【第1部】生活保護「追加給付問題」が示す構造的矛盾~同じ違法処分なのに、なぜ原告20万円・非原告10万円なのか~
皆さん、こんにちは。今回は、2025年6月の最高裁判決を受けて明らかになった、生活保護制度における重大な構造的問題について考えていきたいと思います。
実は、以前私自身もこの判決について、こちらの記事で触れています。判決後、原告側は速やかな救済を求めましたが、厚生労働省が救済措置を発表したのが今月11月上旬になってからです。
しかし、厚生労働省が示した救済案は原告側が望んでいたものとは程遠いものでした。
この問題は、単なる給付金額の差異にとどまらず、「声を上げられる人だけが救済される制度」という、日本の行政訴訟制度そのものの根本的な課題を浮き彫りにしています。
行政書士などの資格を持つ立場からも、この問題は単なる金額の差ではなく、「立場の弱い人々が、いざ行政を相手にするとき、どれだけ困難な課題に直面するのか」という、日本の行政制度の根幹に関わる問題だと捉えています。
1. 何が起きたのか? ―事案の概要―
まず、時系列で整理してみましょう。
2013年〜2015年:生活保護基準の引き下げ
厚生労働省は、3年間にわたって段階的に生活保護の支給額を引き下げました。その理由として挙げられたのが
「デフレ調整」(物価下落に応じた調整)
「ゆがみ調整」(年齢や世帯人数による不均衡の是正)
この引き下げにより、全国の生活保護受給者約300万世帯が影響を受けました。
2013年〜2025年:集団訴訟の展開
この引き下げを不服として、全国で約700人の受給者が集団訴訟を提起しました。訴訟は10年以上にわたって争われることになります。
2025年6月:最高裁判決
最高裁判所は、厚生労働省が専門家の審議を経ないなど、判断の過程に誤りがあり違法だとして、引き下げの処分を取り消しました。
2025年11月:厚労省の対応方針決定
最高裁判決を受けて、厚生労働省は追加給付の方針を発表しました。しかし、その内容が大きな論争を呼んでいます。
違法とされた「デフレ調整」による引き下げ分について、原告には全額を支給する一方、それ以外の受給者は再設定した水準との差額を給付する方針を決めました。
具体的には…
原告(約700人):1世帯当たり約20万円
非原告(約300万世帯):1世帯当たり約10万円
この「2倍の格差」が、なぜ生じるのでしょうか。
2. なぜ「原告と非原告で救済内容が異なる」のか?
ここには、日本の行政訴訟制度の根本的な仕組みが関係しています。
司法制度上の構造 ― なぜこんな仕組みになっているのか
行政が敗訴した裁判において、裁判所が取り消すことができるのは「原告に対する処分」だけです。その他の非原告(=訴えを起こしていない人)に対する処分は、たとえ同じ内容であっても、自動的には復元されません。
この仕組みを理解するために、少し専門的な話になりますが紐解いていきたいと思います。
日本の行政訴訟では、「処分の取消しの相対効」という原則があります。これは、裁判所の判決の効力は「その訴訟の当事者間」にしか及ばない、という意味です。
つまり、AさんとBさんが同じ内容の処分を受けていても、Aさんだけが訴訟を起こして勝訴した場合、判決の効力はAさんの処分にしか及ばず、Bさんの処分は自動的には取り消されないのです。
なぜこのような制度になっているのでしょうか。それは、「個別の事情を丁寧に審理する」という司法の原則に基づいています。
Aさんには特別な事情があるかもしれないし、Bさんには別の事情があるかもしれない。だから一つの判決で全員を救済するのではなく、それぞれが訴訟を起こして個別に判断してもらうべきだ―これが、この制度の建前です。
しかし、今回のように「全国一律の基準変更」によって300万世帯が影響を受けた場合、この建前は現実に合っていません。受給者一人ひとりに特別な個別事情があるわけではなく、全員が同じ違法な基準変更の被害を受けているからです。
この制度的な限界が、今回の不公平な救済を生み出しているのです。
📌原告の場合 ― 法的義務としての全額補償
原告に対しては、裁判所が「処分を取り消す」という判決を出しました。これは法的に非常に重い意味を持ちます。
