京都の時間、東京の時間(京都の青春が終わって、中年が始まる)pha
前回の続きです。
久々に、京都の大学の後輩と出会って、学生時代の思い出話に花を咲かせました。
私が4回の時に、1回生だった後輩なので、在学中はそこまで話をする時間がありませんでしたが、不思議なことに大学を卒業してみると、3つの学年差など、全く関係ないものです。
久々に、沢山、話し合って、このサイトを紹介してもらいました。
そうだ!
懐かしい。phaさんだ。
京都には世界の全てがあった
まず、タイトルが際立っています。
その後輩は、これを10回以上読んでいるらしいです!
確かに、京都で学生時代を過ごした人(特に下宿組)には、じわじわと効いてくる。phaさんが京大出身ですので、左京区に偏った記載になっていますが、それもそれでいい!!!
「たしかにな~、京都は沢山の文化的な引き出しを作ってくれたな~」と妙に感慨深くなります。
この寄稿にあるように、phaさんは、私にとってはずっと京都の思い出に浸っていて、phaさんの本を読むと、学生時代の淡く、アンニュイな思い出を蘇らせてくれます。
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散歩のついでになんとなく美術館に寄ってみたり、
数百円の拝観料を払って日本庭園の中を歩いてみたり、
琵琶湖疏水に沿って歩きながら桜や紅葉を見たり、
東大路通りで山伏の集団を目撃したり、
深夜のからふね屋珈琲で試験勉強をしたり、
吉田寮食堂で友達が出ている芝居を見たり、
西部講堂でROVOのライブを見たり、
百万遍の安い飲み屋で抽象的な議論をしたり、
鴨川で鴨や鷺(さぎ)や鳶(とんび)や時には鹿を見たり、
高野川と賀茂川が合流する出町柳のデルタでピザを食べながらビールを飲んだり、
賀茂川の河原でジャンベを叩いて遊んだり、
糺(ただす)の森の古本市をぶらぶら見て回ったり、
京都御所の玉砂利をじゃりじゃり踏みながら「今年の暑さは異常だ」とか思ったり、
少し前に火事で燃えてしまったほんやら洞の2階でコーヒーを飲みながら何時間も本を読んだり、
町家をリノベーションしたお洒落なカフェで場違い感を感じたり、
河原町三条の路上で限りなくゆっくりと動く舞踏家の踊りを見たり、
木屋町の狭くて薄暗いバーでラム酒を飲んだり、
京阪電車に乗りながらくるりを聴いたり、
一乗寺の恵文社でいろんな本の背表紙を眺めるだけ眺めて何も買わなかったり、
他の店より特別にスープが濃いという天下一品の総本店に行ってみたり、
銀閣寺の近くを歩いてたら観光客と間違えられて人力車の俥夫(しゃふ)に声をかけられたり、
大文字山に登って、「大」の字のところから京都盆地を見下ろして、「なんて小さな街なんだ」と思ってみたり、
そうしたものの全てが、徒歩や自転車で行ける範囲にあった。
それはとても豊かな日々で、そんな日々が僕の中にたくさんの「文化的ひきだし」をつくってくれたと思う。
もしきみが幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
それはきみについてまわる
なぜならパリは
移動祝祭日だからだ
――アーネスト・ヘミングウェイ著、福田陸太郎訳『移動祝祭日』(岩波書店)より
ヘミングウェイがこんなことを書いていたらしい。
この感覚はすごくよく分かる。僕にとっては京都がそういう場所だったからだ。
多分この先僕は世界のどこに住んでも、その場所を京都と比べたり、その場所に京都と通じるものを見出したりしながら、ずっと暮らしていくのだろうと思う。
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このphaさんの記事を読んで、後輩と一緒に、「『パリは移動祝祭日』っていうヘミングウェイからの引用がいいね。『京都は移動祝祭日』だね♪」といって、盛り上がりました。
持たない幸福論
phaさんのことは、ネット記事で知っていましたが、2015年出版のこの本でphaさんの生き方を知りました。

この本では、phaさんは、合わない職場やコミュニティなどの場所からは逃げていい!という考えを示してくれました。
phaさんにとって、生きるのに本当に大事なことは、①「一人で孤立せずに社会や他人との繋がりを持ち続けること」と②「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」の2つでした。
phaさんは、昔からずっと学校や仕事が苦手で、体力がなく疲れやすいという体質から、ブログを書いたり、古本やデジタル機器を安く手に入れてネットで売ったり、とくどき原稿料をもらう文章を書いたりして、毎年、百万円前後ぐらいの年収で過ごしているという。
こんな、学生時代の延長のような生き方を提示しました。
phaさんの考えで、きっと、仕事に追われて過労やストレスで不幸になりそうな人は救われたのでしょう?!
