みんなが立ち止まった場所 第四番札所 大日寺
朦朧とした記憶
お遍路を始めるにあたり、道中の出来事を書き留めるためのノートを用意した。
今改めて読み返してみると、三番札所から四番札所へ向かう途中のページに、「カロヲト」「犬伏」とだけ書かれている。
当時はかなり朦朧としていたのだろう。何を見て、なぜ書き留めたのかまったく思い出せない。おそらく地名だったのだと思うが、帰宅後に改めて調べることになった。
歩き始めたばかりのお遍路には、そんな曖昧な記憶も多い。
鐘の音比べ

大日寺の山門は鐘楼門になっている。
夫と妹さんと三人で鐘をつき、「誰が一番良い音を出せるだろう」などと話していた。
夫はトランペット、妹さんはフルートが専門だ。私は特に楽器の経験はない。
それでも、この時ばかりは私の鐘の音が一番きれいだったような気がしている。
忘れ続ける金剛杖

参拝のたびに金剛杖を杖置きへ置くのだが、夫は毎回忘れていく。
第一番から数えて、この時点で六回連続。
置いてきたことに気付いて取りに戻ることも無く、私が回収して渡すこととなる。このやり取りも段々お馴染みになってきた。
人とのやり取りは不思議なもので、続けばいつしか当たり前になる。けれど、その「当たり前」に埋もれてほしくはない思いも少しある。
「お大師さまを忘れないでくださいね」と声を掛けた。
七回目にして、ようやく意識するようになった気がする。
撫でる場所ばかりの身体
先に読経を終えたおじさんが、にこりと微笑みながら挨拶をしてくださった。
こうした何気ないやり取りが嬉しい。
第一番から見掛けていた自転車遍路やバイク遍路の方々とも、追い掛けたり追い抜いたりしながら、同じ道を進んでいる。
境内には、上皇后美智子さまに似ているといわれる弁天さまや、病気平癒の功徳があるとされる賓頭盧尊者(びんずるさん)が安置されていた。
撫でるとよい場所を考えると、私の身体には候補が多すぎる。
きっと多くの人が願いを込めて撫でてきたのだろう。びんずるさんはつるつるに磨かれていた。
また、この頃になると、ろうそくや線香の減りの早さにも驚かされるようになった。
五人分として用意していたろうそくだったが、一つの札所で十本ずつ使うため、思っていた以上の勢いでなくなっていく。
大日寺でさっそく買い足すことになった。
みんなが立ち止まった観音さま

大日堂と大師堂を結ぶ回廊には、西国三十三観音霊場にちなんだ三十三躯の観音像が並んでいる。
西国三十三所巡礼は日本最古の巡礼ともいわれ、後の巡礼文化の手本になった存在だ。
その中には、夫家族が大阪に住んでいた頃によくお参りしていた寺の観音さまもあった。
懐かしさからだろうか。義父母や妹さん、夫が、それぞれその仏像の前で足を止め、静かに手を合わせていた。
このお遍路は五人旅だが、参拝の仕方も歩く速さも皆それぞれ違う。
それなのに、その観音さまの前では、時間差でみんなが立ち止まっていた。
誰かが声を掛けたわけでもない。
それでも自然と足が止まる場所があるのだと、不思議に思った。
緩やかな時間

三方を山に囲まれた大日寺は、とても静かだった。
少し長めの休憩を取り、吹き抜ける風を感じながら境内で過ごす。
急ぐ理由もなく、追われるものもない。
歩き始めたばかりのお遍路の中で、この寺にはどこか緩やかな時間が流れていたように思う。
おまけ

重ね捺しスタンプは順調。板野高校生さん、どうもありがとう。
続く
