銀座の夜と負の遺産
世間一般の常識からかけ離れた悪の巣窟からの脱出。
しかし、無傷では済まなかった。2億円もの負債を負ってしまったのだ。
証券会社時代の先輩の会社で再起を図るが・・・。
10月から高田馬場にあるその会社(J社)の東京支社に通い始めた。
与えられた肩書は東京支社長である。
但し、支社長と云っても東京に社員は3人しかおらず殆どこけおどしだったが、1年後にはその数は10倍以上に膨れ上がるのだった。
社長は持てる経営資源の最大限を東京に注いだ。
地方を転々としていた専務と、選りすぐりの社員達を集結させたのだ。
ヒデは主にパチンコ(P)店の新規開拓を担当し、周りが右往左往する程の勢いで契約を増やしていった。
社長も週の内半分以上は東京に滞在するようになり、夜は専務を含め3人でいつも飲んでいた。
もっぱら、今の商売を足掛かりにして将来はスケールの大きな事業を展開したい、と云う話で盛り上がった。
ここから3人の蜜月関係が何年も続くのだった。
住まいは会社の近くの賃貸マンションで、この風変わりな慶応ボーイの専務との同棲生活と相成った。
彼は本当に良く出来た男で、皆の前でもヒデのことを立ててくれた。
この1997年の秋は山一、北拓の破綻に続き、タイから始まるアジア金融危機に世間は騒然となっていた。
しかし、そんなことはJ社には全く影響はなく、むしろ不景気の方がP店の客が増えるので売上は好調だった。
兎に角2~3年は現在の路線で行けばよかったので、佐藤の組織からすると物凄くゆっくりと感じられた。
しかし、ヒデには他のまともな方々とは違ってビックな負の遺産があったので、左程安穏とはしていられなかった。
債権者に見つかったら大変だ、と云うプレッシャーはヒデを酒に走らせた。
何故か手元にはサラ金が貸してくれた纏った金があったので、連日銀座や六本木を一人で飲み歩き、たったの2ヶ月でそんなアブク銭は使い切ってしまった。
それから、日産のディーラーに電話を掛けた事があった。
本田の為に会社の名義(勿論ヒデの保証)で買ったシーマを返すから、残りのローンをチャラにして欲しいと云う交渉だった。
既に支払は滞り、TIPSも雲散霧消した後だったので先方は小躍りして喜んだ。
渋谷にある事務所を訪問し、本田のアジトを教える換わりにヒデの保証を外してもらった。
一週間ほどしてポン助に電話を入れると、何故か彼は怒り狂っていた。
これ以上言い争っても意味が無いと思い、
「これで済んだと思うなよ。」
と言い残して静かに電話を切った。
お蔭様でヒデの債務は600万も減ったのだった。
アッと云う間に使い切ってしまったサラ金の金は、残念ながら返せなくなってしまい、大変申し訳ない話だが周りに迷惑を掛けてしまう事となった。
ヒデの実家には勿論のこと、どこでどう調べたのか義父の方にもご丁寧に元旦の朝、電話が入った。
協会のルールか何かで決まっているのか、手紙は証拠にもなるし保証人でもない相手には出せないのだろう。
流石にテレビCMを垂れ流し、一部上場の一流企業でございます、と云うだけあって電話の先は紳士的だったそうだ。
それに対しての二人の父の言葉は、それぞれのパーソナリティーが出ていて興味深い。
我孫子の父は
「まぁ話は解りましたが彼ももう30過ぎの大人ですし、私の責任の範疇ではないでしょう。あぁそれと、家のワイフが病弱なもので、心配するといけないのでもう電話は控えて下さい。
ところで、あなたお名前は?」
関西の父は
「あぁおめでとうさん。いやぁワシもあいつに金貸して逃げられとんのや。見つけたらこっちにも必ず電話くれ。
そうや、お前の名前と連絡先は?」
と云う具合だったそうだ。
なんともはや・・・。
ヒデは入社して3か月もすると、この会社は5~6年内には必ず上場出来ると確信を持つに至っていた。
ある程度の株を配分して貰えるだろうから一財産出来るだろう。
しかし、ヒデは一般の人達とは違うので話は簡単ではない。
当然、選択肢は自己破産しかないのだが、それが難しいのである。
破産をすれば通常の場合、銀行やまともなサラ金などの債務は勿論きれいに消える。がしかし、裁判などで決定した違法債権は別なのである。
それらは債権者の同意がなければ免責にはならないのだ。
