僕がカレンダーに 「予定」 を入れるのをやめた理由
カレンダーを開くたびに、胸がざわつく。
かつての僕にとって、カレンダーは未来を約束するツールではなかった。むしろ、達成できなかったタスクの残骸が並ぶ「未来の墓場」だった。
「10:00〜 コーディング」
「14:00〜 仕様書作成」
几帳面に埋められたブロックは、まるで自分に課した厳しいノルマ。しかし、フリーランスの現実は非情だ。クライアントからの急な修正依頼、予期せぬエラー、そして自分の見積もりの甘さ。
一つ、また一つと予定は崩れ去り、カレンダーはリスケを繰り返した無残な姿に成り果てる。そして夜、そのカレンダーを眺めながら思うのだ。
「今日も、計画通りに進まなかったな…」
積み重なる自己嫌悪。いつしか僕は、カレンダーを開くこと自体が怖くなっていた。
これは、そんな僕が「予定」という名の呪いを手放し、カレンダーを「未来の墓場」から「最高の羅針盤」へと変えるまでの、カレンダーと “和解” するまでの道のりだ。
なぜ、僕のカレンダーは 「墓場」 になったのか
僕がタスク管理に GTD を取り入れ、Todoist や Obsidian を使いこなしていることは、以前の記事(例えば「タスクに追われ、心が折れた僕を変えた「タスク管理ノート術」」)でも語ってきた。
ツールは揃っている。 GTD の哲学も理解している。それなのに、なぜカレンダーだけがうまく機能しなかったのか?
答えは、僕の根本的な「思い込み」にあった。
僕は、カレンダーを「いつ、何をするか」を厳密に束縛するためのツールだと思い込んでいたのだ。会社員時代に染み付いた「時間割」の感覚が、抜けきっていなかったのかもしれない。
しかし、フリーランスの仕事は、予測不能な変数に満ちている。クライアントの都合、自分の体調、そして何より「創造性」という名の気まぐれな神様。これらを無視して時間をガチガチに固めることは、嵐の海で手漕ぎボートの進路を固定しようとするような、無謀な試みだったのだ。
予定通りに進まないことは、僕の能力の問題ではなく、「予定は未定である」というフリーランスの仕事の本質に起因するもの。それに気づくまで、僕は随分と長い間、自分自身を責め続けていた。
GTD の 「inbox」 と一冊の本
転機は、ある日、GTD の基本に立ち返っていたときに訪れた。
デビッド・アレンが提唱する GTD の第一歩は、「収集(collect)」。頭の中にある「気になること」を、すべて信頼できる「inbox」に放り込むことだ。重要なのは、この段階では「いつやるか」を決めないこと。まず、頭から出す。そして、後から整理する。
「……待てよ?この考え方、カレンダーに応用できないか?」
僕の頭に、稲妻が走った。
カレンダーを、「この時間にこれをやる」と約束する場所ではなく、「この時間に、これらのタスクと向き合う」と宣言する場所として使えないだろうか。つまり、カレンダーを巨大な「inbox」のように捉え直すのだ。
そんなとき、偶然読んでいた生産性に関する本の一節が、そのアイディアを確信に変えてくれた。
「時間をブロックするのではない。集中力をブロックするのだ」
これだ、と思った。僕がカレンダーで確保すべきだったのは、個々の「予定」ではなかった。一つのプロジェクトやテーマに没頭するための、神聖な「時間枠(タイムブロック)」そのものだったのだ。
Todoist が駆動し、カレンダーは映すだけ
その日を境に、僕のカレンダー運用は 180 度変わった。
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