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4社から1,600社へ。『どうせ誰も使わない』と言われたECが動き出すまで。

「どうせ誰も使わない」——そう言われたECのスタートは、わずか4社だった。社内は他人事感、取引先からのデジタルアレルギーも想像以上に強く、システムを作るだけでは何も変わらなかった。変えたのは、泥臭い「足」だった。これは、4社が1,600社になるまでの記録です。


スタートは、4社だった。

B2B ECをリリースした瞬間、私は少しも嬉しくなかった。

EC構築には約9ヶ月。社内の反発をかき分け、データを整備し、ベンダーと夜中までやりとりしながら、ようやく形にしたシステムでした。
構築と並行して、商品データの整備も進めていた。数十万件の商品を一行ずつ確認し、不足情報を社内外からかき集める——想像を絶する作業量でした。当時、一元化された商品データはなく、各部門が同じ商品データをバラバラに管理していた。例えば、商品Aは部門BではJANコード・型番・商品名・定価、部門Cでは、型番、商品名、定価、販売価格といった具合に、同じ商品と推察されるが情報のある・なしが混在している状態でした。
当然、そんな状態だったのでリリースまでに全量のデータクレンジングが間に合わなかった。
そこで、ごく少数のお客様に絞り、そのお客様から注文いただく頻度の高い商品に絞り、商品データを整備する方向にしました。

結果としてリリース直後、ECを実際に使い始めた取引先はたった4社。得意先数千社の柏木工機において、4社という数字は、ほぼゼロに等しかった。

社内からはこんな声が聞こえてきた。

「ほら、やっぱり誰も使わないじゃないか。」


越えられない壁が、2つあった。

なぜ使われなかったのか。

原因は明確だった。
商品データの整備が追いつかず、限られた商品しか閲覧できなかった。多種多品目を扱う商社としては致命的だった。閲覧できても、リッチ情報(仕様や画像)まで整備できた商品が少なく、商品名だけでは必要な商品かの判別がつきにくい状態だった。

更に、得意先のデジタルアレルギーが、想像をはるかに超えていたのだ。

柏木工機と得意先はFAXと電話で数十年以上のお付き合いをしてきた。
その方法で、今まで問題なくやれていた。
そこに突然「ECで発注してください」と言っても、新しい方法に切り替える必要がない。
動く理由がない。

「今まで通りで十分だ」
「画面で探すのが面倒くさい」
「操作が難しそう」
「何かトラブルがあったら怖い」——そういった声が、対面でも電話越しでも、繰り返し聞こえてきた。
「ログインができない(やり方が分からない)」こんな声も多くいただきました。

B2Cでは当たり前のようにEC売上が伸びている世の中で、ECは老若男女誰でも使いこなせるもの。
そう思っていた自分が甘かった。

変化を起こすのは、システムではない。人だ。


机の横に座って、操作を教えた。

ウェビナーなど定期開催をしていたが遅々として利用は進まない。
やることは一つしかなかった。
自分の足で、取引先に会いに行く。

コロナが落ち着き始めた2022年頃から、チームで取引先を一社一社訪問し始めた。担当者の机の横に座って、パソコンを開いてもらい、一緒に操作した。「ここをクリックしてください」「この画面が出たら、ここに、これを入力してください」と、文字通り手取り足取り。

訪問できない取引先には電話をかけ、
画面を共有しながらオンラインでサポートした。

一社、また一社。

地味だった。効率も悪かった。
でも、やるしかなかった。

重要なのは、最初の一回を一緒に経験することだった。
一度でも「使えた」という成功体験が生まれると、次からは自分で使い始める。お客様が電話やFAXで問い合わせていた内容の多くは、サイト上で確認できるようになっていた。
お客様の目で見ていただける状況を作ることが大事だった。
また、担当者間の日頃のコミュニケーション度合いによっても、受け入れられ方が違うことがあった。

デジタルの普及は、アナログな人間関係の上に成り立っていた。

取引先への訪問と並行して、社内でも地道な作業を続けていた。

数字を伴う仮説と進捗、結果を——経営層だけでなく、前向きに動いてくれているキー社員にも丁寧に説明して回った。「今月はこれくらいの取引先に使ってもらう」「そのためにこの施策を打つ」「結果はこうだった、だから次はこう変える」。いわゆるPDCAの基本的な話だ。

