わたしと京都と本
京都住まい
私、桐島は、ただいま、京都の左京区で暮らしています。
大学生活を京都の雑多で退廃的な寮で過ごし、社会人になってコンクリートジャングルで覆われたグローバルシティの東京で仕事を始めました。
いつか、どこかで、京都にまた舞い戻ってみたいと思い、サークルのOP会など、機会あるごとに、京都に足繫く通ってきました(1年に2~3回の頻度です)。
いまは、ミャンマーに滞在していますが、長期休暇を利用して1か月間、京都で暮らしています!
しかし、いまいち、京都の何が魅力的で、なぜ、また、京都で暮らしてみたくなったのか?、腑に落ちませんでした。
大学近くの居酒屋さん
ところが、2025年1月15日水曜に「屯風」という京都大学の近くの小さな居酒屋でつまみとお酒をたしなんでいる中で、言葉にできない、概念化できない何かを感じました。
屯風は、つまみやお酒がリーズナブルな価格です。
そして、店主の旦那さんとおかみさんが、おそらく修士課程か博士課程の学生や、ご近所の知り合いの人たちとカウンターで和気藹々と話しています。
学生時代に同じサークルに所属していた同級生と、話していた大学時代にタイムスリップした気分になりました。
私が、京都に戻ってきて、求めていた時間と空間がそこにはありました。
一条寺の本屋さん
翌日、木曜に一条寺という左京区でも北の方にある「恵文社」という本屋さんを訪れました。
「恵文社」は、私が京都を訪れるたびに向かう本屋です。

ここを訪れると、ここに鎮座している数々の本から、気付きをもらいます。
おみくじを引くように、「最近のあなたは、経済や金融などの自分の専門的なことばかりに関心を払っていますが、人類や文化や生命や芸術にも関心を持ちなさい!」と、本が語りかけてきて、今後のあるべき方向を指し示してくれます。
そのぐらい、最近のいそがしい流行り廃りに左右されない、どっしりと構えた重鎮なテーマの本たちが、軽快に語りかけてきます。
私は、現在、ファイナンシャルプランナーという、時代の流れに乗った資格の勉強をしています。本当は、心のどこかで、「時代の流れに乗じた浅はかな行為だな~」という感覚を持ちながら、勉強しています。
そんな浅はかさを、見透かしているように、本たちは軽快に語りかけてくるのです。「本当に、資産運用とかNISAって、生きる上で本質的なの?」って!
そこで、私は、言い訳します。「まあ、趣味みたいなものですよ♪」って!
「恵文社」は、私をずっと魅了し続ける場所です。
「恵文社」のこと
結局、私は京都が好きなわけではないのです。
きっと、、、
学生時代に、海外からいらした観光客に対してボランティアガイドをしていました。清水寺、金閣寺という定番のお寺は、一生分、行き尽くしました。
そのため、大学卒業後は、一度も行っていません。
きっと、「恵文社」みたいな空間が好きなのです。




あと、左京区といえば、大文字山です。
そうです。大文字山も京都を訪れるたびに、絶対に登ります。

きっと、左京区という空間が好きなのです。
街を変える小さな店
そして、木曜の夕方に、恵文社の店主だった方が出版した「街を変える小さな店 ~京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。~」という本を、家に帰ってから、ふと、読み返しました。