要するに裁判で勝った債権者の一人でも意義を唱えれば、全ての債務が時効まで残るのである。
しかし、15人もの(何故かこの時も全員関西の人間)人々から同意を得るのは事実上不可能に近い。
この事を考えると気分は大きく沈むのだった。
翌年1998年3月のある日、新聞を読んでいたヒデはある記事に目が釘付けになった。
ビデオ安売り王の佐藤一味が逮捕、とあったのだ。
ずっと前にやってい不動産詐欺が露呈したのだった。
(佐藤大治はその後、6年8カ月の実刑判決を受ける)
この事件は、実態のない不動産を担保に旧住専から金を巻き上げた、と云う何て事のない詐欺でもう既に風化した話だったが、中坊さんが住管機構を指揮して徹底的に焙り出しをやった為浮かび上がったものだった。
佐藤、本田の他3人が逮捕された。
ヒデは、
「中坊公平 万歳!」
と大声で叫びたい気分だった・・・。
1999年の春、自己破産の件を社長も交えて弁護士と何度も相談し、ヒデが自分で15人の債権者から同意書を取り付けることに決まった。
債権者達は、当然佐藤や本田の事を知っておりヒデに対して同情的な人もいたが、その内の数人はどんな事をしてもヒデを追い詰めてやると息巻いていた。
この人達を説得するのは、ヒデの人生に於いて最も難しくストレスのかかる営業だった。
何度も何度も大阪に足を運び、一件一件謝って周った。
グチグチと泣き事を何時間も聞かされると気が滅入ったが、それでも同意書にサインをしてくれた時は本当に嬉しかった。
印象的だったのは、5人の債権者から大阪の中の島にある一流ホテルに呼び出され、寄ってたかって弄られた事だった。その内の一人の在日のオヤジが、
「朝も晩も働いて少しづつでも金を払うのが人間としての道理だ」
の様な変な事を言ったので思わず小さく噴き出すと、
「何がおかしい、お前舐めてんのか!」
と、大声を出されて皆の注目を集めてしまった。
ヒデはぼんやりとした顔をしながら、
(こいつらを横一列に並ばせて、端から思い切りビンタをしていったら少しはスッとするかな?)
などと考えていた。
それでも最終的に彼等はサインしてくれた。
最悪で、最後まで残ったのは大阪で個人商店を営むMだった。
このM(長野県中部にある市の名前)は両生類のようなヌルヌルとした粘着質の男で、話をした後いつもヒデは強い頭痛に襲われた。
この山椒魚は若い強欲な弁護士に騙され、民事の損害賠償と同時に詐欺罪で刑事事件として警視庁に告発していた。
余程の事が無い限り経済詐欺など立証出来る訳もなく、まして自分のスクールを開校しておいて詐欺だと云う言い分が通る筈が無い事は素人でも解りそうなものだが、彼も弁護士に二重で騙されていたのである。
この山椒魚は最後の最後、ヒデとヒデの弁護士が破産宣告の手続きに行った裁判所に現れ、
「5年分割で300万の支払いを約束しないとこの場で意義を申し立てるぞ!」
と脅した。
ヒデは悔しさで目眩がしそうになりながら、泣く泣く言い分を呑んだ。
彼のやっていることは『盗人に追い銭』ならぬ『盗人を恐喝』だった。
そしてヒデはやっと自己破産が成立し、晴れて資産を持てる身分になったのだ。
破産成立後も3年間は異議申し立ての権利が継続するので、ヒデはこの大阪商人に毎月金を払い続け、総額
180万に達した時に電話を入れた。
その時はかなり躁の状態だったので、容赦無く強く債権放棄を迫った。
商人は、解ったと震える声で言い、事実それ以降何の督促も来ていない。
2005年の春の事だった。
実を言うとヒデは昨日(2008年)、3年振りに商人に電話を入れてみた。
もし、自分がテレビに出たりすると彼が再び何か言い出しそうな気がしたからだ。
今回は至って冷静だった。
「実は今、貴方を含めた当時の15人を民事で訴えようと考えています。あなた方のイジメによって、私は躁鬱病にかかり、人生が狂ってしまった。おそらく億を超える賠償請求になると思いますよ。」
「・・・・・」
「でも、もしあなたが一週間以内に、120万の債権を放棄する旨の証書を私の弁護士宛に送ればあなたの名は被告から外してもいいですよ。」
「・・・・解りました。」
さてさて、どうなりますやら・・・。
「TIPSと云う悪の巣窟からの命懸けの脱出、2億円もの負債抱えながらも何とか人生を立て直そうとする
ヒデ。是非、初めからお読み下さい。」
