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大麻が社会に受け入れられるには時間が必要か

個人的には、嗜好品が社会に受け入れられるには、社会がそれに慣れるための時間が必要だと考えている。たとえば酒は糖を発酵させれば作れるため、有史以来人類と共にあり、どれほど害があろうと、もはや切っても切れない存在となっている。

一方で、大麻はどうだろうか。大麻の規制にはアメリカの影響が大きい。1930年代、メキシコ人が大麻を使用していたことを背景に、白人社会はそれを非道徳的な習慣とみなし、禁止した。異民族に対する差別意識、キリスト教的啓蒙主義、そして禁酒法廃止後に規制当局が新たな対象を求めていたことなどが要因と考えられる。

1950年代には黒人ジャズミュージシャンの間で使用され、差別の対象でありながらも「ヒップ」な文化として浸透していく。そして1960〜70年代にはベトナム戦争への反発からヒッピーによるカウンターカルチャーが生まれ、大麻はその象徴となった。

1980〜90年代には大量消費主義の中で商品として消費され、ティーンエイジャーにも広がっていく。ベルリンの壁崩壊後には「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が起こり、大麻はカルチャーとして定着していく。

2000年代に入ると「ノーマライゼーション(正常化)」が主張され、嗜好品として一般化し、現在では州によって合法化されている。

興味深いのは、今や「グリーンラッシュ」と呼ばれるほど大麻の商業化が進むアメリカが、かつて大麻を薬物として厳しく規制し始めた国でもあることだ。1920〜30年代に異文化として大麻と出会い、当初は「リーファー・マッドネス(気狂い草)」として恐れられ、強い規制が敷かれた。これが日本の大麻規制の原型となっている。

アメリカでは、当初は強く規制されていた大麻が、メキシコ移民→黒人ジャズミュージシャン→白人カウンターカルチャー→若者→一般人といった流れで徐々に広がっていった。その過程で、「逮捕しきれない」「逮捕するほどのことではない」「むしろ有用な側面もある」といった世論の変化が起こり、非犯罪化、州によっては合法化へと至っている。連邦法の改正も視野に入る状況である。

さて、日本では戦前、大麻は主に繊維を採取する産業用作物として利用されており、その精神作用は一般には知られていなかった。戦後、GHQの指導のもとで大麻取締法が制定されたが、当時の日本社会には「なぜ?」という反応があったという。

日本に大麻喫煙文化が本格的に入ってきたのは1960年代、ビートニクやヒッピー文化が伝えられてからであろう。ビートルズのポール・マッカートニーが大麻所持により来日できなかった事件もあり、また芸能人の逮捕などを通じて一般にも認知されるようになる。

日本では「ダメ。ゼッタイ。」という非寛容政策のもと、強い規制が敷かれた。社会もそれに同調し、大麻使用者を反社会的な犯罪者としてみなした。抑圧されたヒッピーたちは山や島のコミューンに移り住み、その中の一部が生き残った。

しかし、それが火種となって1990年代には『マリファナ・ナウ』などの書籍として結実し、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるムーブメントと重なって、サブカルチャーの一分野として大麻・ドラッグ文化が確立していく。

2000年代に入ると、ヒップホップ系のユーザーが存在感を増し、大麻はギャングスタラッパーの象徴となった。また、CBDなどのTHCを含まないカンナビノイド製品がビジネスとして販売されるようになった。CBDは向精神作用がほぼなくドラッグというよりは健康食品やサプリメントとして売られ、小児難治性てんかんへの効果が分かってからは医薬品としても用いられている。

それに続いて規制の及ばない「向精神作用のある」カンナビノイドが次々にストリートに登場する。それらのカンナビノイドは結局いたちごっこのように規制されていき、現在では主要なものは規制されてしまいブームは下火となっている。その過程でカンナビノイドの転換、合成技術は向上していき、アンダーグラウンドでは半合成されたTHCリキッドなども出回るようになった。

大麻草そのものについても、逮捕者数は若者を中心に右肩上がりで増加しており、生産量・流通量ともに拡大していると見られる。大麻草は室内栽培が容易であることから、国内に小規模な生産拠点が点在している状況にあるだろう。海外で生産されるケミカルドラッグのように水際で食い止めるということはもうできない。

ただし、日本において大麻は未だ一般的な嗜好品とは言えず、サブカルチャーや「少し不良っぽい」若者の間の文化であり、使用経験率は公式には数%、多く見積もっても10%程度と推測される。

各国の状況を見ると、国民の経験率が20〜30%に達すると、「非犯罪化した方が良いのではないか」という声が上がる傾向にある。それが嗜好品として容認され始める一つのラインと考えられる。日常的な存在になれば、禁止一辺倒の対応では限界が生じるのだろう。

アメリカの白人社会が大麻と出会って約100年、ようやく現在のような状況に至った。つまり、これだけの時間がかかるとも言える。日本が大麻と出会ってからは約60年。これが現状なのかもしれない。

とはいえ、社会として受け入れることと、自分自身の考えは別である。私はリベラルな立場から、個人に対する過剰な厳罰には疑問を感じている。

加えて、私は大麻規制緩和に賛成の立場ではあるが、その前提として、大麻がヘロイン、コカイン、メタンフェタミンといったハードドラッグよりも害が少ない、いわゆるソフトドラッグであるという認識がある。依存性や毒性が比較的低く、大半の人は節度ある使用が可能だと考えている。

また、だからといって大麻が広まるべきだと主張するつもりはない。流通の抑止を目的とした個人への重罰が行き過ぎであり、社会的制裁も過度であると感じている。

個人使用による逮捕者には同情を覚える。個人主義・人道主義の立場から、軽犯罪化・非犯罪化を支持している。

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