むか~し、むかしに、1度読んでいたのですが、内容を忘れていました。
そうしたら、なんと、この本に「屯風」が紹介されていたのです!!!
「屯風」とは何か
大学に囲まれているだけあって、左京区は市内随一の文化エリアと謡われることも多い。どこかの雑誌が「左京区は京都のカルチェ・ラタンだ」なんてもったいぶった調子で書こうものなら即、鼻で笑うようなシニカルさは、この街の住人の特徴だ。「左」京区だけに、リベラルな気質の人間がやたら多く、ずるずると長引いた学生運動の残り香も、いまだあちこちで感じられる。
(中略)
そんな街に住む人間だけが知る、左京区民の人間交差点のような店。それが、京大近くにある居酒屋、[屯風]だ。
こんな文章が、飛び込んできました。
「知らなかった。あちゃ~!」と呟いてしまいました。
この本は2013年に出版されていますが、「屯風」は、以前は京都大学のすぐそばの百万遍交差点の雑居ビル3階にあったようです。
そして、一旦、お店を閉鎖して、いまは、違う場所にお店を移しています。
「こんなことも知らなかった~!」
貧乏人の京都
「寺と舞妓は京都の二大象徴である。寺のまえに舞妓をたたせると京都の絵になる。どちらもなにも生産しない」
50年以上も前に、民俗学者の梅棹忠夫は『梅棹忠夫の京都案内』(角川書店)でこのように綴った。
この言葉が表すパブリックイメージとしての「寺と舞妓の京都」は、今なお健在だ。「どちらもなにも生産しない」というところがポイントで、外から見た京都は、生産性の低い都市なのだ。京都府下にいくつかある上場企業の多くは郊外に立地し、市内には田園風景も工場もほとんど見あたらない。繊維業が盛んだったのは一昔前のことで、表向き活発に見える観光産業に従事している人間もごく一部だ。
大学が集中し、人口比率における学生の割合が突出して高い京都市では、「観光客むけ」に並んで、「学生むけ」商売の割合が高い。学生に安アパートを紹介する不動産屋や、飲食店のような個人むけサービス業、つまり、会社員ではなく、商売人が多いのも京都という街の特徴だ。
特に左京区のように大学が集中するエリアでは、客の多くが学生だから「カネを持たない客が多い」と言い換えても差し支えないだろう。学生たちは今も昔も貧乏で、貧乏人相手の商売人も、やはり貧乏なのだ。15年も学生街にある本屋で働いている自分自身、身にしみて理解している。そんな街のあり方は、学生たちの価値観に大きく左右される。
たとえば学生たちが飲み会を開くときに、「質はさておき」と低価格を追求した店を選ぶのか、味や雰囲気といった付加価値までをふくめて評価するのかで、街はずいぶん変わってしまうはずだ。
全国展開の居酒屋チェーンに行けば客の立場としては安くあがろうだろう。しかし、それらの店の食材は海外から直輸入、ときには調理すらも他府県の工場で一括して行われている。そんな店に落とされるお金が、自分の住む町に還元される割合は少ない。「とにかく安い店」に人気が集まれば、デフレがおころ、大量仕入れ・大量生産のできない個人店は価格競争に敗れ、結果的に姿を消してします。
とにかく安ければよい、という考え方に歯止めをかけるのは、経済ではなく文化の力ではないだろうか。工場でつくられた均質な料理を味気ない店内で食べるよりは、多少高くついても店主のこだわりが感じられる店がいいと、店主に贔屓の酒の銘柄を教わったり、常連客に交じってさまざまな話を聞きたいという学生たちの意識こそが、左京区界隈の個人店を支えている。
これを読んで、私が、京都の左京区を溺愛する理由が、氷解しました。
きっと、学生時代に、「学生時代は貧しくて、左京区の味のあるお店にお金を落とすことはできないけど、社会人になったら、お金を落として、粋で酔狂な文化を味わいたい!」と思っていたに違いありません。
学生時代に京都の左京区エリアには、お世話になりました。
だから、「恩返ししたい♪」
きっと、私が、社会人になってから、京都に足繁く通うのは、
京都ではなく、
左京区に魅了されていた!
そういったことが、恥ずかしながら、今更わかりました。
震災復興
地震大国、災害大国の日本には、頻繁に悲劇が訪れます。
2011年3月11日に、京都で学生時代をおくっていた私は、東日本大震災の地震の直接的なダメージを感じませんでした。
しかし、両親は、宮城県出身だったため、親戚も宮城県に多く、どこかしら他人事ではありませんでした。
国家公務員になってから、初任研修という名の研修で、宮城県の石巻市雄勝町に行く機会がありました。
そこで、震災後の復興のために、伊藤忠商事を辞めて、自力で復興をされている「立花 貴」さんという方のもと、復興プロジェクトの一部に関わらせていただきました。
その時に感じたのが、コミュニティ(community)の重要性です。
立花さんは、仮設住宅で暮らす人のために、木造のお風呂を作ったり、学校を再建して体験施設にしたりと、様々なアイディアを実行に移す人でした。
そのアクションに向けて、首都圏からも、全国からも、様々なバックグラウンドの人たちが集いました。
震災からの復興というと、どうしても、亀裂の入った道路や橋梁の復旧、住宅の再築といったイメージを持ちます。
しかし、立花さんのアクションによって、被災した人たちが第一に求めているのは、コミュニティ(community)なのだということがわかりました。
家族と離別して孤独になる人、仮設住宅での生活に慣れずに精神的に参ってしまう人、そんな人たちにとっては、日々の小さいコミュニケーションが欠かせません。
それが、復興に向けて、色々な作業を一緒にする仲間とのコミュニケーションがあれば、より良いのです。
立花さんは、実際に、宮城県石巻雄勝町の小学校の廃校を活用して、MORIUMIUS(モリウミアス)という子供のための複合型体験施設を立ち上げています。
そこは、企業の研修施設として利用されたり、子供の合宿に利用されたりして、コミュニティとしての拠点となっています。

