J. Coleの「比較は喜びの泥棒」:インターネット論
2026年3月、J. ColeはFayettevilleの幼少期の自宅「2014 Forest Hills Drive」で、Apple Musicのインタビューに応じた。"The Fall-Off"のリリースから約1ヶ月後、「少なくとも15年ぶり」と本人が語るインタビューは、アルバムの制作秘話だけを掘り下げるものではなかった。対話の中でColeは、ある確信へと踏み込む。インターネットが音楽の聴かれ方を根本から歪めているという診断と、そこから自分を守るための哲学だ。「比較は喜びの泥棒だ」。その言葉を起点に展開される分析は、ヒップホップリスナーとアーティスト双方に向けられた、静かだが鋭い警告になっている。
インターネットが「A vs. B」で動く構造
現代のデジタルプラットフォームは、特定の種類のコンテンツが「エンゲージメント」を最大化することを学習している。論争を生む内容、感情的な反応を引き出す内容、そして「どちらが優れているか」という問いを提示するコンテンツだ。Coleはこれを「コンテンツは物事を対立させることで報われているシステム」と表現する。AとBを比べ、どちらが勝るかを語る。それが現代のSNSとオンラインメディアの基本文法になっている。
ヒップホップの世界では、その傾向が特に顕著だ。「誰が最強のMCか」「あのアルバムとこのアルバムはどちらが優れているか」「この世代と前の世代、どちらが真のヒップホップか」という問いは、常に新しい形で生産され続ける。それはスポーツの世界における永遠の「Michael Jordan vs. LeBron James」論争と構造的に同じだ。答えが出ないからこそ繰り返され、繰り返されるからこそ膨大な量の議論が生まれ、その議論がプラットフォームのアルゴリズムを喜ばせる。
Coleがこの問題を語る理由は、単なる文化批評ではない。”The Fall-Off”のリリース後、世間はすでにアルバムを「過去作との比較」「Dreamville Festivalでの謝罪を経たColeの再評価」「ヒップホップの頂上争いにおける位置付け」といった比較フレームの中で論じていた。インタビュアーのNadeska Alexisも、その構造の中で生きる実態を打ち明けた。24曲・1時間40分のアルバムが金曜夜にリリースされ、月曜には批評コンテンツを出さなければならない。「これだけ長い時間、待ち続けてきたアルバムで、この量の音楽を短時間で処理してコメントしなければならないのはストレスだ」という彼女の言葉は、比較文化の圧力が批評家という職業そのものに埋め込まれていることを示している。
重要なのは、Coleがこの問題の責任をコンテンツ制作者だけに帰していない点だ。プラットフォームの設計、エンゲージメントを最大化するアルゴリズム、そして「どちらが正しいか」という問いに引き寄せられてしまう人間の心理。それらが合わさって、「比較」が音楽の消費の標準モードとなっている。
比較は全員の喜びを奪う:Jordan、LeBron、そしてラップ
Coleが比較文化の害を語る際に選んだ例えが、Michael JordanとLeBron Jamesの比較だ。熱烈なJordanのファンがいるとする。彼はJordanの偉大さに強い愛着を持っている。ところが「JordanかLeBronか」という問いに一度引き込まれると、Jordanを守るためにLeBronを攻撃しなければならなくなる。LeBronの弱点を探し、彼の記録を否定し、比較の天秤を傾けようとする。その瞬間に何が起きるか。Coleはこう言う。「メンタル的に、即座に、偉大な選手がバスケをプレーする場面を見る喜びを奪われてしまう。守らなければいけないから」。
この喪失はJordanファン個人の問題ではない。比較コンテンツを消費するすべての人が同じ罠に引き込まれる。Coleは「比較はその当事者の喜びを奪うだけでなく、全員の喜びを奪う」と言い切る。Jordan派もLeBron派も、比較の構図に入った瞬間、純粋に「偉大なプレーを楽しむ」という体験から遠ざけられる。
音楽の世界でもこの構造は同じだ。Coleが挙げる例が、ScHoolboy Qの複数のアルバムを比較するケースだ。「どちらのScHoolboy Qアルバムが優れているか」という問いを突きつけられた瞬間、リスナーは強制的に比較モードに入る。両方を等しく愛することが難しくなる。Coleは言う。「もし両方のアルバムが好きだったとしたら?お前はその問いをひそかに俺の頭に埋め込んだ。今はどちらかを選ばなければならない」。
この「強制的な選択」の問題は、比較文化を語る上でColeが最も強調する点だ。ヒップホップの世界ではLil Yachtyの炎上に代表されるように、世代間の「どちらが正しいか」という比較論争が常に燃え続けている。その火を絶やさないのは、比較コンテンツがエンゲージメントを最大化するからに他ならない。しかしその炎は、先人の音楽もYachty自身の音楽も、純粋に楽しむ文化的な余白を蝕んでいく。
ソーシャルメディアとの距離感:アーティストの自衛哲学
Coleが比較文化の問題を語るとき、そこには当事者としての実体験がある。アーティストとして、外部の評価という波からどのように自分を守ってきたかを、具体的なルールと失敗の記憶を交えて明かした。