ちなみに、1978年生まれのphaさんは、2015年時点では37歳でした。
私は、タイ人のような生き方を日本で実践するphaさんの陰ながらファンでした。
と同時に、定職に就いて、社会保険などを支払っておかないと、まさかの時の将来の備えができないのではないのか?とサラリーマン的な疑いを持っていました。
パーティーが終わって、中年が始まる
久々の長めの京都滞在を終えて、ミャンマーに戻ってきてから、phaさんが、こんな本を出版していることに気づきました。
しかも、2024年6月に出版されています。
タイトルを見て、すぐに読みたくなってうずうずしてしまいました。
帯の言葉が、すぐに目に飛び込んできて、ぽちっと即購入しました。
元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!?

老いるということ
2024年時点で、phaさんは46歳です。
時を経て、中年になったphaさんにどのような心境の変化が生じているのか?、心底、気になっていました。
46歳の中年は、誰もが通る道です。
私、桐島は、普段は60歳になった時の、仕事がなく、誰にも必要とされない恐怖と闘っています。
最近、私の資格取得は「社会に必要とされない!」状態を回避するための強迫観念が動機になっているのではないか?と自己分析しています。
そんな私も、10年以内に46歳になります。そこから10年と少しで60歳になるわけです。
中年の心境の吐露
冒頭から、ぐんぐん引き込まれます。
四十代半ばになった今、つかまってしまったな、という感覚がある。
何に? 世間に、だろうか。それとも、老いに、だろうか。何をするにも少しずつ足取りが重くなっていて、昔のように自由に動けなくなってきているのを感じる。
そして、年を重ねて中年になったことの実況中継になります。
年をとるとふらふらとした状態でいるのが難しくなってくる原因は、体力の衰えのせいももちろんあるけれど、年下の人間が世界に増えたということが一番大きい感じがする。
(中略)
しかし、周りが年下の人間ばかりの中で、年上のおっさんが「俺すげーダメな人間だから」とか言って、いい加減なことばかりするのは、ちょっとキツい。痛々しい。
phaさんの46歳がどういう状態なのか?
四十半ばの今は、三十代の後半が人生のピークだったな、と思っている。肉体的にも精神的にも、すべてが衰えつつあるのを感じる。
本文では、四十代のphaさんの「衰退のスケッチ」が描かれています。
私と同じように、京都の大学に行き、京都の寮に暮らしていて先輩のphaさんが、40代の心境を吐露して下さるのは、本当に参考になります。
今から、10年後(10年以内ですが)に備えようという前向きな気持ちになれます。
中年の不要な存在感
さて、中年になると存在感が否応なく増してしまうといいます。
これは、私、桐島も今、既に感じています。
人に軽く見られているほうがラクだから、権力や存在感なんていらない。会社や組織に属さず、ひとりでふらふら生きていたい。そう思って今までやってきた。
しかし、そんな自分でも、最近は若者と話すたびに、目上の人として気を遣われていることを感じる。自分が否応なく存在感や権力を持ってしまっていることを自覚せざるを得ない。
楽しさ減退
28歳で会社を辞めて、自由になって、着のみ着のままの人生を送ってきたphaさんも、中年になって、悲しい変化が生じたようです。
二十八歳のときに会社を辞めて、自由な時間を確保した。そこから十五年あまりが経った。定職につかずに物事を自由に考える生活は、予想通りにとても楽しくて、思いつくままにいろんなことをやっているうちにあっという間に年月が過ぎた。
