【 ダンマパダ 277 】 (前編) 「諸行無常」について考えてみる(草稿)
●はじめに
仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。
●ダンマパダの277
277 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。
こちらは、ダンマパダという仏典を中村元さんが現代語訳したものです。
その第二十章は「道」というタイトルです。
この章は、今も語り継がれる仏教の大切な教えが凝縮された章であります。
他にも「八正道」「四諦」「一切皆苦」「諸法無我」についても言及されています。
これらをより具体的に理解し、実践に移すために、あらゆる先人が「道」を解いてきた、と思える程です。
●ずっと考えてきました
以前から「諸行無常」という言葉は、何かにつけて引かせて貰いましたが、それは「諸行無常」に「真理」があると信じてきたからです。
今では、私ごときが軽々しく「真理」という言葉を使うことに躊躇していたのですが、それに「グッ」と近づける「なにか」がこの言葉にあるという思いを捨てきれないでいました。
ですから「諸行無常」についてあれこれ考える事も多いのですが、私ごときの脳みそで考えてしまうと堂々巡りに陥ってしまっておりました。
『「諸行は無常」なら「諸行無常」も不変の真理ではない?いや、やっぱり不変の「真理」はあってそれが「変わらないものはない」という事?あれ?』
という具合です。
●こういう考え方もある?
ここからは、学のない私が「思いつき」と「偏見」で語ることなので、そこに「厳密な科学的根拠」はありません。
ましてこれが「定義」と主張できるようなものでもないし人様に「こうなんだこうに決まっている」と断言するのは憚られるような話です。
ただ、こういったものは「誰か」の言葉を鵜呑みにするような事ではなく、最終的には自分でその答えに至るものと考えております。
ですから、私も私なりに「それ」に到達できるよう思い巡らせる必要があると考えておる次第です。
仏教においても、特定のものや誰かを「盲信しないこと」を説いていらしたかと存じます。
⚫先人の道標
そうはいっても、お釈迦様ですとか、そういった先人の方々は「答え」に辿り着けるように「道を示して」くださっている訳であります。
ゴールを目指すには自分の意志と足で進まなくてはならないですが、ゴールへの道標を請け負ってくださるのが仏典や先人の知恵である、というイメージです。
ですから、仏典などの「先人の知恵」に触れていくのがよろしいかと存じます。
という訳で今後も、「いち根無し草の戯言」と、軽く流して頂きたいのです。
それでも「他山の石」のように何かのお役に立つのでしたら、これ程有り難い事はありません。
ここからは中編に続きます。
よろしければ引き続きお付き合いくださると幸いです。
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