コミュニティ・デザイン
このようなタイミングで、「山崎 亮」さんという建築家の方が、東北復興に関わり、コミュニティ・デザインという概念を普及なさって下さいました。

私は、2009年に京都でボランティア・ガイドクラブの部長を拝命しました。
ガイドという行為は、個人個人の行いであり、部員が集まる必要性もなく、普段は一体感もないため、どうやったら部員が協働する機会を設けられるのか?を真面目に考えました。
そのような我が事の文脈で、コミュニティ・ビルディングやコミュニティ・デザインという概念に興味を持ちました。
例えば、会議のファシリテーター(進行役)としての技術を伸ばすために”World Cafe Style”といった、自分の意見を言いやすい場づくりを実践しました。
国家公務員になってから、立花さんと関わる機会を得たため、以後、地方のコミュニティというものに益々、関心を持ち始めました。
しかし、社会人1年目の私には、実際に、どのように地方のコミュニティに関われるのかという具体的なアイディアは、全くありませんでした、、、
東南アジア(ASEAN)交流会/勉強会
2011年3月以降から社会人駆け出しの頃にかけて、コミュニティ(community)の重要性を感じ始めた私は、関心地域である東南アジア10か国(ASEAN)に興味がある人を集める会を開催し始めました。
社会人2年目以降のことです。
その会では、はじめはJICA、JBIC、DBJ、JETROなどの政府系機関(独立行政法人)の若手と交流しました。
大学の先生などの講師を招待して、平日の夜や、休日の昼に勉強会も主催しました。
そのうち、色々な方が集まってきました 笑
こういった交流会を通じて東南アジアに関わっている人の話を聞くたびに、私自身、ますます、東南アジアに行きたいという思いが強まりました。
大学というコミュニティ@長崎
私は、大学生の時に、将来なりたい人物像として、
ドラゴン桜のモデルになった予備校英語教師の竹岡広信先生や、京都市立堀川高校校長の荒瀬克己先生のように若い人に希望と動機を与えるような先生
を思い描いていました。
そのため、教育に関しては、強い関心があります。
竹内洋先生、苅谷剛彦先生、金子元久先生の著書から、非常に大きな影響を受けました。
「いつか、教育と関りを持ちたいな~」と思っていたところ、ふとしたところに、チャンスがありました。
それは、東南アジア(ASEAN)交流会/勉強会で知り合った、JETROにお勤めだった方が、長崎の大学の先生になったためです。
私が尊敬するその先生が、私を講義に招待して下さいました。
そんな、ひょんなことから、長崎県立大学で、1年に1~2回、対面で講義をするようになりました。

