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『その刀の煌めきは』一章:そこにいるのは誰。#2

 月食。
 月は太陽の光を反射して輝く天体である。我ら地球に住む存在からすればわかりにくいことであるが、地球も月と同様に太陽の光を反射して輝く天体である。
 地球も月も太陽の光による影があり、太陽とは逆側の方向に影が伸びる。
 この地球の影の中を月が通過することで、月が欠けたように見える。
 それが月食という現象である。
 
 古来より月は太陽や他の星々と共に吉凶を示すものとされ、太陽と対を成して共に様々な信仰を生んできた。
 月の中でも満月は特別な力を持つとされる。
 人は丸く大きく輝く月に恋焦がれ、それを見ては自身の想いを言葉に変え、形にした。
 それは良いことも、悪いことも、変わらずだ。
 
 ある研究の中では、満月の夜は犯罪の件数が増したり、巨大な災害が起こったりといった、月の満ち欠けが原因だとするものもある。
 これが事実かどうかは置いておいて、月にはなにかしらの人を惹きつける力があると思わされる。
 
 そして、今宵は月食だ。その中でも赤く燃えるような皆既月食。
 普段の優しく思える月の明かりが、不気味にも赤く染まる。
 
 今の人々は知らない。かつて恐怖心の塊が世に溢れていたことを。
 人の想いによって作り出され、いつしか形を与えられ、名前さえもあったかわからないものたちが多く存在していた。
 今やそれらは人の手によって消され、時が経ち一部を除いて忘れ去られ、その多くが世界から消え去った。
 
 しかし今宵、それらは甦る。人の想いによって。
 人の手により生み出され、畏(おそ)れられ、そして人の手で消されていった名もなき存在たちが、再び目を覚ます夜。かつて本当に存在したにも関わらず、人に殺され架空のものとして扱われた無念むねん夢想むそうが、より這い出す。
 月の魔力に惹かれた人々が思い描く最も恐ろしく、あやしきもの。
 たとえ世界からその存在が忘れられ、消されたとしても、人は思い描くだろう。
 
 
 
「こんな赤く美しい(怖ろしい)月の夜には、きっと化け物が現れるだろう」と。
 
 
 
   †
 
 
 
 無事に時間通りバス停に到着。
 バス停から少し北に歩き、北大路通きたおおじどおりの交差点へと差し掛かる。
 大学はバス停から少し離れており、この交差点を越え、さらになかなか急な坂を上った先にある。いや、より大学に近いところにバス停はあるが、普段乗るバスはそこまで行かない。だから俺はこの先のきつい坂を歩いて上らなければいけない。
 交差点で信号が変わるのを待ちながら、これから先の疲労を考えながらぼーっと坂を眺める。そのとき視線が無意識に何かに引かれていることに気が付いた。
 交差点の向こう東側から軽い足取りで歩いてくる一人の女性に視線が向かう。健康的に焼けた小麦色の肌に、茶色と栗色に綺麗に染まった短めの髪とその輝きと変わらないぐらい眩しく光る額を出した少し幼い印象を持つ女性。気だるげなその表情に、キリっとしたようでとろんとしているような目つきに、赤い瞳が特徴的だった。服装も季節柄的には少し露出度が高い。丈が短くへそが見えるティーシャツに、生足が眩しいジーンズのショートパンツに一応羽織はおりましたみたいなだらんとしたパーカー。どこにでもいそうなギャルの服装だがなぜか目が魅かれた。
(あの手の女の子にはそんなに興味は湧かんなあ)
 そうは思っているが、視線が向いたままでなぜかほかに移せられない。ぼーっと視界に入れていると、彼女が交差点を渡り切る。
(同じ大学の人なんやろうか)
 そんなことを考えて眺めていると、彼女が一瞬こちらを見たような気がした。いや、目が合ってしまった。そんな気がして、体が不意に固まる。
 そのまま彼女は大学の方へと、変わらず軽い足取りで坂道を上っていった。
 信号が赤から青へと変わり、その瞬間足が前へと反射的に進み始めた。
(誰だったんやろう……)
 その疑問を抱えたまま、俺も坂を上り始める。
 
