Bloody Divine(血塗られた神聖)【第9話】聖域の侵害者
城の入り口、外界とを繋ぐ巨大な石門が、断末魔のような音を立てて内側へと歪んだ。
数千年の間、この城を包んでいた重厚な静寂が、無粋な鉄の響きによって一瞬で引き裂かれる。
洞窟の湿った風と共に流れ込んできたのは、冷たい殺意を帯びた「正義」の気配。
それは、エルゼーラが最も忌み嫌う、地上の光が持つ独善的な匂いだった。
アルヴィスは、エルゼーラと共に中央回廊の踊り場に立っていた。
彼女の周囲では、物理的な圧力を伴う魔力が黒い陽炎のように立ち上っている。
その瞳からは先ほどまでの人間味のある悲哀は消え失せ、ただ侵入者を冷酷に見下ろす、深淵のような紅い光だけが湛えられていた。
「……下がりなさい、アルヴィス。貴方の同胞たちが、自ら死を求めて門を押し開いた。城主として、相応の報いを与えねばなりません」
「待て。彼らが何を求めてここへ来たのか、確かめるのが先だ。不用意に手を出すな」
「愚かな。彼らの瞳を見るが良い。あれは、対話を求めている者の目ではない。……あれは、自分たちが理解できないものを『悪魔』と呼び、焼き払うことでしか安心を得られない、臆病な……いや、狂信者の目だ」
回廊の奥から、数人の影が霧を割って現れた。

彼らは純白のサーコートを纏い、胸元には太陽と天秤を模した教会の紋章を掲げている。
地上の秩序を守る聖騎士団の先遣隊だ。その先頭に立つのは、若く、狂信的な光を瞳に宿した副団長、フェリクスだった。
かつてアルヴィスと共に王都の練兵場で汗を流した、実直すぎるほどの男だ。
「……いたぞ! 呪われた吸血鬼の眷属め、そして……」
フェリクスは、エルゼーラの隣に立つ男を見た時、その端正な顔を驚愕と嫌悪に歪めた。
「アルヴィス・フォン・ベルシュタイン! 没落し、野垂れ死んだと聞いていたが……まさか、吸血鬼の魔女に魂を売り、その犬になり下がっていたとは! 騎士の誇りはどこへ捨てたのだ!」
アルヴィスは一歩前へ出た。石床を叩く彼のブーツの音が、重苦しく反響する。
「フェリクス、剣を収めろ。ここはお前たちが考えているような邪悪な巣窟じゃない。彼女はただここで、 静かに息を潜めて暮らしていただけだ。先に手を出したのは教会の側だろう」
「黙れ、反逆者め! その魔女は、我ら地上の民を惑わし、救済の光を遮る闇そのものだ。我ら教会の命により、この禁域を清浄に戻す。魔女も、それに与する不浄な騎士も、城諸共、残らず聖なる炎で焼き尽くしてくれるわ!」
フェリクスが叫ぶと同時に、彼が掲げた聖銀の剣が眩い光を放った。それは闇を照らす灯りではなく、吸血鬼を死に追いやるためだけの武器だった。
エルゼーラが、短く、くぐもった声で笑った。

「救済、清浄、聖なる炎……数千年経っても、貴様たちは何も変わらない。自分たちが及ばない力を恐怖し、正義という名の言葉を押しつけ踏み躙る。……その浅ましさ、反吐が出るぞ」
彼女がそっと、白い片手を水平に振った。
その瞬間、回廊の影から無数の黒い霧が噴き出し、実体化していく。それはかつてこの城を守護し、城と共に没落したであろう、虚ろな甲冑の兵士たちだ。肉体を持たぬ亡霊の騎士たちが、青白い炎を瞳に宿し、侵入者へと向かっていく。
「エルゼーラ、よせ! 殺せば、もう引き返せなくなるぞ!」
「止める権利など貴様にはない、アルヴィス。ここは私の城だ。土足で上がり込み、私の『家』を汚そうとする羽虫を駆除して何が悪いのだ?」
フェリクスら聖騎士たちが咆哮と共に突進し、黒い甲冑兵たちと衝突した。
狭い回廊に、鋼鉄がぶつかり合う激しい音が雷鳴のように反響し、火花が飛び散る。
教会の騎士たちが放つ清廉な白光と、エルゼーラが放つ禍々しい黒霧が混ざり合い、視界を奪う。
アルヴィスは、その混沌の真ん中に立ち尽くした。

自分がこの数日で繕い、直してきた城の壁が、フェリクスの軍勢によって砕け散る。
エルゼーラと囲んだあのスープの温かさも、修復した人形の微笑みも、この暴力の前ではあまりに無力だった。
「どけ、フェリクス! これ以上進めば、あんたたちは一人も生き残れないぞ! 彼女をこれ以上刺激するんじゃない!」
「魔女を庇うか、アルヴィス! ならば貴様も死ぬが良い、異端の狗め!」
フェリクスの剣が、迷いなくアルヴィスの喉元を狙って振り下ろされる。
アルヴィスは反射的に腰の剣を抜き、それを弾き飛ばした。かつての友と剣を交える感触が、掌に嫌な重みを伝える。
その時、フェリクスの背後から放たれた投擲槍が、エルゼーラの展開していた障壁を僅かに切り裂き、彼女の頬をかすめた。
一筋の鮮血が、彼女の白磁の肌を伝い、床に落ちる。
その瞬間、城全体の空気が凍りついた。
震動が止まり、音が消える。エルゼーラの背後に、巨大な血の翼を思わせる魔力の潮流が沸き起こり、彼女の瞳が、これまでの何よりも深く、昏い「死の色」に染まった。

「……私の静かなる時を、これほどまでに汚した罪。……塵一粒も残さず、購うが良い」
彼女の指先が、死を宣告するようにフェリクスを指した。
アルヴィスは、その圧倒的な破壊の予兆を前に、自らの剣を握り直した。
もはや、どちらの側につくかという段階ではない。この暴走する二つの「真逆の正義」が激突し、すべてが灰になる前に、彼は自らの命を懸けた選択を迫られていた。
本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。
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