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拾い読み()

社会保険労務士・行政書士すぎなみ耕援事務所の代表によるnoteです。

2025年が暮れようとしている。毎年、こうしようああしようと頭も身体も動かし巡らせ、結果思うようにいかない。もう何のノルマも課さず、書けるのは表題くらいだ、まだ構想が固まらず、披歴も実行もできない状況がある。


期待ない時代から表舞台へ

1998年の職場は、電化があり配属されたようなもの。少々喜び勇んで研修を終えて戻ると、初任給は出ないという(15日付)、こういった具合なのだ。後ほど見ると、神奈川県町田市と適当(悪い意味)な記載がされていた。

それでも、未熟な自分を成長させてもらった。次の職場は交代制というか、勤務時間の変わることがあった。多少余裕も出て通信大学に学士入学、また危機も感じてITの勉強に精を出し、2003年その部署に行くこととなった。

そこで会ったのが

その部署の課長だった、今は上記団体理事である。なぜ当時自分を買ってくれたか分からない、多少元気に見えたのだろう。仕事ってこうするのだと2年経験し、全局知るきっかけとなったのだ。2005年は共済組合の仕事だと。

システム再構築が終わり問題だらけだった。経費を精査しろ、ITの先輩に怒られる、セキュリティなってない‥加え医療制度改革と保険証カード化、給与制度改革が降ってきた。凄まじく片付け、異動である。反発も感じた。

2007年、何でそこへ異動か分からない、聞けば都立「高校」のIT化をやれという。1年で事業化しなければならず、定数も減らされていた。同じようなことがあれば辞めてやると学習したので、下記発生時に退職できた次第。

学校のIT化計画

教員トップとも仕事を伴にし、知事案件として都立「学校」IT事業化のOKが出た。特別支援こそ導入すべきなのである。実装化は自分には無理と分かっており、ライン課長に嫌われていたため、開閉校の現場になった。2008年も初回給与は出ず!半日で仕事終える程のんびりし、長くないと思った。

給与制度と採用昇任

2011年、給与勧告に携わりたく希望どおりとなった。課題があっても自分では無理なことばかり。そのうち、ある種イップスに陥り説明も難しくなり、2013年、試験の実務に移らなければ、団体経営改革に従事せず、社労士にもならなかった。2015年給与勧告に戻り、イップスからの回復は2020年だ。

11月3日は黒かった

何の出来事がどのように転ぶか、どのように学び、どう生きるか分らない。同日は「文化の日」、祝日のはずだ。だが、令和は黒いまま前職を終えてしまった。この近辺は予算や定数に係る者は、この日出勤せずではまとめ切れない。少なくとも「整理」し次に進める必要がある。小休止には違いない。


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