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京都(左京区)ガイド~Part2南禅寺編~京都の危機感と産業発展

前回の続きです。




哲学の道

銀閣寺から、南に向かって哲学の道があります。

京都大学の哲学者だった西田幾多郎(1870~1945)が、思索しながら散歩したために、この呼び名になりました。

哲学の道は、桜の時期になると以下のようになります。
観光客で激混みになってしまいますが、、、( ;∀;)





川の流れのように

さて、ここで「哲学の道」に沿って流れている川が「琵琶湖疎水」です。

さて、この川はどちらに流れているでしょうか???

良く見てみると、あまり流れていないような気がします!!!


京都は、盆地になっていて、北川が標高が高いため、京都の中央を通る鴨川は、北から南に流れます。

鴨川の流れ




逆流する琵琶湖疎水

他方で、琵琶湖疎水は、東山地区を南から北へ流れた後に、銀閣寺周辺から東から西に流れるという不思議な経路を通ります。




なぜ、琵琶湖疎水は南から北へ逆流するのか?

これが、哲学の道の面白さです。
哲学の道は、西田幾多郎(1870~1945)が歩いたのは、おそらく1900年前後だったでしょう。

この時期に、琵琶湖疎水ができました。

琵琶湖疎水のルートは以下です。

滋賀県の琵琶湖から、京都に到着し、一旦北上して賀茂川に流れ込みます。




京都の大いなる危機感

琵琶湖疎水の歴史は、京都の危機感から始まっています。

長い間、天皇陛下が住まわれていて、日本の中心だった京都は、
1868年の明治維新により、明治天皇が東京に移り住んでしまいました。

首都機能が移転して、京都は閑古鳥が鳴く都市になってしまいました。

そこで、「どうにかせんといかん!!!」と思ったのが、当時の京都府知事の北垣国道(きたがきくにみち、1836~1916)でした。

北垣国道

衰退した京都の産業を復興するため、琵琶湖疏水の計画と建設、京都商工会議所の設立、京都~宮津間車道の開さく、第三高等学校の誘致など総力を尽くしました。

当時、東大工学部を卒業したばかりの21歳の田邉朔郎(たなべ さくろう)を琵琶湖疏水の建設の主任技師に任命しました。

なんと、琵琶湖疎水は、すべて日本人の手によって行われた日本最初の土木事業だったのです。


やはり、いつの時代も、歴史を大きく変えるのは、大いなる危機感です。




琵琶湖疎水の完成

そして、1890年に念願の第1疏水が完成しました。

これにより、京都の水不足も電力不足も解消しました。また、運河の開通で大津と京都と大阪が繋がり物流も便利になりました。


この疎水の凄いところは、ほとんど高低差がない所です。
トンネル部分は、3㎞進んで1m下る勾配しかありません。
当時の正確な測量技術がわかります!!!


一番左の、南禅寺近くの蹴上(けあげ)という場所で、582m進んで38m下る急な高低差が生じるために、船を浮かべることが出来ず、斜面にケーブルカーで船を運ぶインクラインが設けられました。

インクラインの船を運ぶケーブルカー


インクラインにある説明


立体地図ですと、第1疎水は以下になります。




またもや電力不足

しかし、また1890年代後半には電力消費量が増えたため、電力不足になりました。

そこで、第1疏水を1912年に完成させました。

これに伴い蹴上浄水場が完成し、京都市の水道事業が誕生しました。

以下の地図のとおり、第2疎水は第1疎水とは異なり、ほとんどトンネルを通っています。

旧九条山浄水場ポンプ室から、市内に以下の水道管で疎水が運ばれます。




いまの京都は、琵琶湖のおかげ!!!

この第1疎水+第2疎水の琵琶湖からの水が、いまの京都を形作っています。


南禅寺には、有名な「水路閣」があります。



南禅寺の「水路閣」に限りません。周辺の清流亭、碧雲荘にも疏水の水が流れる回遊式庭園があります。

平安神宮、円山公園、現在の京都国立博物館の庭園にも疏水の水が引かれています。

「哲学の道」にも琵琶湖疎水の水が引かれています。




なぜ、琵琶湖疎水は南から北へ逆流するのか?

そういえば、なぜ、琵琶湖疎水が哲学の道の部分を南から北に流れるのか?

その答えは、「土木技術」によるものです。

田邉朔郎(たなべ さくろう)は、トンネル部分で3㎞進んで1m下る勾配を精緻に作った人です。

その人からすれば、哲学の道なんで、ちょちょいのちょいですね。


イメージとしては、以下のとおりです。

哲学の道付近の等高線はほぼ南北に走っているようです。
疏水は等高線に沿いながら少しずつ高度を下げるように掘られています。
その結果、疏水の水は北上できます。





琵琶湖の水止めたろか!!!
「琵琶湖の水止めたろか!!!」と滋賀県民の京都市民に対するジョークがあります。

一見すると、琵琶湖からの水がなければ、京都市民は、生活用水に困るように聞こえます。

しかし、琵琶湖からの水がなければ、電力にも困りますし、京都を支えた寺社仏閣や庭園などの文化も維持できなくなります。

京都の現在は、ほとんど、「1867年の明治維新後の衰退に対する危機感」から始まっています。


京都って、一見、過去の遺産である寺社・仏閣・日本文化に甘えてきた感じがしますが、危機感を背景に、産業発展を遂げた都市なのですね♪



次回は以下です!


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