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SNSの作字文化と商業タイポグラフィのズレ

私「今日もXでおもしろい作字を探すぞ~~~!」

ニキ「作字??可読性が低くてカスですよねー!」

私「???」

ネキ「文字で遊んでる人達って文字詰め下手くそすぎませんか??」

私「???????」


SNSで広がる「作字」

こんなことが先日ありまして、この記事を書くことにしました。

ここ10年ほど、SNSでは「作字」と呼ばれる表現活動が広がっています。言葉をモチーフにロゴのような文字を作ったり、文字そのものをグラフィックとして表現したりする作品を見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。

私自身も4年前に界隈に入った新参で、普段からSNSで作品を観たり作ったりしています。最高の創作コンテンツなんですよォォ!!

ただ、こうした作字作品は、実はまったく新しく生まれた表現というわけでもありません。文字の形を工夫する文化は、看板文字やロゴデザイン、レタリングといった形で以前から存在してきました。近年ではデジタルツールの普及によって個人でも文字を制作しやすくなり、さらにSNSが作品を公開・共有する場として機能したことで、文字をモチーフにした創作が広く見られるようになったのだと思います。

その一方で、SNSで「作字」について検索していると、なかなか厳しい指摘をよく見かけるんですよね。特に、商業デザインの現場で働いている方からの批判が多い印象があります。例えばこんな意見です。

・可読性が低い
・生産性がない
・文字詰めが下手
・文字を装飾しているだけ
・問題解決できていない
・ただのグラフィックでデザインではない

X(旧Twitter)

正直かな~~~~り耳が痛い指摘なんですよね。そこまで言わなくても…と思いますが、どれもデザインの文脈から見れば、もっともな意見なんですよね。

ただ同時に、その批判の多くは少し前提がズレているのではないかとも感じています。

なぜなら、SNSで広がっている「作字文化」は、商業デザインのタイポグラフィとは少し性質の違う文化だと考えているからです。

タイポグラフィの文字観

このズレの背景には、タイポグラフィの文字観があるように思います。

タイポグラフィとは、文字を用いて情報を整理し、読みやすく伝えるための技術や設計の体系です。

もちろんタイポグラフィには、美学的な側面や実験的な表現の歴史もあります。しかし、ポスター、広告、誌面、UIデザインなどの実務の現場では、文字はまず「情報を効率よく伝えるためのツール」として扱われることが多いように思います。

そのため、可読性、再現性、生産性、情報整理といった要素が非常に重要になります。

この文脈では、文字の形は「個性」よりも情報伝達の効率が優先されます。これはデザインの実務のような場面では、とても合理的な考え方です。

そして実際、SNSで活動している作字作家さんの多くも、こうしたタイポグラフィの知識を学びながら作品を作っています。作字とタイポグラフィの技術は決して切り離されたものではなく、多くの場合は同じ基礎の上に成り立っています。

ただ、この評価軸をそのままSNSの作字文化に当てはめると、少し違う見え方になってしまいます。

作字批判について

SNSでよく見かける作字批判の多くは、このタイポグラフィの評価軸から理解できる部分があるように思います。例えば、以下のような指摘です。

・可読性が低い
・デザインとして浅い
・タイポグラフィの理解が不足している

X(旧Twitter)

これらはどれも、「文字は情報伝達のツールである」という前提に立てば、非常に筋の通った批判です。実際、確実な可読性が求められる場面で、読みにくい文字が使われていれば問題になるのは言うまでもありません。

ただ、SNSの作字作品の多くは、そもそも広告や誌面のために作られているわけではありません。具体的な情報伝達の課題に応えるためのデザインというよりも、個人が自由に発表している創作作品です。

もちろん、SNSの作字の中にはレタリング練習やデザイン練習として作られているものもあります。また、ポートフォリオとして制作され、商業デザインの仕事につながることを意識した自主制作も少なくありません。