しかし、順調だったその生活も、四十代半ばにさしかかって少しかげりが出てきた。最近、今までと同じようにやっていてもなんだか楽しくなくなってきてしまった。
(中略)
年をとるにつれて、少しずつオファーも減ってきている。アイデアを思いつく頻度も減った。
(中略)
そもそも、今さら自分にできる仕事も、書くことくらいしかなさそうだ。四十代半ばまで、他のスキルを積み重ねずにやってきてしまった。
(中略)
昔は「ひとりでいるのが一番楽しい」と平気でうそぶいていたのに、ひとりでいる時間がやたらと寂しくてしかたなくなってしまった。
こんな状態なら会社勤めが普通にできそうだ。ひとりでひたすら虚無の時間を過ごすくらいだったら、会社にでも行っていたほうがいい。そうか。みんなこんな感じで会社勤めをしていたのか。
(中略)
ひらめきがあまり起きなくなり、ひとりでいる時間が楽しくなくなって、世の中の人がなぜパートナーや家族を作るかが少しわかった気がした。
恋のから騒ぎ
これまで、恋に言及してこなかったphaさんが言及していること自体が面白いです。
橋本治が『失楽園の向こう側』(小学館文庫)という本で書いていた「性欲は羅針盤だ」という話が好きだ。
人は何か人生に行き詰まりを感じているとき、その状況から自分を救い出してくれそうな存在に恋をする、というのだ。現状を変えるというのはだいたいの場合すごく面倒なので、理屈だけではなかなか現状を打破できない。そんなとき、性欲という理屈では割り切れないエネルギーが、変化したい方向へと自分を後押ししてくれる。
(中略)
恋が多い人は、恋愛以外でも面白そうなことをたくさんしているような気がする。恋というのは、単に性的対象に対する欲望なのではなく、すべての未知なるものに対するときめきやワクワク感の基本となる感情なのかもしれない。
そう考えると、恋や性に振り回されるのはもう疲れたという気持ちもあるけれど、人生を楽しむためには、自分の中にあるときめきの種火みたいなものを大切にしていったほうがいいのだろうか。
phaさんの主張が通じた時代背景
phaさんの主張を通用しなくなる時代の波が訪れている。そんなことを私が思っていたところ、なんと、phaさんも認識してきました!!!
年収100万円前後ですと、これから訪れる本格的なインフレ時代は乗り越えるのが厳しいだろうと予想していました。
自分はあまりにもデフレに適用しすぎてしまったのかもしれない。今まで自分の意見が注目されて本を書いたりしてこられたのは、低成長のデフレ時代にちょうど合っていたからだったのだろう。だけど、そんな考え方はもうインフレ時代には通用しないのだ。
(中略)
ファミレスでドリンクバーを飲みながらだらだら喋ったり、自炊がだるいときは定食屋でごはんを食べたり、ときどき寿司や焼き肉を食べたり、そういったことはもうあまりできなくなってしまうのだろうか。
(中略)
デフレ文化の思い出を今のうちにできるだけ溜め込んでおいて、将来ノスタルジーとして語る準備をしておこう。
「わしらの若い頃は、ファミレスで300円のドリンクバーだけ注文して五時間くらい粘るのが普通だった」
とか言って、令和生まれの若者から
「ただの迷惑客じゃん、ほんとに昭和生まれってモラルがないよな」
と蔑まれたりしよう。
phaさんの学生の頃の思い出
なんと、phaさんの京都大学時代の思い出に、岡崎あたりをぶらぶらしていたと出てきて驚きました。
吉田寮から岡崎は少し遠いはずなのに、、、
岡崎は、ちょうど私が、最近、長期間を過ごした場所でした!!!



