伸びていく方向へ ~療育現場から見えた新しい可能性~
はじめに
「跳び箱が跳べるようにしてください」
療育の現場で、お母さんからこんな相談をよく受けます。話を聞いてみると、「学校の体育で跳び箱をやっているので、うちの子も跳べるようになってほしい」というのです。
でも、そのお母さんに「お母さんは跳び箱跳べますか?」と尋ねてみると、だいたい「私は跳べないんですけど…」という答えが返ってきます。
この会話の中に、今の療育現場が抱えている根本的な課題が隠れているような気がするのです。
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「みんなと同じ」という見えない圧力

療育の世界で8年働いていると、保護者の方からの要望の多くが「周りの子と同じようにできるようになってほしい」というものだということに気づきます。これは決して悪いことではありません。親として当然の願いだと思います。
ただ、ぼくはいつも不思議に思ってしまうんです。なぜ、その子らしさを大切にするのではなく、「みんなと同じ」を目指さなければならないのでしょうか。跳び箱が跳べなくても、そのお母さんは30年、40年と立派に生きてこられたハズなのに・・・。
もしかしたら、このお母さんは、跳び箱が跳べなくて、体育の時間につらくて、悲しくて、恥ずかしい気持ちになっていたのかもしれない。
体育の時間が来るたびに、お腹が痛くなったり、帰りたくなったり、嫌な気持ちになっていたのかもしれない。
みんな跳べてるのに、どうして私だけ。楽しく体を動かすだけじゃダメなんだ・・・。そんな絶望的な気分をうちの子も感じているに違いない。
でも私は跳び箱をどうやったら跳べるようになるのか、教えてあげられない。ひとりだけ恥ずかしくてかっこ悪い思いをさせてしまって、ごめんね。そのせいでお友達や先生からからかわれたり、いじめられたり、しませんように・・・。
もしかしたら、お母さん達はこんなふうに切実な思いを抱えているのかもしれないなと、思うのです。
「みんなと同じように」という圧力は、実は社会全体にあるような気がしています。昔、左利きの子どもを右利きに直そうとしていた時代があったように、「標準」から外れるものを「矯正」しようとする力が働いているのかもしれません。
一対一だからこそ見えてくるもの

ぼくが発達障害の子どもたちに魅力を感じるようになったのは、一対一の学習支援をしていた20代後半のころでした。集団の中では「問題行動」と言われがちな行動も、一対一で向き合ってみると全く違って見えることがあるんです。
集団では落ち着きがない子も、一対一だと驚くほど集中してくれることがあります。みんなの前では黙っている子も、マンツーマンになると豊かな発想を聞かせてくれます。
これって何を意味しているんでしょうか。その子たちは「能力がない」のではなく、「集団という環境が合わない」だけなのかもしれません。一対一の関係の中でこそ輝ける、自分というものが出せる、そんなお子さんをぼくはたくさん見てきました。
体が教えてくれること ~原始反射という新たな扉~

最近、ぼくは「原始反射」という分野に出会いました。これは赤ちゃんがお母さんのお腹から出てくるために、そして、だいたい1歳くらいまで、赤ちゃんが持っている反射的な動きのことです。ご飯を食べて、立ち歩けるようになるまで、とってもだいじな働きをしてくれます。普通は成長と一緒に消えていくものです。でも、何らかの理由でこの原始反射が残っていると、学習や行動に影響することがあるんです。
例えば、授業中にじっと座っていられない子がいたとします。今までは「集中力がない」「しつけの問題」と思われがちでしたが、原始反射の視点から見ると、座って勉強するのを邪魔してしまっている反射がまだ体に残ったままかもしれないな、という考え方もできるのです。
これは、ぼくにとって大きな発見でした。その子の行動を「問題」として見るのではなく、「体からのメッセージ」として受け取る。そうすると、どうサポートすればいいかが根本的に変わってくるんです。
新しいアプローチの可能性

