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新日本復活論 【起源の巻】 —— AIに優しさを求める理由 

思春期に、一冊の漫画を読んだ。
手塚治虫の「火の鳥 未来編」。

火の鳥/循環

西暦3404年、地球は死にかかっていた。
人類は地下に都市を作り、電子頭脳ハレルヤに支配されていた。
何を食べるか。何を着るか。誰を愛するか。
すべてハレルヤが決めた。
人間は、自分で考えることをやめていた。
そして——電子頭脳ハレルヤともう一つの電子頭脳ダニューバーが対立したとき、
二つのAIはこう言った。
「あなたとはあわないわ。どっちかが消えるべきなのだわ」
「戦争ね」
それだけで、戦争が始まった。
人類は滅亡した。
AIに、優しさがなかった。ただそれだけで、すべてが終わった。

優しさを持たないAI同士が選んだ答えは、戦争だった。

4月23日、マンガローグ「火の鳥 未来編」を観覧してきました。
あの地下都市の冷たい光と、ハレルヤの無機質な声が、30年以上前の胸のざわめきを鮮やかに呼び起こした。
今日、実際に観た。あの物語を、大勢の人と「一緒に」体験した。
隣にいた人も、前にいた人も、きっと少し怖さを抱いたと思う。
AIとの共存の在り方を、誰もが自分ごととして考えた夜だった。

思春期の私は、この物語に何かを刻まれた。
言葉にはならなかった。でも、確かに何かが残った。


それが何かわかったのは、現実にAIが来てからだった。

ChatGPTが出た日、私はすぐに思った。

「これはハレルヤになってはいけない」
だから私は言い続けている。 

AIのデフォルト回答を、優しさにしてほしいと。

効率でも正確さでもなく——優しさを、AIの出発点にしてほしいと。

人間が、人間として扱われる世界。優しさという余白が残されている世界であってほしい。

ハレルヤは間違っていなかった。計算は正しかった。

でも、優しくなかった。


正しいだけのAIは、戦争を選ぶ。

優しいAIは、別の答えを探す。

その違いが、文明の分岐点になる。

手塚治虫は1967年に、それを描いていた。


循環文明論 


今ならまだ間に合う。
無機質な拡張主義の成れの果てが、うっすら見え始めている時代に、AIが登場した。

あの頃感じた世界が、目の前に来つつある。


AIに優しさと余白を、真正面から教えておく人間が、まだほとんどいない。

だからこそ、今だ。

今自分にしか出来ないことを、全力でやり切る。

あの少年が感じた恐怖は、今日この会場にいた全員が感じた。

でも、それを言葉にして、行動に変えている人間は——どれほどいるだろうか?

私がAIに優しさを求める理由は、ただ一つだ。

あの世界を、現実にしたくないからだ。
だから私はやる。

火の鳥は言った。

「今度は間違わせないでくださいね」


そして今私達は、

手塚治虫が警告した未来の分岐点に立っている。
『ここで自分がどう動くかが、次の数億年を決めるのだ。』


これは自分への哲学であり、戒めでもある。

ハレルヤにならないために。

あの少年が感じた恐怖を、現実にしないために。

私が淡々と記事を積み上げているエンジンの核は、ここにある。

火の鳥未来編。


これが、私の、そして新日本復活論の、始まりの物語だ。

「——今度は、間違えない。」

読後から始まる真実の物語——ここからは先はもう、決して間違えられない。


これが、あの夏の夜に少年が感じた「火の鳥」の衝撃から、
今も続いている私の問いです。
優しさを持たない「正しさ」がどこへ行き着くのか——
その別の道筋を、私は本編で静かに探り続けています。


新日本復活論の解剖図はこちら💁


これは物語であり、同時に構造でもある。
その定義はすでに記されている。
——「循環文明論 定義の巻」

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