クジラが200年生きる理由 DNA修復という進化の解答
200年という時間
ホッキョククジラの寿命は200年を超える。
年齢の確認方法が独特だ。眼球の水晶体タンパク質に含まれる放射性炭素を測定して推定する。生きたまま年齢を調べる手段がほぼなく、捕獲・死亡個体の組織分析から逆算する。その結果として出てきた数字が200年超だ。現在泳いでいる個体の中に、19世紀の捕鯨全盛期を生き延びたものがいる可能性がある。メルヴィルが『白鯨』を書いた時代を、生きて泳ぎ抜いた個体が。
体重は80トン超、細胞数は人間の1000倍以上。それだけの細胞を200年間維持しながら、がんで死なない。
前回触れたように、理論上のモデルはクジラが50歳までにほぼ全個体ががんを発症すると予測する。現実はまったく違う。その差を埋めているのが、進化が選んだ修復機構だ。
二本鎖切断という致命傷
DNAの損傷にはいくつか種類があるが、二本鎖切断は最も深刻なものの一つだ。
DNAは二重らせんで、通常は片方の鎖が傷ついてももう一方を鋳型に修復できる。二本鎖切断はその両方が同時に切れた状態で、放置すると染色体の欠失・転座・融合につながる。がん化の直接的なトリガーになりうる。
放射線・活性酸素・複製エラー、あらゆるストレスが二本鎖切断を引き起こす。脳外科の領域では、放射線治療後の正常脳組織が壊死する問題を臨床で目にすることがある。治療のために照射した放射線が正常細胞のDNAを傷つけ、修復が追いつかなくなる。二本鎖切断の致命性は、抽象的な分子生物学の話ではなく、手術室に隣接した現実だ。200年生きれば、その蓄積量は人間の比ではない。
ロチェスター大学のFirsanovらがホッキョククジラの細胞を解析したところ、二本鎖切断の修復効率が他の哺乳類と比べて格段に高いことが示された。速度だけでなく、修復の「正確さ」も高い。ミスの少ない修復は変異の蓄積を抑え、がん化リスクを下げる。
CIRBPという鍵
修復効率の中心にいるのがCIRBP(cold-inducible RNA-binding protein:寒冷誘導性RNA結合タンパク質)だ。
もともと低温ストレス応答タンパク質として知られていたが、ホッキョククジラの細胞では恒常的に高発現している。このタンパク質が、相同組換え修復と非相同末端結合という二つの主要な二本鎖切断修復経路の両方を促進する。
興味深いのは、ヒト細胞にクジラ由来のCIRBPを過剰発現させると、ヒト自身のCIRBPを使った場合とは異なり、DNA修復効率が有意に上昇した点だ。分子の型は同じでも、クジラのCIRBPは何百万年の進化でヒトのものとは異なる機能的特性を持つように変化している。
アミノ酸配列が似ていても、立体構造や相互作用するタンパク質は種によって変わりうる。ある種で確認された遺伝子の機能を別の種にそのまま当てはめることの危うさが、ここにある。マウスで効果を示した分子標的薬がヒト臨床試験で軒並み失敗してきた歴史は、この溝の深さを示している。クジラ由来の知見も、同じ壁にぶつかる可能性が高い。
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