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【第1話】33歳無職、サンディエゴへ。英検2級の自信が初日に粉砕された話



「33歳にもなって、今さら何やってるの?」

会社を辞めて留学すると言ったとき、周囲の反応はだいたいそんな感じでした。
転職して2年目、仕事は順調。英語なんて一言も話せなくても仕事は回る職場。普通なら、ここからキャリアを固めて「安定」という名のレールを全力疾走する時期ですよね。

でも、僕のレールはすでに、跡形もなく粉々に砕けていたんです。

実は、結婚するはずでした。そのために仕事も変えたんです。なのに、人生ってやつは本当に容赦ない。まさかの婚約破棄。
心にぽっかり空いた大穴を、周囲には「全然平気っすよ!」と強がって隠しながら、死んだ魚のような目で毎日をやり過ごしていました。

そんなある日の夕暮れ。ランニング中にシャッフル再生で流れてきたONE OK ROCKの『キミシダイ列車』が、僕の足を止めました。


「もういいや このまま死んだって」…って思うほどバカに生きてるから

キミシダイ列車/ONE OK ROCK



「……待てよ。僕、全然バカになれてないじゃん」

独身。失うものなんて、もう何もない。だったら、やりたいことを全部やってやろう。
大谷翔平をナマで見て、ディズニーに行って、カリフォルニアの青い空の下で、本物の英語にまみれてやる!

33歳。体力的に無理が効く、人生最後のチャンスかもしれない。
そう思い立った僕は、爆速でエージェントの面談に申し込んでいました。

「ロサンゼルスに行きたいです!」
「あ、今は学校がないですね(即答)」
「じゃあ、サンディエゴで(即答)」

決め手は直感でした。パドレスもあるし、何より気候がいいから「荷物が少なくて済みそう」だったから。
(※これが後に、あんな22.80kgの限界パッキング地獄を招くことになるとは、この時の僕は知る由もありませんでした)

こうして僕は、片道切符を握りしめてサンディエゴへ。
一応、これでも英検2級は持っていたし、オンライン英会話の「ネイティブキャンプ」も何百回とこなしてきた身。
「まぁ、ぶっちゃけ多少は通用するでしょ」なんて、謎の自信を胸に抱いての入国でした。

……が、現実は甘くなかった。

最初のクラス分け判定は、無慈避な「A1(初心者)」ランク。
僕の持っていた自信は、サンディエゴの眩しい太陽の下、
到着初日にして音を立てて蒸発して消えました。

これが、キラキラした成功物語……ではなく、真っ白な病室で保険会社と「負けられないデスマッチ」を繰り広げることになる男の、波乱万丈な「末路」の始まりだったんです。

……あれから数ヶ月。
今、僕は日本の自宅で、ようやく落ち着いてこの文章を書いています。

正直に言うと、体調はまだ「完全復活!」とはいきません。肺炎の影響で心臓に少しダメージが残り、今も定期的に病院へ通いながらの「絶賛・休養中」です。
本当はあと2ヶ月、サンディエゴで最高の夏を過ごすはずでした。けれど、あの病室の天井を見上げながら「もう一度これが起きたら、次は本当に帰れないかもしれない」という恐怖に、僕は帰国を選びました。

日本に降り立ち、コンビニで最初に買ったのは150円のポカリスエット。
アメリカのスーパーで2.8ドル(約430円)という絶望的な値札を見ていた僕にとって、それは涙が出るほど安くて、甘い「帰還の味」でした。

「やっと、帰ってこれたんだ」

3月26日の退院から、4月18日の帰国まで。
空白の3週間に、一体どんなドラマがあったのか?
なぜ僕は、肺炎いなってボロボロの状態で、保険会社という「巨大な壁」をぶち抜き、JALの直行便を勝ち取ることができたのか。

今、現地でできた友人と笑い合い、日本語講師という新しい夢に向かって走り始めている僕は、あの地獄のような、でも最高に熱かった100日間のすべてをぶちまけようと思います。

33歳で「末路」を見た男の逆襲。
まずは、英語力ゼロからの「サバイバル英語学習編」から始めましょうか



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