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踏み倒される救急応召義務 現場に残るのは祈りだけ

てんかんの患者が救急搬送されてくる。意識が戻ればケロッとして、財布がない、救急車なんか頼んでいない、と言って帰る。預り金も払わない。再来院もしない。当院はとっくに平時の診療を謝絶している。生保でもない。資力はある。それでも救急でだけ、また戻ってくる。

この患者を院内の努力でどうにかする方法は、たぶん存在しない。順を追うと分かる。


断れない一点

救急搬送で意識障害が来た瞬間、応召義務が再点火する。令和元年の厚労省通知(医政発1225第4号)が整理した通り、最重要の考慮要素は緊急対応の要否だ。通知は患者を「病状の安定している患者」と「深刻な救急患者」に大別した上で、後者については診療時間内か時間外かを問わず、事実上診療が不可能といえる場合にのみ拒否が正当化されるとした。つまり救急でだけ、逃げ場が構造的に狭くなる。過去の不払いも、信頼関係の破壊も、この局面では診療拒否の正当事由にならない。断って患者に何かあれば、過失の一応の推定が働き、賠償を負うのは断った側になる。

「かかりつけだから」と救急隊が運んでくるのも、この枠組みと整合している。断ろうとした側が、法的には分が悪い。

これはペイハラである、が

毎回なんやかんや難癖をつけて払わずに帰る。この行為に名前はある。新潟県が県立病院向けにまとめたペイシェントハラスメント対策指針は、要求内容が妥当であっても手段が社会通念上不相当なものはペイハラに当たると明示している。この患者は要求内容(タダで診ろ)も手段(難癖・踏み倒し)も両方が該当する。堂々とペイハラだ。

ところが、ここが今日いちばん苦い。ペイハラだと認定できることと、だから救急を断れることは、別の話だ。ペイハラ認定は相手の態度への評価で、応召義務は相手の病状への義務。評価軸が違う。だから片方でクロだと言っても、もう片方は独立して残る。ハラスメントを受けていると分かっていて、それでも受けなければならない。二重にしんどい状態が、制度上そう設計されている。

ただ、名前を付ける実益はある。応召義務が縛るのは、その回の発作に医学的対応をすることまでだ。難癖を黙って聞く義務も、暴言を甘受する義務も、安定後に居座られて付き合う義務もない。義務のコアは針の穴ほどに小さい。全部耐えている気がするのは、そのコアと、周りにこびりついたハラスメントを、一緒くたに受けているからだ。

診た後なら切れるのか

救急でも切れた判例はある。札幌地裁令和5年4月26日判決。動悸と嘔気で救急搬送されてきた患者に、当直医が心電図をとったが異常はなく、緊急性は認められなかった。その患者が検査を拒んで激高し、夫に暴行を加え、他の患者が休む中で大声を上げ続けた。医師が信頼関係を築けないと判断して以後の診療を拒絶したことを、裁判所は社会通念上相当と認め、不法行為の成立を否定した。

読み取れる線はこうだ。救急搬送であっても、診た結果として緊急性が去り、かつ著しい迷惑行為で信頼関係が失われていれば、そこから先は切れる余地がある。応召義務が絶対的に効いているのは、第一報から緊急性を評価し終えるまでの区間だけだ。てんかんの発作後、意識が清明に戻った時点は、まさに緊急性が去った局面にあたる。

だが、この判例は救ってくれない。札幌の患者は暴れた。暴行、罵声、静止を無視する大声——誰の目にも分かる迷惑行為が、証拠として揃っていた。当院の患者は暴れない。難癖をつけて、財布がないと言い、頼んでいないと言い、静かに払わず帰る。可視的な暴力がないぶん、「信頼関係の喪失」を客観的な事実として立証する材料が乏しい。切れる余地は法律上あっても、その余地を安全に行使できる証拠が、こちらの型では毎回そろわない。法的に切れることと、切って係争リスクを負わずに済むことは、また別の話だ。