一方で、言葉やアイデアを楽しむ表現として作られている作品が多数なので、制作の目的や文脈が実務デザインとは少し異なる場合も多いのです。

そのため、実務のタイポグラフィと同じ目的で評価すると、作品の意図と評価軸が少しずれてしまうことがあるのかもしれません。

専門書でも語られにくい作字文化

同じようなズレは、タイポグラフィの専門書を読んでいるときにも感じることがあります。

こうした書籍では、作字作品がレタリング技法や文字造形の例として紹介されることがあります。例えば、「ストロークの作り方」「文字のバランス」「レタリング技法」といった形で、造形の教材として解説されることが多い印象です。

もちろんそれはとても重要な内容であり、文字の造形を学ぶ上では欠かせない知識です。また、専門書がこうした形で作字を紹介するのは、デザイン技術を学ぶ読者のニーズに応えるためであり、それ自体はとても自然なことだと思います。

ただ、SNSにおいて創作として作られる作字作品の多くは、そもそも教材として制作されたものではありません。好きな言葉を好きな形にしてみたり、思い付いたアイデアを試してみたり、単純に「こうしたら面白そう」と思って作られているものも多くあります。

しかし作字が紹介されるときには、こうした創作作品が「文字造形の教材」として整理されることが多いです。作品には丁寧なキャプションが付けられ、「こういう効果を狙っている」「こういう構造になっている」と説明されるのです。

もちろん、こうした分析自体はとても興味深いものです。ただその過程で、もともと作品が持っていた自由性や遊びの感覚が、少し見えにくくなってしまうこともあるように感じます。

その背景にも、文字を主に「情報伝達のための設計」として捉えるタイポグラフィの文字観があるのかもしれません。その視点から見ると、作字作品もまた「どのような構造で作られているのか」「どのような効果を持つのか」という形で説明されることになります。

結果として、作字も「技法」や「デザインのtips」として語られることが多く、創作文化としての側面が見過ごされているようにも感じます。

SNSの作字文化の面白さ

では、SNSの作字文化の面白さはどこにあるのでしょうか。

正直に言うと、これを一つの言葉で説明するのはかなり難しい気がしています。というのも、作字作家の方々は、それぞれかなり違う視点で作品を見ているからです。

ある人は文字の造形そのものを追求していますし、ある人は言葉の面白さから発想を広げています。グッズ展開を重視する人もいれば、作品を鑑賞するという立場で界隈に参加している人もいます。中には、タイポグラフィの視点で文字を扱っている人や、フォント制作、ロゴ制作を仕事にして活動している人もいます。

つまり、作字の面白さは必ずしも一つの方向にまとまっているわけではありません。どこに魅力を感じるかは人によってかなり違っています。

こうした多様性が生まれているのは、SNSの作字作品の多くが特定の実務のためではなく、個人の作品として発表されているからでもあるように思います。

そう考えてみると、SNSの作字文化は、タイポグラフィという長い歴史を持つ文字表現の技術が、創作の場へと広がった一つのかたちとも言えます。

本来、タイポグラフィは広告や誌面など、情報を整理し伝える実務の中で発展してきた技術ですが、SNSではその文字表現が個人の興味や発想から生まれる創作として使われています。

そのため、SNSの作字文化には一つのスタイルにまとまらない多様な方向性が生まれています。その状態そのものが、この文化の面白さの一つなのではないかと思います。

そして、もし今後こうした文化の性質について触れられる機会が増えていくなら、作字を作る側としてはとても嬉しいです。

まとめ

作字はタイポグラフィやレタリングの延長線上にある表現でもあります。しかし、SNSで広がっている「作字」は、商業デザインのタイポグラフィとは少し文脈の違う場所で発生してきた文化でもあります。

商業デザインにおけるタイポグラフィが、情報を整理し、読みやすく伝えることを目的とした技術体系だとすれば、創作としての作字は、言葉や形を使った個人的な表現として楽しまれている側面が強いと言えるでしょう。

そのため、「可読性」や「機能性」といったタイポグラフィの評価軸だけでSNSの作字文化を見ると、本来の面白さが少し見えにくくなってしまうのかもしれません。

文字という身近なモチーフを通して、多くの人が自由に表現を楽しんでいる────その広がりこそが、この文化の魅力の一つなのではないかと思います。作字最高!!


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