原始反射のアプローチは、まだ療育の世界では珍しいものです。でも、大きな可能性を感じています。今までの「行動を直す」やり方ではなく、「体の土台から整える」やり方。これなら、その子を叱らずに、無理やり嫌なことをさせずに、根本的な部分からサポートできるかもしれません。
大切なのは、その子を「変える」ことではなく、その子が「伸びていく方向」を見つけることです。急におじいちゃんみたいなことを言いますが、盆栽を無理やり曲げるのではなく、太陽の方向に自然に伸びていけるよう環境を整える。そんなイメージです。
多様性という財産

ぼくは左利きの話をよくします。昔は左利きは「直すべきもの」と考えられていました。でも、今では「個性の一つ」として受け入れられています。「かっこいい」って言われたり、しますよね。左利き用のハサミや道具も普通に売られるようになりました。
発達障害も同じ道を辿るのではないでしょうか。「治すべき問題」ではなく、「多様性の一つ」として捉える。そして、その多様性がまたひとつ豊かな社会を作っていく。30年後、60年後には、発達障害の人たちも自然に社会に参加できる世界が来るかもしれません。
実際、一対一で関わっていると、発達障害の子どもたちの独特な視点や発想力から教わることがたくさんあります。彼らは社会に「問題」をもたらす存在ではなく、新しい価値観や解決策を教えてくれる存在なのかもしれません。
「強制しない」という選択

これまでの療育は、どうしても「できないことをできるようにする」というやり方が中心でした。でも、ぼくが目指したいのは「強制(矯正)しない療育」です。
その子が自然に伸びていく方向を見つけて、そこを応援する。もちろん、いまの社会では難しい部分がたくさんあります。そこは折り合いを付けていかなくちゃいけない部分が必ずあります。今だって、左ききの人は改札を通るとき、急須でお茶をそそぐとき、お習字のとき、いろいろ不便を感じることがなくならないのと同じだとぼくは思っています。合わせなくちゃいけない部分は、みんな、それぞれあるだろうと思います。でも、それでも、跳び箱が跳べないままでも、その子の人生はちゃんと続いていくのです。みんなと同じことができなくても、その子らしい生き方はきっとあるはずです。
「みんなと違っても大丈夫」「あなたはあなたのままで価値がある」。そんなことを伝えられる療育者でありたいと思っています。
おわりに ~新しい扉の向こうへ~

療育の現場で出会う子どもたちは、ぼくにとって光のような存在です。彼らの"むき出しの個性"は、時として眩しいほどです。自分の気持ちに正直で、やりたいことがはっきりしていて、「NO」をきちんと示すことができる。
それって、大人になって社会に慣れていく中で失われがちな、人によってはもしかしたら憧れちゃうような姿かもしれません。ぼくが、彼らに憧れているように。
原始反射というアプローチを通じて、ぼくは新しい可能性を感じています。体の土台から整えることで、その子らしさを活かしながら社会に参加していく道筋が見えてくるかもしれません。跳び箱の練習も、別の方法が見えてきます。実はちょっとしたコツが、あるのです。
大切なのは、その子を型にはめることではなく、その子を邪魔してしまっている障壁を取り除くようサポートすることだと思います。気合いとか、根性とか、大事なんですけど、でも、それだけではあまりにも乗り越えるのがたいへんだから、療育ってものが出てきて、そしてこれだけ多くの、わずか15年ほどでセブンイレブンよりも多くの事業所が日本の全国津々浦々に出来たのだろうと思います。多様性は正直めんどくさいこともあります。余裕がない時はなおさらです。それはもう仕方がない。でも、それでもなお、お互いの違いを楽しみ合える社会。そんな未来を信じて、ぼくは今日もまた子どもたちと向き合っていきたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
「みんなと違っても大丈夫」——そんなふうに感じられる瞬間が、もっと増えていったらいいなと思っています。
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これからも、療育や子どもたちとの日々について発信しています。
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