最初の自衛策が確立されたのは"2014 Forest Hills Drive"の制作期だ。「アルバムを作っているときはソーシャルメディアを見ない」という禁止令だ。この単純なルールを「生命を救ったルール」と表現するほど、その効果は大きかった。あわせて定めたもう一つの原則が「作るとき、それは純粋な場所から生まれていなければならない」という方針だ。
初期のアルバム制作での失敗として彼が挙げるのは、スネアドラムを選ぶときに「これはクラブで使えるか」「このリリックはライブで機能するか」という外部の視点でジャッジしていた時期だ。それは「最悪の時期」だったという。外部の評価を基準に創作するとき、作品はすでに純粋ではなくなる。
現在もその戦いは続いている。最もよく使うアプリはYouTubeだが、YouTubeがソーシャルメディア的なフィードに変貌しつつあることへの懸念をColeは語る。「良い動画を観たいのに、スクロールの途中でクリックベイトが混入してくる。踏んでしまうたびに必ず後悔する」。誘惑に負けてそのリンクを開くと、比較を煽るコンテンツや炎上情報に接触してしまう。「気持ち悪い」という感覚を繰り返すことで、「近づかない」という判断が習慣として定着していった。
判断力が落ちているときの危険性についても触れた。BETアワードでの衣装選びのエピソードだ。今振り返れば「ひどい衣装だった」と笑えるが、あの選択は意識が「今ここ」に向いていない状態で行われたものだという。「調子がいいとき、自分と深く繋がっているとき、ハンガーから取り出した瞬間に自分じゃないとわかる。でも調子が悪いとき、その服を着てしまうかもしれない」。創造においても、この「今いい状態にあるかどうか」が判断の質を決定する。比較文化のノイズに晒されるほど、その判断力は鈍る。
Don Miguel Ruizが書いた自己啓発本である”The Four Agreements(四つの約束)”という本の話も出た。Coleは読んでいないにもかかわらず、周囲の人間から「あなたはその本を読んだみたいだ」と言われるという。その哲学のひとつが「パーソナルに受け取らないこと」だ。批判を「自分への攻撃」として受け取ることをやめるという選択。誰かが自分について否定的に語るとき、それはその人自身の痛みや壊れた夢の反映かもしれない。「どんな嘘や批判をぶつけてきたとしても、その人がどんな痛みと壊れた夢と絶望の中にいるか、俺にはわからない」とColeは語る。比較文化の中で自分を守るためには、比較そのものを手放すという意志が必要になる。
「好き」に戻る:比較を手放した先に広がるもの
Coleが比較文化について語る背景には、10年かけて”The Fall-Off”を制作した経験がある。その過程こそが、「比較を手放す」実践の連続だった。
アルバム制作の終盤、ColeはDrakeのツアーに帯同しながら、燃え尽きていた。チームとも「早く出して終わりにしよう」という空気だったという。しかしDreamville Festivalでのあの謝罪と、それに続く世界規模のバッシングが、逆説的に問いを突きつけた。なぜ音楽を始めたか。人に良いことを言ってもらうためではない。「好きだったから」だ。では今もその音楽を好きでいるか。「好きだとは言えるが、それを示す行動をしているか」というところで詰まった。
再出発は、比較を捨てた聴き方の実践だった。クラシックと呼ばれる作品や、まだ深く聴いたことのない作品でも、ただ音楽を愛する行為のために没入した。外部の「どちらが上か」という軸ではなく、自分の耳が「好きだ」と感じるかどうかだけを基準にした。その期間に生まれた曲が"I Love Her Again"や"39 Intro"であり、The Fall-Offがダブルアルバムになった理由でもある。比較の外側で生まれた音楽が、アルバムの厚みを担ったのだ。
その結果は数字にも現れた。リリース前、The Fall-Offの初週売上を巡って業界内では10万〜18万枚という予測が飛び交っていた。実際の初週はBillboard 200で首位、約28万ユニット。J. Coleがスタジオアルバム全7作で初登場1位を達成するという記録も更新された。「自分が聴きたい音楽を作る」という軸から生まれたアルバムは、比較の文法が支配するチャートの最上位で着地した。
発売後1ヶ月の段階でColeが語る言葉が印象的だ。「車でアルバムをかけながら、自分の一番好きなラッパーの音楽を聴くときのように、自分の曲を口ずさんでいる。誰もいない車の中で、ひとりで」。比較の外側に立って、自分の作品を純粋に「聴きたい音楽」として楽しめる感覚。それはかつて失っていた感覚の回復であり、10年という時間をかけて取り戻したものだ。
Coleが提示する処方箋は、インターネットを「使わない」ということではない。比較の罠に自分が引き寄せられていると気づいた瞬間、「自分はなぜこれを好きなのか」という問いに立ち返ることだ。
好きなものを守るために別の何かを攻撃することをやめる。好きなアルバム同士を比べることをやめる。その選択を積み重ねることで、音楽をただ愛するという感覚が守られる。「インターネット全体が比較でできている」という認識を持つことが、まず最初の一歩だ。比較文化はプラットフォームが設計した構造であり、個人の意志だけで完全に抗うことは難しい。しかしJ. Coleが実践として見せているのは、その構造を理解した上で、意識的に距離を置くという行為だ。
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