中田敦彦の帰国と、誰も見ていない長男の国語
税金逃れだと叩かれている。5年のシンガポール生活を終えて中田敦彦・福田萌一家が帰国した件で、Xのタイムラインは「稼ぐときは海外、教育と医療が要るときは日本」という無料乗り論で埋まった。465万表示のポストもその調子だ。ただ反応は割れていて、「合法の節税を妬むな」「日本の税制が異常なだけ」という擁護もそれと同じくらい流れている。
「日本は高税率だから海外へ」という筋書きの、これは終わりの場面でもある。節税の話から入るが、僕が引っかかっているのはそこではない。
節税の器は個人だった
シンガポールの税制が富裕層に効くのは事実だ。所得税の最高税率24%は日本の約55%の半分以下、キャピタルゲインは非課税、相続税・贈与税もない。中田氏のように日本の視聴者相手に稼いで非居住者になれば、フロー所得の税率が一気に落ちる。
やり方を分解すると、役員報酬を絞って法人に利益を貯め、育てた株式の含み益を非居住のうちに売って非課税で回収する、という型がある。中田氏がこの型を踏んだかは公開情報からは分からない。ただ、こうした設計で主役になるのは法人ではなく個人の居住地だ。本人が2024年のラジオで「仕事は完全にYouTube」「PCとWi-Fiがあれば自宅でいい」と言っている。場所非依存の事業に、シンガポールで撮る必然はない。現地法人を必要とする事業実体は、公開情報からは確認できない。効いていたのは、個人が日本の非居住者になったこと。それだけが節税の本体だった。
相続税の非課税を成立させるには国外10年ルールが要る。5年で帰るなら相続節税は最初から射程外だ。所得税と譲渡益は5年で取り切れるが、相続まではそもそも届かない。この時間軸の非対称は、批判する側も擁護する側も同じ一点を突ける。本人の「もう十分にわかった」が、所得系メリットの飽和点とちょうど重なるからだ。
帰国のトリガーは税ではない、と僕は見る
帰国を言い出したのは夫のほうで、理由は「シンガポールはもう十分にわかったから」だと福田氏は連載に書いている。長男の言語をどうするかは、彼女が「私が主導で進める大冒険」として、迷いの中に置いたまま連載を終えた。
つまり本人たちは、帰国の引き金を長男の言語問題とは結びつけていない。ここから先は僕の推論だ。
長男は9歳、4歳から在住。英語が「コンフォタブルな言語」になり、日本語の読み書きにはあまり興味がない。福田氏の言葉のままだ。この時系列だけは動かせない。そこに言語形成の締め切りが重なる。
数歳の差が分ける
ここからは福田氏の記述を離れる。読み書きの言語が固まるのは概ね9歳から12歳。9歳・在住5年は、引き返せる縁のいちばん外側にある。 生活会話が英語で回っていても、考えて読み書きする側の言語がどちらでも育ち切らないと、両方が中途半端なまま止まる。
僕の家も帰国子女だ。下の子は4歳で渡って半分ネイティブになり、小1で戻った。国語が本当に大変だった。
一番苦労したのは否定疑問の応答だ。「行かないの?」に、行くとき、日本語なら「ううん」、英語思考だと「Yes」で真逆になる。この逆転が頭の中で混線して、会話が噛み合わない。国語の読解でも「〜でないものはどれか」で取り違えが出た。
go と come も困った。日本語は話し手の位置が絶対の基準で、相手のところへ向かうのは「行く」。英語は聞き手の側に立って come を使う。「今から行くね」は英語なら I'm coming で、直訳の I'm going にすると「あなたのところ以外へ行く」の意味に化けて噛み合わない。「そっち行っていい?」が「来ていい?」になる逆パターンも出た。bring と take も基準点が連動しているから、ワンセットで狂う。
Yes/No が肯定と否定の軸の混線なら、go/come は視点をどちらの話者に置くかの混線だ。種類の違うつまずきが同時に起きていた。どちらも訳語の一対一対応では埋まらない。話者の立ち位置ごと組み替えないと直らないから、単語を覚えれば済む話ではなかった。
知能の問題ではない。二つの言語の文法が、まだ分離しきっていないだけだ。日本語環境に戻して数年で解けた。7歳前後という帰国年齢が、臨界期の内側だったからだと思う。そして本人がそのズレに危機感を持った。今、一番得意な科目は国語になっている。混線して苦労した領域が、最大の武器に変わった。
7歳で戻れば逆転すら起こしうる。9歳で在住5年なら、同じ再接続でもコストは跳ね上がる。否定応答も視点の混線も、もっと深く定着しているはずで、日本語への戻し作業は僕の子より重い。
長男のためにできる選択は、実質ふたつしかない。日本に帰るか、英語圏に骨を埋めるか。中途半端に置き続けるのが一番危ない。その一点だけを見れば、批判されている今回の帰国は理にかなっている。
税金の話で燃えているタイムラインの陰で、9歳の子どもの主言語がどちらにも定まらないまま数年が過ぎようとしていた。中田家の長男がこの逆転に間に合うのかは、福田氏が「今も冒険の途中」と書く通り、まだ誰にも分からない。
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