泰夢(たいむ)のお話:86
ようやく階段を登りきった二人は、華恋の家を目指しますが……
それでは、どうぞ!!
===============
レッスンバッグ代わりの大きなトートバッグをかたにした華恋(かれん)が、スッとゆびさした先にはたしかにアパートが見えたのだけれども、泰夢(たいむ)の目にはそれが入っていなかった。
そればかりか、おぉーっマジか!と声を上げると、あぶないから!と目を三角にしてさけぶ華恋にもかまわずに、走って道路を横切る。
「━━もうっ!
クルマが来たらホントにあぶないんだよ!」
言いながら、二車線の道路の右と左に素早く目を走らせて車が来ていないことを確にんすると、もうすっかりわたり終えてしまった泰夢の後をあわてて追いかける。
「ねぇねぇ、見てよ、華恋ちゃん!
これってさ、いつものバス停じゃん!」
泰夢が大声でそう言い、古びたトタン板で囲ったバス停の前でぴょんぴょんと飛びはねる。
飛ぶたびにせなかのデイパックが重そうにゆれて、それに引っ張られて足元がフラフラとするのだけれども、そんなことはお構いなしで泰夢はうれしそうだった。
「……そりゃそうでしょ。
だって、わたしいつもここから乗るんだもの。
━━それよりも、車道はちゃんと左右を確にんしてから……」
華恋がこしに手を当ててお小言を言おうとするのへ、人差し指をピンと立てて泰夢が言う。
「そう、それそれ!
いっつも華恋ちゃんがここから乗ってさ、
でもってさ、オレがバスの前の席んとこで見てるじゃん?」
「うん……そうだけど
でも、それがどうかしたの?」
「オレさ、ばあちゃんちんトコのバス停でのって、
ずっと上の橋をわたって、でもってこの道路の向こうんトコからさ、
きっと、ズンズンズーンって、バスがくるんだよね?」
「うん……もちろん、来るよ。
だって、バスは道路を走るし、ここはバス停なんだもの」
またヘンなコトを言いはじめたなぁと、華恋は泰夢の言葉を耳の半分で聞きながら、バス停の時こく表に目をやる。
川の向こう岸のバス停でもチラッと見て、まだじゅうぶんに時間があることは確にんしていたけれども、さっきのつり橋のところで落っこちそうになった時に、たくさん時間が過ぎてしまったのではないかと、ちょっと心配だったのだ。
さっきのバス停と比べると、キッカリ三十分の時間があった。
泰夢のおばあちゃんの家を出たのは、バスが来る二十分ぐらい前だったはずなので、乗りたいバスが来るまでには━━坂道で休んだり、つり橋で落ちそうになったりはしたけれども━━まだ時間があるだろう。
それでも、あまりゆっくりはしていられない。
泰夢を引っ張ってでも家に連れて行って、ガケからすべり落ちた時のすりキズに消毒とバンソウコウもしなくちゃいけないし、自分が図書館に持っていく物の準備もしなくちゃならない。
(……やっぱり、思ってるより時間ないかも)
そう、頭の中で家についてからの事を考えながら、泰夢の方に目をやると、何かを言いながら道路の方を向いて両手を前にのばし、それを右へ左へと大きくゆったりと動かしている。
最初はいったい何をしているのかと思ったけれど、どうやら向こうのバス停から、こっちのバス停までの道のりを、両手をバスに見立てて走らせているようだった。
「━━んでさ、
最後の所のカーブをグーンって曲がるとさ、
華恋ちゃんが時こく表んトコに寄りかかってるのが見えるんだよ!」
その手の動きと声とで、華恋の頭の中に泰夢が見ている景色がパーッとうかんでくるような気がした。
(あぁ、そっか━━)
華恋からはいつも、バスの一番前の席にすわってこっちに向けて大きく手をふる泰夢が見えていた。
自分からは当たり前の景色も、泰夢から見たら別のものに見える。
そしてそれはもちろん華恋からもそうで、さっき頭にうかんだのは、泰夢の目から見た『華恋』のすがただった。
(毎朝いつも同じ場所で会ってるのに、
泰夢くんとわたしとだと、ちがって見えるんだ……)
これは、きっともう、世界のだれしもが知っている当たり前の事なのだろうけれども、同じ物を見て、同じ音を聞いて、同じ空気をすっているのに、その場所にいる人は、みんなそれぞれが、ちがう物を見て、ちがう音を聞いて、ちがう空気をすって、そして、ちがって感じているのだ。
(泰夢くんって……
もしかして、スゴい?)
そう思い、そう考え……そしてそれが新しい発見で、きっと泰夢もそのことに気がついてさっきさわいでいたんだと思って━━もちろん華恋は今になって気付いたし、本人にキチンと聞いていないから『たぶん』の話なのだけれども━━そうしたコトがいっしょなのは、ちょっとうれしくなる。
今度は二人が乗った後のバスをやっているのか、泰夢はまだブツブツ言いながら、うでをグルリグルリと回している。
(…………)
それを見ながら、自分の右手をゆっくりとにぎる。
本当に不思議なことだけれども、そんな泰夢を見ていると、さっきまでつないでいた右手が、じんわりとほんわりと、あたたかくなっていくように感じるのだった。
===============
当たり前のコトにふと気付く……ちょっと不思議な気持ちになりますね!
では、次回もお楽しみに!
小林るい