回収は費用倒れ

払わせる手段はある。内容証明、支払督促、少額訴訟。資力あり・生保でなし・反復・言い逃れ、が揃っていれば「悪意をもってあえて払わない」の立証もしやすい。

問題は金額だ。少額を反復で踏み倒す相手に督促を打つと、回収額より切手代と手間のほうが高くつく。法的には請求できるが、経済的には回収しないのが正解になる。この時点で、正論のひとつが空回りを始める。

だから発想を切り替える。取り返す方向ではなく、切り離す方向へ。個別の督促はやめ、貸倒れとして帳簿を締める。請求書を送った記録だけは残し、あとは追いかけない。労力を回収からゼロにして、その分を別のところへ回す。取れない金を取ろうとする手間こそが、現場を最も削る。

転医が刺さらない

根治は転医しかない。てんかんの継続管理を他院に紹介状付きで移せば、当院がかかりつけ救急である動線ごと切れる。

ところが本人が動かない。通院もしない、服薬もしない。他院に行かないから、当院に戻ってくる。この繰り返しだ。動線を切る手が、患者の非協力ひとつで無効化される。

MSWも事務も限界

個人で抱えるな、組織に投げろ、が定石だ。だが投げ先のMSWが泣きついてくる。救急対応後の会計交渉、ペイハラの矢面。応召義務という盾を持たない事務が、資力ありの常習踏み倒し犯の難癖を毎回一人で浴びる。構造的に一番弱いところに、一番きつい負荷が乗る。

そして事務は言う。なんであんなの取ったんだ、と。夜間に受けた医師に矛先が向く。

この苦情は、制度上は宛先を誤っている。断れば病院が賠償リスクを負う以上、事務は医師に「病院を法的リスクに晒せ」と言っているに等しい。未収金という病院の制度コストが、その場で受けた個人の判断ミスに付け替えられている。

断れという指示

事務長マターにはなっている。事務長の回答は、理由をつけて断れ、だった。

これが成立しない理由は時系列にある。断れるかどうかは、診てからしか分からない。搬送されてきた意識障害が本物の発作か、ケロッと系かは、受けて評価するまで確定しない。緊急性の有無を判断するために、一度は受けて診なければならない。受けずに断つと、診て緊急性なしと判断するは、両立しない。夜間の第一報で「これは断っていい」と確定する方法は、原理的に無い。

札幌の判例が示したのは「診た後に切る」道であって、「診る前に断る」道ではない。事務長の指示は、この順序を飛ばしている。診る前に断てと言うに等しく、それは判例が認めた切り方とも違う。

仮に無理に断って、それが本物の発作だったら、賠償を負うのは断った医師と病院だ。事務長は口で断れと言うだけで、結果責任は取らない。リスクは現場に、判断の言い訳は管理職に。決断の放棄を、指示の形にしたものだ。

この指示には、一つの問い返しが効く。その指示を書面でくれ、と。書面にした瞬間、応召義務違反を組織として指示した証拠になる。何かあれば事務長の責任が確定する。だから書面は出せない。出せないなら、それは正式な指示ではなく、口頭で現場に押し付けられた願望にすぎない。書面を求めることが、無理を言っているのはどちらかを、指示した側に突きつける。

残るもの

制度の各部品は、どれも真っ当に作られている。応召義務は患者の命を守る。未収金回収の仕組みも、ペイハラ指針も、それぞれ筋が通っている。ただ、資力ありの悪意の常習者という一点に全部が重なると、どの部品も機能しない。応召義務は暗黙に「金を払える善意の患者」を前提にしていて、この種のプレイヤーを織り込んでいない。

現場の努力不足ではない。制度の縫い目が裂けている。

夜間救急の現場で、応召義務と未収金と組織の逃げが一点で交差したとき、当直医に最後に残る合理的な態度はこうなる。自分の当直に、この搬送が当たらないこと。それを祈ること。制度が現場に無理を押し付けた果てに、現場の手元に残るのは、祈りだけになる。


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