この学生たちは、普段からの先生の要求水準が高いため、全国的に見ても、かなりいい線です。
何よりも、素直で実直であるため、吸収スピードが速い。
そのため、こちらもやる気が出ます。
そのため、少し遠い長崎まで足を運びます。
この大学の、この先生の教え子から、社会で活躍する人材が出てくるのは、時間の問題と言えます。
そのぐらい、素敵なコミュニティ(community)と言えます。
地方の大学というコミュニティ
そのうち、いい気になった私は(すぐにいい気になってしまいます)、他の地方の大学でも、私の講義を必要としてくれているかもしれない、という単純な仮説を思い立ちます。
そして、営業活動をはじめることにしました。
まずは、営業活動の材料が必要です。
そこで、こちらのNoteに過去に実施した講義内容をまとめていくことにしました。
色々な人に声かけさせていただき、香川大学、中村学園大学@福岡県、熊本大学と長崎の大学と色々な大学で、講義をする機会に恵まれました。
熊本大学では、コロナ禍の時期も含めて毎年1回、5年近く講義を担当しましたが、先生が定年退職になってしまったため、2024年で終了してしまいました。
長崎の大学では、まだまだ、継続しています。
Global資本主義に負けないコミュニティ
個人的には、文化や思いの伝承には、「本」という媒体は必要不可欠だと思います。
しかし、「本」というのは、人の「衣食住」という観点からいえば、特段、必要不可欠ではありません。
他方、養老孟司先生は、「タイパを重視しすぎると、早く死んだほう良いことと同義になる」と喝破しました。
人間が生きる意義というのは、周りの人と関わって、コミュニティのなかで、それなりに役割を果たして、(他者と通じて)自分自身の生を実感すること。これが、幸せな生き方だと思います。
これは、京都の伝統芸能にも根付いて、祇園祭は、小さい児童1人1人に役割を与えて、祭りを最後までやり切らせます。祭りというコミュニティのなかで、役割を果たさせる事の、やりがいを代々、伝承しているようです!
この幸せな生き方の考えは、私の考えではなく、『グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない』という書籍から拝借した考え方です。
やはり、NISAや資産運用の発想が行き過ぎると、コスパ・タイパの発想に行き過ぎ、すぐにGlobal資本主義のPlayerに陥ってしまいます。
そんな方は、すぐに、甘い投資ばなしや詐欺ばなしに引っかかってしまうでしょう。
「屯風」や「恵文社」は、意識的に京都市左京区という「コミュニティ」を意識して重点を置いています。
そして、Global資本主義に負けないように踏ん張っています。
資本の論理で言えば、「恵文社」に行って、気に入った書籍をAmazonで購入した方が、安くて、コスパが良いことになります。
しかし、自分が住んでいるエリア、ひょっとしたら好きで観光で訪れるエリア、応援したいお店であれば、その場で身銭を切って、「コト消費」(そのお店で購入したことを思い出にする)をすることの価値は大きいことを教えてくれます。
「恵文社」に行って、その場で素敵な本を出会い、その場でささっと購入して、その後に読書に耽る。
このような行為が、Global資本主義に打ち勝つ、「コミュニティ」支援と言えます。
ぐるぐる巡る思考
まとまりに欠けますが、左京区にしばらくの間、暮らしてみて、徐々に、学生時代に考えていたこと、国家公務員になってから体験したこと、地方の大学で講義をしてきたこと、が繋がってきました!

コミュニティが大事です。そのためには、意識的にコミュニティを支えなければいけないということ。
京都市左京区は、その意識を持ち実践しているお店やお客さんも多いこと。
こういったことが、私が、いま、京都に暮らしている理由だということが徐々にわかってきました。
きっとそうなのです!
残りの京都生活、できるだけ、夜は繰り出して、素敵なお店で飲み食いして応援する!!!
私が、この瞬間、ここに存在している意義は、これしかありません。
結局、京都に来てから、こんなにも沢山の書籍を購入してしまいました~。
京都の書店で購入し書店の応援をしたということで、過剰消費の言い訳にします。

以下の書籍は、すべて「恵文社」の店内でInspirationを得て、購入した書籍です。これらの書籍は、今後、じっくり、ゆっくり、時間をかけて読みたいと思います。

今後も、我が人生で、京都市左京区を応援し続けたいと思います!!!
本当に、左京区さん、いままでありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします!
もっと読みたい方は、以下をご覧ください♪
京都の深層に辿り着いた記事はこちらです。
