137.ローマ7:11-12 正しい律法の誤用
11,罪は戒めによって機会をとらえ、私を欺き、戒めによって私を殺したのです。12,ですから、律法は聖なるものです。また戒めも聖なるものであり、正しく、また良いものです。
世の中で起きるいろいろな事件には、道具を悪用してのものが数多くあります。
新しい道具が生まれると、新しい形の事件が生まれて、多くの人がそれで犠牲になったりもします。命を奪うに至る事件も、その道具がなければ減るのでしょうが、道具はまさに正しい使い方をするように責任を問われるものです。
律法や戒めも、それ自体は「聖なるもの」で、「正しく、また良いもの」に違いありません。
けれども、それが、罪にまみれている人の手にかかると、人を死に至らせてしまうものでもあるのです。
パウロにとっても、律法は正しいはずだ、という律法の表向きの姿からは、かつては、予想もできない結果だったのでしょう。
「私を欺き」とパウロは告白します。そして自分が戒めによって経験させられたことは、「罪は、…戒めによって私を殺した」というもの。
律法や戒めは、注意深く使わなければならないのです。パウロの経験を更に良く学んでみましょう。
考えてみましょう:律法をやみくもに守ろうとして、あるいは守らせようとして、傷ついたり、傷つけてしまったり、ということはありませんでしたか。
