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131.ローマ7:1-3 律法から自由になる

1,それとも、兄弟たち、あなたがたは知らないのですか──私は律法を知っている人たちに話しています──律法が人を支配するのは、その人が生きている期間だけです。
2,結婚している女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死んだら、自分を夫に結びつけていた律法から解かれます。
3,したがって、夫が生きている間に他の男のものとなれば、姦淫の女と呼ばれますが、夫が死んだら律法から自由になるので、他の男のものとなっても姦淫の女とはなりません。

ローマ人への手紙7章1−3節;新改訳聖書2017版

 ユダヤ人の伝統はゆるぎないとユダヤ人は考えていました。モーセの律法という、神の定めに基づいていたからです。

「あなたがたはこれを守ることによって生きる」との神からの約束の下に、ユダヤ人は律法、さらには律法に基づいて人が作り足した規則を破らないよう細心の注意を払って生きていたのです。

 しかし、気が付かないうちに、神に仕えているつもりで律法の規則の文字に仕えていたのです。

 神に仕えているつもりで、文字の支配に身をゆだね、神に背く生活に陥っていました。それがどんな問題を引き起こすかは、パウロは後で書いています。

 ここでは、パウロは特に律法をよく知っている人に、つまり、律法の支配にゆだねてしまっていた人に、「キリストの下にある人は、もはや律法の支配の下にはない」ということを確信させようとしてくれているのです。

 律法の中の結婚の定めを例に、律法から解かれて自由になることがある、とパウロは言います。

 夫が死んだら妻だった女性は、自分を夫に「結び付けていた律法から解かれます」。

 夫が死んだら夫から解放される、という話ではありません。律法から解かれ、律法から自由になる、がここの眼目です。

 律法から自由になるとは、律法を守らなくてもよくなることではありません。縛られて強制されなくても律法を実行できる者になった、ということなのです。

 私たちは、信仰によって自由に神に仕える者とされたのだ、ということを覚えておきましょう。

考えてみましょう:キリスト教に入ったら規則に縛られる、と思われがちなのは、クリスチャンの多くがまだ規則に縛られているような生き方をしているせいではないでしょうか。あなたはどうですか。



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