「処分の取消し」とは、行政が行った処分を「最初からなかったこと」にする、という意味です。つまり、生活保護基準の引き下げは「最初から行われていなかった」ことになり、行政は原告を「引き下げ前の状態」に戻す義務を負います。これを「原状回復義務」と言います。
これは行政の裁量の問題ではなく、法的な義務です。「元に戻す」というのは、引き下げられた分を全額返還することを意味します。だからこそ、原告には約20万円という、引き下げ分の全額が支給されるのです。
📌非原告の場合 ― 法的義務のない「恩恵的給付」
一方、非原告の場合は状況が全く異なります。裁判所は非原告の処分については何も判断していません。法律的には、非原告の処分は「違法と確定していない」状態のままなのです。
もちろん、実質的には原告と同じ違法な処分を受けているのですが、裁判所の判決はそこまで及びません。裁判所によって個別に違法と確定しているわけではありません。このため、行政には非原告を救済する法的な義務はありません。
それでは非原告はどうなるのか。ここで登場するのが、行政の「裁量による救済」です。厚労省は、「同じ処分を受けた人たちだから、何らかの救済をすべきだろう」という判断のもと、追加給付を決めました。
しかし、これは法的義務に基づく給付ではなく、いわば「行政の恩恵」として行われる給付です。そのため、給付の内容や範囲は行政が自由に決めることができます。
厚労省は「デフレ調整」の計算方法を見直し、改定率をマイナス4.78%からマイナス2.49%に再設定しました。つまり、「当初の引き下げは4.78%だったが、適切に計算し直すと2.49%であるべきだった。だから、その差額分(2.29%分)を追加給付する」という理屈です。
これにより、非原告には約10万円が給付されることになりましたが、これは引き下げられた全額ではありません。行政の解釈によって「適正な引き下げ幅」とされた2.49%分は、依然として引き下げられたままなのです。
⚖️この構造が生み出す深刻な不公平
整理すると、こうなります。
原告:引き下げられた全額(4.78%分)が返還される
→ 約20万円非原告:引き下げの「一部」(2.29%分)のみが返還される
→ 約10万円
⇒差額:約10万円(2倍の格差)
同じ違法な処分を受けたにもかかわらず、訴訟を起こしたかどうかで救済内容が2倍も違う。しかも、訴訟を起こせるかどうかは、本人の法的知識や経済力、健康状態、居住地域といった、本人の責任ではない要因に大きく左右されます。
これが、今回の「構造的な矛盾」の核心なのです。
3. 問題点① 「訴訟を起こした人だけが本来の額を取り戻せる」という不公平
ここで考えなければならないのは、生活保護受給者が訴訟を起こすことの困難さです。
訴訟を起こすハードルの高さ
生活保護受給者の多くは、以下のような理由で訴訟参加が極めて困難です。一つひとつ、具体的に見ていきましょう。
時間的負担の重さ
今回の訴訟は2013年の提訴から2025年の最高裁判決まで、実に12年もの歳月を要しました。この間、原告の方々は何度も裁判所に足を運び、証拠を集め、弁護団との打ち合わせを重ねてきました。
生活保護を受給している方の中には、高齢の方、病気を抱えている方、障害のある方も多くいらっしゃいます。そうした方々にとって、10年以上にわたって訴訟を継続することは、想像以上に大きな負担です。
定期的な裁判期日への出席はもちろん、体調が優れない中で裁判のことを考え続けなければならないストレスは計り知れません。
また、10年後、20年後まで生きられるかどうかわからない、という切実な不安を抱えながら訴訟を続けることの心理的負担も見過ごせません。精神的負担という見えない壁
生活保護受給者に対する社会の目は、残念ながら必ずしも温かいものばかりではありません。「税金で生活している」という批判的な視線を感じながら生活している方も少なくないのが現実です。
そうした状況下で、「行政を相手に訴訟を起こす」という行為は、さらなる注目や批判を浴びる可能性があります。地域によっては顔や名前が知られてしまうことへの恐怖、「面倒な人」「クレーマー」と見られることへの不安も大きいでしょう。
