159.肉に従って生きる義務? 8:11-12
11,イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。12,ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
私たちは、自分が生まれ育った社会の伝統や慣習の中で、無意識にそれらを受け入れつつ生活していました。
それが神のみ旨に沿っているか、反しているか、などと考えるようになるのは、御霊に導かれ始めてからなのです。
教会の中にも伝統や習慣は作られていきます。
社会の伝統・習慣と同様、教会内の習慣も神のみ言葉そのものとは区別される、折々の互いの取り決めに基づいているもので、時に応じて変えられるものです。
ところが、「肉」は習慣性が強いものですから、伝統を重んじるその心が、神の御言葉よりも伝統や慣習に無意識に従ってしまう傾向があります。
肉に従う義務はないにも関わらず、です。
良い習慣を身につけることは良いことに違いありません。
しかし、それすらも、折々に神ご自身から与えられる御霊の導きに反することになる場合があるということです。
パウロは、神の律法からさらに限りなく作り足されたユダヤ教の規則が、まさにそうした肉の義務だったと認識させられていたでしょう。
私たちの義務は、私たちを生かして下さる御霊の導きに従うことなのです。
考えてみましょう:宗教は義務だ、との考え方自体が肉に属するものだ、とは思いませんか。あなたが神に従うことは神への愛によるのでしょうか、それとも義務だからでしょうか。
(写真:2021年10月、Covid-19でインドネシアでスーパーマーケットではマスクはもとより、入り口で手洗い、さらに手袋が渡されて入店)
