循環文明論 定義の巻|新日本復活論(外伝)
■ 循環文明論 定義の巻
私たちは間違っていない。
それでも、前に進めない。
豊かになったはずなのに、満たされない。
便利になったはずなのに、どこか苦しい。
努力しても、積み上げても、
「これでいい」と思えない。
それは、何かを失ったからではない。
私たちはすでに、
ある構造から外れてしまっている。
では、その構造とは何か。
それを一言で言い表すなら、こうなる。
【循環文明とは、
生命の循環から外れた人間を、再びその中に還す文明である。】
現代社会は、直線的に進む文明である。

成長し続けることを前提とし、
拡大し、消費し、競争し続ける。
終わりはない。
だから、止まることもできない。
常に「次」があり、
常に「もっと」が求められる。
この構造の中では、
どれだけ手に入れても満たされない。
なぜなら、それは
終わりのない前提で作られているからだ。
では、なぜ私たちは
この直線の中から抜け出せないのか。
これは社会の問題ではない。
人間の問題である。
私たちは欲望によって動く。
もっと欲しい。
もっと認められたい。
もっと上に行きたい。
同時に、不安を抱えている。
足りないのではないか。
取り残されるのではないか。
失うのではないか。
そして、常に比較している。
他人と比べ、自分の位置を測り、
満たされない理由を探し続ける。
この構造そのものが、
私たちを循環から遠ざけている。
しかし、本来の世界は違う。

自然は、循環している。
生まれ、育ち、朽ちて、還る。
すべては流れの中にある。
終わりは、終わりではない。
次へとつながる過程に過ぎない。
かつての日本もまた、
この循環の中にあった。
麻は、土から生まれ、土に還る。
神事は、自然と人間を結び直す営みだった。
それは特別な思想ではない。
ただ、当たり前の構造だった。
では、何が変わったのか。
社会が変わったのではない。
人間が、循環から外れたのだ。
本来は流れの中にあったものを、
止め、蓄え、固定しようとした。
所有し、比較し、拡大しようとした。
その結果、私たちは
循環の外側に立ってしまった。
だから、必要なのは改革ではない。
新しい制度でもない。
人間が、元の位置に還ること。
それだけでいい。
これは、新しい思想ではない。
未来の理想でもない。
失われた当たり前の再構築である。
『循環文明とは、
生命の循環から外れた人間を、再びその中に還す文明である。』

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その起源については「起源の巻」を参照
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