実際に、ネット上では「裁判を起こす余力があるのなら働け」という発言も見られたようです。しかし、訴訟参加と就労能力は別の問題であり、このような見方は当事者の置かれた複雑な状況を十分に考慮していない可能性があります。
また、生活保護の審査や継続的な支給を担当しているのは、まさに訴える相手である行政機関です。「訴訟を起こしたら、今後の対応が冷たくなるのではないか」「何か不利益を受けるのではないか」という不安を感じる方がいても不思議ではありません。
実際にそのような不利益取扱いがあってはならないのですが、立場の弱い当事者がそう感じてしまう構造そのものが問題なのです。行政訴訟という高い専門性の壁
行政訴訟は、一般的な民事訴訟とは異なる特殊な分野です。行政法という専門的な法律知識が必要で、判例の理解や法的な主張の組み立ても高度な専門性を要します。
たとえば今回の訴訟では、「デフレ調整の計算方法」「専門家審議のあり方」「裁量権の逸脱・濫用」といった複雑な論点が争われました。こうした議論を理解し、自分の権利を主張していくためには、弁護士のサポートが事実上不可欠です。
しかし、行政訴訟を専門とする弁護士は限られており、特に地方では見つけることすら難しい場合があります。また、弁護士自身も長期化する訴訟を引き受けることには慎重にならざるを得ません。地域による深刻な格差
今回の集団訴訟は、全国各地で弁護団が組織されたからこそ実現しました。しかし、そうした支援体制が整っている地域は限られています。
都市部では、弁護士会や法律事務所が多く、生活保護問題に取り組む弁護士のネットワークも存在します。また、支援団体やNPOの活動も活発です。一方、地方では弁護士の絶対数が少なく、行政訴訟の経験がある弁護士となるとさらに限られます。
つまり、「どこに住んでいるか」によって、訴訟を起こせるかどうかが大きく左右されてしまうのです。これは、法の下の平等という観点から見て、極めて問題のある状況と言えるでしょう。司法アクセスを支える制度の不十分さ
経済的に困窮している方のために、法テラス(日本司法支援センター)による「民事法律扶助」という制度があります。これは弁護士費用を立て替えてくれる制度ですが、行政訴訟においては以下のような課題があります。
まず、民事法律扶助は「勝訴の見込み(≒主張が受け入れられる見込み)」が認められる必要がありますが、行政訴訟は一般的に勝訴率が低いため、援助が認められにくい傾向があります。
また、立替えられた費用は原則として分割で返済する必要があり、生活保護受給者にとっては月々わずかな額でも大きな負担となります。
さらに、法テラスの援助を受けても、すべての費用がカバーされるわけではありません。実費(交通費、資料のコピー代など)は自己負担となることもあり、長期の訴訟ではこれらの費用も無視できない金額になります。
結果として、経済的な理由で訴訟を諦めざるを得ない方が多く存在するのです。
憲法上の疑義
このような状況下で、「裁判を起こせた人だけ救済され、それ以外は半分以下」という構造は、憲法第14条(法の下の平等)の観点から重大な疑問が残ります。
同じ違法な処分を受けたにもかかわらず、訴訟を起こす能力やリソースの有無によって救済内容が大きく異なることは、実質的な平等を損なうのではないでしょうか。
ここまで、訴訟を起こせた人だけが全額救済されるという不公平の構造を見てきました。しかし、問題はこれだけではありません。
次回は、「それなら自分も訴訟を起こせばいい」という一見合理的に見える選択肢が、なぜ現実的ではないのか。そして、行政の裁量に委ねられた救済制度が、どのような危険性を孕んでいるのかを掘り下げていきます。
この問題は、生活保護制度だけでなく、すべての行政サービスに共通する「制度の根幹」に関わる課題です。ぜひ、次回もお読みいただければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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