ただ、それが彼らには新鮮に映ったようだった。

「目標に向けてチームで動き、途中経過を検証しながら積み上げていく」——当たり前のことが、頭で分かっていても実際に実行できるのかは別の話だ。これは大企業でも中小企業でも同じことだと感じた出来事でした。


「これがないと、仕事が進まない」

まだまだ電話やFAXでご注文いただくことも多くありました。
メンテナンスが予想以上に時間がかかり予定時間を過ぎても再開できない事がありました。

「これがないと仕事が進まなくて困るんですよ。」

かつて「どうせ誰も使わない」と言っていた社内の営業担当者がそう言っていた声が聞こえた。

データが積み重なるにつれてシステムは改善され、機能も追加をしていった。
コンテンツの制作も開始した。
B2Cで想像するECサイトではなく、柏木工機と得意先をつなぐポータルサイトのような位置づけで改善を行っていった。

4社 → 200社 → 500社 → 1,200社——。

そして2023年末、利用取引先数は1,600社を超えた。


数字の裏側にあるもの

1,600社という数字だけ見ると、きれいな成功譚に見えるかもしれない。

正直に言う。何度も、折れそうになった。

変化についていけず退職した社員もいた。得意先の中には、どれだけ訪問しても動いてくれないところもあった。それだけのメリットや利便性を出せていないという現実に「本当に広がるのか」「自分のやり方が間違っているのか」——答えの出ない問いを、夜中に一人で考えることも多かった。

大企業のように専門人材がいるわけでも、潤沢な予算があるわけでもない。リソースが限られた中で、やったことのない取り組みを同時並行で進めていた。

そして、もう一つの壁があった。

数字を積み上げながら、私は気づいていった。問題は取引先のデジタルアレルギーだけではなかった。社内にも、深い根がある。

目標を共有し、同じ方向を向いて動く。自分で考え、実行し、結果に責任を持つ。達成した時の喜びをチームで分かち合う。——そういう経験を、この会社の多くの人がしたことがなかった。

責める気持ちはない。日々の大量の注文を個人の力で対応してきたことが、長年この会社を支え、成長の原動力となってきた。その歴史が第1回で書いた「個人商店」の文化を作った。それは必然だったとも言える。

ただ、変革を進めるには、その文化ごと変えていくしかなかった。

言葉にすると簡単だが、これが一番しんどかった。システムは作れば形になる。でも、人と文化は、そう簡単には動かない。

何度も「本当にできるのか」と思った。それでも続けられた理由は、シンプルだった。

「やらなければ、可能性はゼロだ。」

人は、誰かが動き始めるのを待っている。
自分が熱意を持って行動せずに、他人が動くことは100%ない。
先頭に立つのは怖いことなのだろう。
これは企業の規模や業界に関係なくどこでも同じことなのだろう。

きっと色んな組織で、今までのあり方に疑問を持っている人は沢山いるのだと思う。でも一歩を踏み出せないままの人も沢山いるのだろう。

アパレルの現場で20年かけて学んだことと、まったく同じことだった。その事実を、この4社から1,600社への道のりが改めて教えてくれた。


第2回あとがき
ECの利用拡大と並行して、私たちは別の戦線でも戦い続けていた。WMS、EDI、PIM——周辺システムの自社開発だ。

「机の横に座る」という地道な積み重ねと、「自分たちで創る」という決断が掛け合わさった時、柏木工機は少しずつ変わり始めた。2020年から2025年の5年間で、業務削減時間は年間2,800時間から30,000時間へ。10倍以上の変化だ。
私たちの目的は業務を削減することではなく、仕組みやシステムに置き換えたことで、みんなの力をサービスレベルを上げることや新しい事業へチャレンジすることに使っていくことです。

道のりはまだまだ半ばです。


次回は、システムを『買う』のをやめて、自分たちで『創る』ことにした話をします。


柏木工機株式会社について、もっと知りたい方はこちら。
🔗 会社サイト:https://kashiwagikouki.com

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