東京都庁に入るまで(1998年以前)
社会保険労務士・行政書士すぎなみ耕援事務所の代表によるnoteです。
まだ、事業の再構成を詰め切れていない。大体は考えたにせよ、本当にできるかどうかは、他人によるところもあり、実現見通しが不明であるためだ。
1996-97公務員を目指す
1994(平成6)年は暑い年と記憶されるが、自分にとっては挫折でその記憶もない。就職氷河期といわれ、当初教職を目指したこともあり、一般公務員しか無理との認識で貯金し、1996年(平成8)年から資格学校とダブルスクールした。解り辛い行政法は、「法律による行政の原理」を押えれば怖くない。為政者や行政も法をつくる役割ながら、彼らも法に従うことに尽きる。ジャイアニズム(のび太のものは俺のもの、俺のものは俺のもの)は通じない。
勉強して都庁を視野に
地方上級として、居住の神奈川県も考えたが、国家公務員と同様に問題が合わず1997(平成9)年、国家Ⅰ種・Ⅱ種は申し込んだが受験していない。都庁Ⅰ類・Ⅱ類(当時)を受験、Ⅰ類は社会学でなく社会調査だった問題が痛恨で面接に進めず、Ⅱ類は時事問題が全問正解で面接クリア、下位合格奇跡。論文対策をあまりしなかったし、受かればいいと意識の低い態度が透けた。
内定と長野五輪
合格後の8月、卒論を書く現実に戻された。神戸に教育学会の全国大会に行くのだ。実はこの年、神戸児童連続殺傷事件があって社会学者の宮台真司氏の講演も聴いた(著書へのサインを今でも保有)。学会が終わったら、何となく現場に赴くつもりが、都庁の内定者説明に急に呼び出され、早朝に帰京が必要で残念だった。内定式10月1日、台場など廻ったが、前日碓氷峠を跨ぐ信越本線区間が新幹線で廃線、軽井沢-篠ノ井の経営移管を覚えていない。
思う存分に見た
1998(平成10)年、卒論も提出し、新幹線のできた長野でのオリンピックも堪能した。走り疲れた束の間のご褒美、あれ以上の国内結束はほぼ聞かない。その後はこちら