 ようやく涼しくなってきたからまだマシだが、ついこの間までは大学に到着するころには汗だくになっていた。これだけ涼しくなっても額に少し汗をにじませる。そしてキャンパスの南側の入り口に到着。そこからキャンパス内では少し古めの建物を目指して歩く。
 ほかの大学から比べれば、うちの大学のキャンパスは狭い方だろう。他所の大学に行ったときにどれだけ広いものかと感じた。広すぎるあまり普通に迷った。あんまり広すぎるのも移動に時間がかかりそうだ。
(これぐらいの広さで調度よかったんかもしらんな)
 北西にある古い建物。階段を上って、講義の教室へと向かう。
 二限開始までにまだ少し時間がある。だがもうすでに何人か教室にいる。
 俺が属しているのは人数の少ない学部だ。授業で突き合わせる顔も少ないから、大概の顔と名前は一致している。今教室にいる学生も、フルネームはわからなくともほとんど認識はできている。
「よーっす。早いな、猪上も小塔ちゃんも」
 二人並んで座って話している男二人に話しかける。
「おはよう、祈ちゃん」
「なんか早く目が覚めちゃったんよ」
 猪上いのうえすばる小塔ことうさとる。大学に入ってから知り合った友達。井上も小塔も大学近くのアパートに下宿している。二人は知識の幅がかなり広い。くだらない雑学で延々と話ができる変な奴らだ。簡単に言えば、無駄な知識が多い。
 そしてその話の内容が特に古い。まだ十代なはずなのに、三十代、四十代とかの話題や、さらに古ければ戦前とか遡れば江戸時代とか歴史の話で盛り上がっていたりする。なので、時々まったく何の話をしているのかわからないときがある。そういった少し変わった二人である。
「んで今日はなんの話してんの?」
「あ、今日月食でしょ? 見に行こうって話してたんだけど、猪上が部活だから無理って断るんよ」
「それはしゃあないやん。あの部活あんまり顔出したくないけど、顔出さなうるさい人がおるんよ」
 猪上が面倒そうな顔をして、悲鳴のような声を上げる。
「でも月食って結構遅い時間ちゃうの?」
「調べたら皆既は七時半くらいかららしい」
 小塔がスマホの画面を見せてくる。そこには今日の月食の始まる時間や終わりの時間、どの方角に見えるのかなどが細かく書かれていた。
(皆既は七時二十四分からか……)
「その時間なら部活終わってるんやないの?」
「いや先輩が飯食いに行こうって言ってたから何時になるかわからん」
 大きなため息をついて、猪上がまた面倒くさそうな顔をする。
「まあそれならしゃあないな。筝曲部(そうきょくぶ)も大変やな」
「部としての活動やないんやけどね」
 猪上は筝曲部、小塔は文芸部に所属しているが、普段あまり部の方には顔を出しておらず俺たちとつるんでいることの方が多い。この月食という珍しいタイミングで、猪上がこっちの誘いを断って部の方を優先するなんて、相当面倒な話なのだろう。
「俺らと部活とどっちが大切なのよ!」
 小塔が大きな声で猪上に向かって叫ぶ。古典的な問答が始まる。
「しょうがないやん! 先輩の誘い断ると面倒なんやから! 俺かて月食見たいわ!」
 猪上も小塔と同じぐらい大きな声で叫び返す。
「こっちがさっさと終わったらそっち合流するようにするわ」
 古典的な問答をすんなりと終わらせ、落ち着いて続ける。
「まだ行くとは決まってへんけどな」
「ええー、行かないのー!?」
「うるさいわ」
「なにでかい声して話してんの?」
 小塔が意味もなくごねるその後ろから誰かに話しかけられた。
「田後ちゃん、おはよう」
「おはよう、祈ちゃん」
 話しかけてきた身長の高い細身の男が隣に座ってくる。
 田後たご佳人よしと。俺が大学に入って最初にできた友達。最初の授業でサークルやソーシャルゲームの話で盛り上がって、それ以降よく話すようになった。
 基本的に大学ではこの四人とあともう一人とでつるんでいて、よく誰かの家に押し入っては晩飯を食べたり、アニメを見たりゲームをしたりしている。夏には五人で琵琶湖までキャンプをしに行ったりもした。
「今日田後ちゃんも月食見に行く?」
「月食かあ……。それってこのへんでも見れんの?」
「問題ないみたい。でも少し暗いとこ行った方がよく見えそう」
 小塔がまたスマホで確認しながら田後の問いに答える。
「おお。じゃあ俺も行こっかなあ」
「まあ猪上は来ないけどね」
「だからしゃあないって言ってるやん!」
「うるせえよ」
「お、田後ちゃんらも見に行くん? なら俺らと一緒に行かん?」
 後ろからまた別の声が聞こえた。
 外打そとうち秀介しゅうすけ村内むらうち廉太郎れんたろうが並んで立っていた。この二人も大学の同じ学部の友達であり、田後と猪上がそれぞれと仲がいい。
「よく見えそうなところ知ってるから、そこでん? ほかにも何人か誘ってさ」
「おー、近くなん?」
新沢にいざわん家の近くの山の頂上。何回か行ってるし道も問題ないで。この前も行ったし。川のっちも来るやんな」
 外打は鞄の中を漁っていた俺に話を振ってくる。
 ちゃんと話を聞いていないと思われたのだろうか。
「あー、夜に山に行くん? それ大丈夫なん?」
 なんともさっきどこかで聞いたような話だ。今朝、ゆう兄から忠告を受けたばかりで、それを無視するのはやはり罰が悪い気もする。
 
 普段ならば絶対にゆう兄の忠告は守る。あのひとの言葉は俺にとって特別なものだからだ。こんな誘い、いつもなら空気が悪くなっても絶対に断っている。
 だけど今回はなぜか、肯定せずとも否定もしなかった。
 
「夜中言うても六時とか七時やろ。そんな深夜に行くわけでもないし、大丈夫やって。それに山って言っても小さい丘みたいなもんやし、すぐやで。この前行った時もなんもなかったやんなあ?」
「うん、問題なかったで」
 外打が後ろに話しかける。どこか頭に直接響くような声が聞こえ、それと同時に一瞬眠気が襲った。
 席に座っている状態だと二人の影に隠れて声の主が見えない。首を向けるのが面倒で眼だけでじろりとその後ろに向ける。
 視線の届かない相手に対してあまり気にせず、引き続き鞄からノートと教科書を取り出し、授業を受ける用意をする。
 すると授業開始のチャイムが鳴った。この大学独特のチャイムがキャンパス中に響き渡る。がららと教室の扉が開き、二限目担当の教員が入ってくる。
「そんじゃあ決まりってことで! 集合場所とか時間はまたラインするわ」
入ってくる教員の姿を見て、外打と村内は慌てて席に戻る。
 その二人の様子を見て、喋っていた俺たちも前を向いて授業を受ける体勢になる。すぐにざわついていた教室が静かになった。


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