言

Isaiah Rashadの発言の中で最も明快めいかいなものの一つが、「本物の男は泣く。本物の男は感じる。本物の男は自分に疑問ぎもんを持つ」だ。Breakfast Clubでの文脈は、ヒップホップの男性性批判の直後だった。称えられない「良き父」「誠実さ」「感情的リーダーシップ」について語った後、Isaiah Rashadはこの一文で自分の立ち位置を明示した。

さらに付け加えた。「自分自身に対して確信かくしんを持ち、無敵むてきに見えることだけを追い求めて生きていくことは、一人の若者を誤った方向にき込む可能性がある。そういうキャラクターの中にじ込められなければならないと感じさせてしまう。」

この発言は教育論でもある。「無敵の男性像」にあこがれて自分を形成した若者が、脆弱ぜいじゃくさを見せることへの恐怖きょうふ内面化ないめんかした結果、孤立や依存症のリスクにさらされる。Isaiah Rashadはその構造を自身の経験から語っている。「無敵」を演じることは保護ではなくわなだ、と。

"It's Been Awful"の楽曲もこの宣言せんげん裏付うらづけている。HOT 97でIsaiah Rashadは"Act Normal"という曲についてこう語った。「俺は書きながらいた。本当にいた。」自分の感情に正直しょうじきに向き合い、泣きながら書かれた楽曲が"It's Been Awful"に収録しゅうろくされている。「本物の男は泣く」は抽象ちゅうしょう的な標語ひょうごではなく、Isaiah Rashadが実際に実践したことだ。泣きながら書かれた曲は、泣くことを許可きょかされていない人間に届く言葉を持つ。

ミソジニーを手放して生まれた音楽

Isaiah RashadはHOT 97でこう語った。「俺は個人的な経験を表現ひょうげんすることへの意識いしきたよった。ミソジニーにたよるのではなく。ヒップホップでは"女たちへの怒り"を簡単かんたんに曲にしてしまいがちだ。でも本当はきずついているだけだ。だから俺は怒りの曲を作る代わりに、純粋じゅんすいなロマンスを作った。」

ここで言及される「ミソジニー」は、別れた相手をののしる曲や、女性をモノとして描く安易あんい依存いぞんだ。Isaiah Rashadによれば、それはきずついた男性の代替手段だいたいしゅだんとして機能してきた。本当は泣きたいのに、泣けないから「あいつが悪い」と歌う。その構造こうぞうを手放したとき、"It's Been Awful"が生まれた。

”BOY IN RED”でIsaiah Rashadは引用した歌詞がある。

“Then I could be your boyfriend / And if that doesn’t work / Then I’ll just be your girlfriend”
「そうしたら俺が君の彼氏になれるかもしれない。それで駄目なら、君の“彼女”になるよ」

料理も掃除も、仕事への送り迎えもする。ここで歌われているのは、相手を支配することではなく、相手と共にいるためなら固定された男女の役割さえ越えていくという、徹底した献身だった。

これはミソジニーの対極だ。強がりでも支配でもなく、懇願こんがんであり降伏こうふくだ。このような脆弱ぜいじゃくさの表現ひょうげんを、Isaiah Rashadはヒップホップのカムバックアルバムとして世に出した。ヒップホップが称える「強い男」の文法ぶんぽうではなく、ありのままの渇望かつぼう歌詞かし昇華しょうかした。

HOT 97でIsaiah Rashadはこう締めた。「オリジナルで最悪さいあくか、模倣もほうでも偉大いだいに見えるか。俺はオリジナルで最悪の方を選ぶ。」ミソジニーを手放し、脆弱ぜいじゃくさを選んだIsaiah Rashadの「最悪」は、しかし本物だ。そしてその本物の「最悪」こそが、"It's Been Awful"をヒップホップにおける男性性再定義さいていぎの記録にしている。「本物の男は泣く」と宣言した人間が、泣きながら作ったアルバムを世に出した。それ以上の証明しょうめいはない。

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