四国遍路で「景色の中の自分」を見つけた日 第五番札所 地蔵寺
水琴窟の音
第五番札所 地蔵寺に到着した。
冷やして何本も持参していた飲み物はすでに尽きていた。寺前の自動販売機で新しく買ったものも、あっという間に飲み干してしまう。
それほど暑かった。
地蔵寺には水琴窟がある。
私は昔から水琴窟が好きで、いつか作ってみたいと思っていた。出歩く先で水琴窟を見付けると、必ず足を止める。実際に水琴窟を製作している工房を訪ね、話を聞いたこともあった。ただ、その日はやぶ蚊の大群に迎えられ、早々に退散することになったのだが。
お地蔵さんの前に並ぶ経木へ柄杓で水を掛ける。
すると、澄み切った音がして聞き入った。とても癒される。
この水琴窟があるのは、先祖供養と水子供養のための場所らしい。
音が連れてきたもの
水子かぁ。
私たちの水子は何人になるのだろう。
「水子」そう呼んだことはなかった。
いや、呼びたくなかったのかもしれない。
会えないまま別れた子が何人もいた。
何度も別れを繰り返した後は、もう何も考えられなくなっていた気がする。
ご先祖さまのお墓参りは大切にしているのに、こちらには何もしてこなかった。
何だかごめんなさい。
そんな思いが頭の中をぐるぐると巡る。
最初は癒やしだと思っていた水琴窟の音が、いつしか涙の落ちる音のように聞こえ始めた。
澄んだ音色だったはずなのに、心のどこかが少しだけ冷えていくようだった。
景色の中の自分
お遍路というのは、不思議なものだ。
寺や景色を巡っているつもりなのに、ときどき否応なく過去と向き合う時間がやってくる。
私は景色を見ているのではなく、その景色の中にいる自分を見付けているのかもしれない。
普段の私は、自分のことを考えたくない。
むしろ、自分のことは嫌いな部類だ。
それなのに、節目の年齢で始めたお遍路では、自分のことばかり考えている。
八百年の銀杏

境内には「たらちね大銀杏」がある。
樹齢は八百年を超えるという。
ベンチに腰掛け、その大きな姿を見上げた。
地蔵寺の創建からおよそ四百年後に植えられたとすれば、この銀杏ですら八百年。
それに比べれば、私の節目年齢など一瞬にも満たない。
何が節目年齢だよ。
そんな自虐的な言葉が頭をよぎる。
これもまた私の悪い癖なのだろう。
彩色透かし彫り




本堂の欄間には、鮮やかな彩色透かし彫りが施されていた。
瑞獣や花鳥を題材にした彫刻は色彩も豊かで、絵画を見るように楽しめる。
春夏秋冬を表しているのだろうか。
自然の豊かさや吉祥への願いなのだろうか。
ひとつひとつ眺めながら考える。
どれも見応えがあり、意匠も美しい。
もっとゆっくり見ていたかったが、相変わらず体調は絶不調だった。
重い腰を上げて車に乗り込む。
ちょうどそのとき流れてきたのは、薬師丸ひろ子の「元気を出して」。
Apple Musicに励まされながら、第六番札所へ向かった。
おまけ 五百羅漢
地蔵寺の見どころのひとつに五百羅漢がある。
もし一人旅、あるいは二人旅だったなら、間違いなく見に行っていたと思う。
しかしこの日は五人。
五百羅漢のある方角を見ると、長い通路と階段が見えた。
「まぁ、そんなに興味ないし。」
誰からともなく、そんな言い訳めいた言葉が出る。
そして全員が納得したような顔をして、そのまま寺を後にした。
続く