京都駅から地下鉄を乗り継いで岡崎へと向かう。京都市の都市部と東山山麓のあいだに位置する岡崎は、琵琶湖から流れてきている琵琶湖疎水のほとりに、美術館や動物園や寺社仏閣などが集まって文化的な空間を形成しているエリアだ。京都に住んでいた学生の頃、よくこのあたりを散歩していた。

京都の魅力
やはり、phaさんも京都の時間、東京の時間の違いを説明して下さっていて、嬉しいです。
京都をいえば古い寺社がたくさんあることで有名だけど、実はそれだけではなく、明治や大正時代に造られた近代建築もたくさん残っている。東京や大阪と違って、太平洋戦争のときにあまり空襲を受けなかったからだ。
千年以上前の平安時代から残っている伝承や、戦国時代や江戸時代から続いている文化や、明治や大正の頃の建築、そして明治、平成、令和、と、さまざまな時代のものがゆるく入り交じりながら残り続けているのが、ひたすら時間の流れが速くて前へ前へと進んでいく東京とは違う、京都の魅力だと思う。
(中略)
京都は「学生の街」と呼ばれるように、大学が本当にたくさんある。全部で三十か四十くらいあって、百数十万人いる京都市の人口の十分の位置が大学生だと言われている。そのほとんどは、進学のために京都にやってきて数年間の学生時代を過ごし、卒業するとまた京都を出ていく。川の水のように流れ去っていく。自分が京都で過ごした時間はかけがえのない楽しい時間だったけれど、それは大きな流れの中の一滴に過ぎなくて、今の京都は今の若者たちが青春時代を楽しむための場所なのだ。うらやましい。
なぜ、京都に住まないのか?
京都が好きそうなphaさんは、なぜ京都に住まずに、東京に住んでいるのか気になっていました。
この説明で納得しました。
つまり、前回の記事で触れた、万城目学さんと同じ発想なのです!
京都に来るたびに、東京よりも住みやすそうだと思っているにもかかわらず、自分はなぜ東京に住み続けているのだろうか。
(中略)
しかし、そのことを考えるたびに、京都は魅力的なんだけど、まだもうちょっと東京で何かをやっていきたいかもしれない、という気持ちになる。文章を書いたりとかイベントに参加したりとか、そういう文化的なことを東京でやっていたい。
東京の文化的イベントの多さは異常だ。(中略)そうしたイベントの片隅に関わっていたい、という気持ちがある。
あと、もし京都に住んだら、自分は文章を書かなくなってしまうのではないか、ということも恐れているかもしれない。
東京のイベントの多さや、物事の移り変わるスピードの速さ。その速度の中に身を浸していると、自分ももっと何か、クリエイティブなことをやらなければいけないんじゃないか、という圧力を感じる。その圧力で自分は文章を書いているところがある。京都に住んだら生活は充実するかもしれないけれど、生活することだけで満足してしまって、別に人間は文章を書いたりしなくても生きていける、ということに気づいてしまいそうで、それが怖いのだ。
phaさんのとっての「はじまりの地」
phaさんが、京都で学生生活を過ごした時に、「東京に出たい」と思ったストーリーが印象的です。
私も、大学生の3回のクリスマスに失恋して、国家公務員試験に対する気合を入れ直したのが、大文字山の「大」から、市街地を見下ろしながらでした。大文字山は、そんな、私の思い出が詰まった「はじまりの地」ですので、京都を訪れるたびに、絶対に登ります。

私にとっての「はじまりの地」は、まさか、phaさんにとっての「はじまりの地」でもありました。
私の当時の思い出と、phaさんの以下の記載がシンクロしました。
何をしたらいいかわからなくて人生に迷っていた学生の頃、大文字山に登ったことがあった。お盆に行われる五山送り火で「大」という文字が赤く灯される、あの山だ。銀閣寺のあたりまで自転車で行って、そこから三十分ほど山を登れば頂上近くのあの「大」の文字のところまで出ることができる。
「大」の中心に腰を掛けて眼下を見下ろすと、京都の市街地を一望できる。山に囲まれた盆地の底に、重力に押し付けられるように詰め込まれた家やビルたち。その光景を見て、ここから抜け出したい、と思った。
特になにか不満があったわけじゃない。京都は住み心地がよくて、友人や環境にも恵まれ、いい感じの生活を過ごせていたと思う。だけど、当時はよくわからない閉塞感を常に感じていた。若さだけはあるけれど、特に何もできない自分に苛立っていた。
自分の人生はこんなものなのか。これで本当に全部なのか。そんなはずはない。何か、ここではないどこかに、もっと素晴らしいもの、だめな自分を根本的に一新してくれるような、革新的な何かがあるはずだ。そこに辿り着けばもっと充実した生を生きられるはずだ。そんなことをずっと思っていたのだ。その後東京に出てきたのも、そういった「ここにはない何か」を求めてのことだった。
四十代になった今はもう、ここではないどこかに何かもっと素晴らしいものがあるはずだ、という気持ちはあまりなくなってきた。大体のことはもう見た気がする。期待を超えることはもうそんなに人生で起きないのだろうと思う。
(中略)
今までに見たことのない何かを期待する気持ちが全くなくなってしまったら、また京都に住んでみようか。でも、もう少しだけ東京で、何もかもがすごいスピードで移り変わってしまう、この異常な速度の都市で、地に足がつかないようなことをやっていたい。
いまのphaさんの暮らし
はて、いま、phaさんはどのように生計を維持しているのだろうか?
気になったところ、東京都杉並区高円寺南2-48-11 2Fの蟹ブックスで働いているようです。
phaさんが暮らしている場所なので、きっと、京都のような文化的な街なんでしょう。私は、高円寺って、まともに行ったことがないので、今度、是非とも行きたいな~と思います。
行って気に入ったら、住んでみるのもいいでしょうね♪


高円寺の駅から約五分、(中略)高円寺パル商店街を抜けたところにある古いビルの二階に、小さな書店がある。ドアの鍵を開けて店に入る。今日は店番のシフトの日なのだ。
(中略)
ずっと「働くのは嫌だ」と言ってきた自分がこんなことを思うのは過去の自分に対する後ろめたさもあるのだけど、本屋の仕事は楽しい、と感じている。本屋が世界で一番好きな場所なので、店にいるだけで幸福感がある。
(中略)
本屋にふらっとやってくる人は、差し迫った切実な悩みを抱えているというよりは、何かちょっと面白いものや、日常に刺激を与えてくれるものを求めていることが多いように思う。
本屋でぶらぶらと本棚を見て回るうちに、少しずつ心の中が整理されて、自分が何に興味を持っているのか、自分の悩みとはなんだろうか、というのを自覚していくのだろう。
本屋で店番をしていると、そういう瞬間にたくさん立ち会えるのが楽しい。
高円寺の魅力
高円寺の魅力が語られています。
昔よりも今のほうが、ちゃんとお金を稼がなければならない、という空気が強いように思う。ゼロ年代の頃は不景気が続いているなどと言いながらも、まだ社会全体に余力があったのかもしれない。今は、格差社会化や高齢化が進んだせいか、役に立たないものを面白がる余裕がなくなってしまった。そんな時代の空気の中で、自分の存在が少しずつ時代遅れになってきているのを感じる。今まではなんとかごまかしながらやってこられたけど、この先はかなり怪しい。
しかし、高円寺の街を見ていると、もう時代遅れのものが依然として現役で残り続けている、ということはよくあるな、と思う。
再開発も少しずつ行われているけれど、高円寺のほとんどはまだ狭い路地が入り込んだごちゃごちゃした街並みが残っていて、昭和の頃からあるような古い店がたくさん立ち並んでいる。こういう猥雑さこそが高円寺だと感じる。
このタイミングで、学生時代から陰ながらのファンだったphaさんが中年になった現実を書き起こして下さったのは、本当にありがたいです。
おかげさまで、年を取るという加齢による境遇や心境の変化は非常に大きいということを実感しました。
久々に、ワクワク、ドキドキしました。
40代中盤に向けて、明るく前向きな気持ちになれました。
京都のことを深く知りたくなった人は、以下の記事をご覧下さい!
